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 ファリアスの夢の中は、実に禍々しい悪意に満ちていた。ぽつんと立ち尽くすファリアスを取り囲むように、真っ黒なもやのようなものが不気味にうごめいている。その不気味さにリネットは、思わず白黒のモフモフの体をぶるり、と震わせた。


『……前がいなけ……ばうまくいって……のに……』

『お前さえ……そうすれば……俺は……』

『……せいで……皆……』

『……んか、消え……え!』


 夢の中に響く声。それは、妬みや怒りといった感情からなる言葉たちだった。明らかにファリアスの声ではない何者かの気配に、リネットは首を傾げた。なぜファリアスの内面から生まれた夢にファリアス自身以外の気配がするのか、と。そんなこと、あり得ないのに――。

 けれど今はそんなことを考えている場合ではない。さっさと食べて退散しなければ、とリネットは口をあーんと大きく開け、夢を食べはじめたのだった。


 もっきゅもっきゅ、ごくん。

 もっきゅもっきゅもっきゅもっきゅ……、ごっくん。


 夢をすべて食べ終わり現実へと戻ったリネットは、ファリアスを見やった。


「……おやすみなさいませ、ファリアス様。……今度はいい夢を見られますように」


 ベッドの上で悪夢から解放され安らかな寝息を立てるファリアスにそっと声をかけ、リネットは 自室のベッドに潜り込み眠りについた。自分の行動を半分悔やみつつ、でも残りの半分はなんともあどけない安らかな寝顔を見られたことにくふくふと笑いながら。

 その翌朝――。


「夢を……食べた、だと?」

「はい……。申し訳ありません……。あんまり苦しそうで見ていられなくって、つい……」

「ということは、あれは君か? ぬいぐるみのような白と黒をしたモフモフとしたあれは。君が夢を食べたおかげで昨日はあんなふうにぐっすり眠れたと……?」

「はい……。えーと、あれはバクっていう生き物でしてなぜか夢の中ではあんな姿に……」


 やはり首だろうか、としょんぼりと肩を落とし、ファリアスの次の言葉を待った。けれどしばらくたってもファリアスからは何の言葉も降ってこない。


(ん……? なんで黙ったまんまなの? もしかして……怒ってる、とか?)


 おそるおそる顔を上げてファリアスを見やれば、何やらあんぐりと口を開いたまま固まっていた。


「あの……いくら放っておけなかったからとはいっても契約違反をして、本当に申し訳なく思ってます。でもどうか首だけは……。二度とこんなことはしないとお約束しますので……なにとぞ……」

「……」

「えーと……、あのー……ファリアス様??」


 一向に何の反応も返ってこないことがかえっておそろしい。一体どうしたのかと再び見やれば、ファリアスははっと我に返ったようにこちらをまじまじと見た。そして思いがけないことを口にしたのだった。


「君っ! 君に頼みがあるっ。君に……君に引き続き、私の夢を食べてもらいたいっ!!」

「は……?」

「私は……ずっと悪夢に……君が昨夜食べたあの悪夢を、この半年もの間ずっと……一晩も欠かさず……! 毎日毎日毎日毎日うんざりするくらい、毎晩見続けているんだっ!! もう限界だっ。君が夢を引き続き食べてくれれば、私は昨夜のように安眠できるっ!! だから、頼むっ! 私の夢を食べてくれっ。リネット!!」

「……はぁ??」


 今度はリネットはあんぐりと口を開き、固まる番だった。たっぷりの沈黙の後、リネットはおずおずとたずねた。


「えええっと……、毎晩あの悪夢を?? 一晩も欠かさず……?? 見てるんですか? ……ってことはもしかして、ファリアス様が毎晩町を出歩いているのってまさか……」


 ファリアスはこくりとうなずいた。


「眠れば必ずあの悪夢を見てうなされるとわかっているからな……。あえて見ずに済むようにと、ああして毎晩くる日もくる日も町をひたすらに歩き回っては時間を潰しているんだ。少なくとも体を動かしていれば、なんとか寝ずに済むからな……。だが、もう限界だ……。それで昨日はついに力尽きて、あんなふうに倒れてしまったんだ……」

「……」


 なるほど、道理でファリアスの体から香水や酒どころか食べ物の匂いすらしないわけだ。そんなものを体に入れたら、余計に眠気が襲うに決まっている。


「何度も医者にも診せたが、原因は不明だ。もちろん仕事のストレスは多少はあるだろうが、思い悩んで夢に見るほど苦しんではいないつもりだ。なのにある日突然あんな夢を……。だがもうこれ以上はとても体が保たない。それでも最近は君の特製ドリンクやらで一度は復活した気がしたんだが……」

