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【case .5】時を超えた絨毯−2


 翌日、リネットはミラールを引き連れて美術館を訪れた。


「さぁ、こっちです。ミラールさん! 館長にお願いして、特別にあの絨毯を直に触らせてもらえることになったんです!」


 早くミラールに自分が感じ取ったものを伝えたいあまり、ぐいぐいとミラールの背を押して美術館の一角にある展示室へと歩を進めた。ミラールはそんなリネットの勢いに戸惑いながらも、言われるままに展示室へと足を踏み入れたのだった。


「さ、どうぞ。絨毯に直に触れてみてください。館長には許可をいただいているので。……あなたには、そうする資格がちゃんとあるからって」

「資格……? 