「あ、効果あったんですね。あれ……」


 あのノーマ家特製ドリンクは、父が昔会社を経営していた時に繁忙期になるとよく作っていたものなのだ。あれがあればほんの一時は体が楽になる、とよく言っていたっけ。


 リネットはそんなことを思い返し、餌付け作戦は無駄ではなかったらしいと胸をなで下ろした。と同時に、はっと気づいたのだった。そう言えばマダムがこの仕事を紹介してくれた時に、自分ならばこの仕事に適役だ、と言っていたことを――。


(さてはマダム、知ってたんだわ……。ファリアス様の夜歩きの原因が夢の悩みだってこと。情報通で有名なマダムのことだもん。きっとそうに決まってる……)


 なんでもマダムはこの町どころかこの国で起きているあれやこれやについて、やたらと情報通らしいと評判だった。実際町で起きているどんな小さなことも、マダムは実によく知っていた。となればファリアスほどの有名人の噂の内情を知っていたって、不思議ではない。


(だから私をここに推薦してくれたんだ……。私なら夢を食べれるからって。でもまさかファリアス様がそんな悩みを抱えていたなんて……)


 きっとこれまで必死で隠していたのだろう。まぁ確かに『極上の眠りと安息を提供する』を謳っているユイール社の御曹司が不眠で悩んでいるなんて知れたら、きっと売り上げや評判にだって少なからず悪影響を与えるだろうけど。


 リネットはようやく色々なことが腑に落ちたことでどこかすっきりした面持ちで、ファリアスにたずねた。


「あのぅ……でも私、本当に夢を一時的に食べるだけでそれ以外のことはなんにもできないんですけど。夢食いって本当に夢を食べるだけで、悪夢を見せなくする方法とかはまったく……」

 

 もしも夢食いの力に、悪夢のもとを断つ能力でもあればきっといい仕事にだってなったかもしれない。なんなら夢だけじゃなく、心の悩みやモヤモヤを軽くするような力があればどんなにか重宝しただろう。けれど残念ながらそんな便利な機能は一切ない。ただ食べるだけ、しかも食べたあとはなんとも言えない気持ち悪さがおまけでついてくるのだ。

 

 しょんぼりと肩を落としてそう告げれば、ファリアスは大きく首を横に振った。


「何を言うっ! 私にとっては君のあの力は、もはや癒やしだっ! ずっと眠れなかったんだぞ? この半年の間、一度も満足に眠れたこともないしうなされてばかりで疲労困憊で……。昨夜は本当に久しぶりに安眠できたんだ。あの心地よさと幸福感といったらもう……」


 うっとりとした表情でそうつぶやき、ファリアスは目を輝かせた。


「もちろん給料は今までの倍額、体の負担も考慮の上待遇も考え直すっ! だからどうか私をあの悪夢から救ってくれっ!! 夢食いメイド……いや、なんなら私の専属秘書兼専属バクということで、契約をし直そうっ!」

「専属秘書……兼、専属バク??」

「あぁっ! あ、それとできたら差し入れも継続してくれたら助かるな。例のドリンクも効果抜群だったし、君が作ったという菓子も気に入った!」

「は……はぁ……」


 思いもよらない展開に、リネットは目を白黒させた。けれどどこか胸の中がむずがゆくもある。


(そっか……。私の力、役に立ったんだ……。ふふっ。癒やし、かぁ……。それにドリンクもお菓子も気に入ってくれたみたいだし……。なんかちょっと嬉しい……かも??)


 ずっとポンコツだと思っていた夢食いの力が役に立った喜びと餌付けが大成功したことに、リネットの顔がいつの間にか緩んでいた。


「わ……わかりました……! これもきっと何かの縁ですし、自ら首を突っ込んだ責任もありますし。その申し出、お引き受けいたしますっ。ファリアス様の専属バクとして、精一杯頑張らせていただきますっ! あ、あと差し入れも頑張りますっ!」

「本当か……‼ ありがとうっ、リネット! では今日から君は、私の専属秘書兼専属バクだっ‼ よろしく頼むっ」


 歓喜の表情を浮かべたファリアスにぎゅっと手を握りしめられた瞬間、カチリと何かが動き出す音が聞こえた気がした。


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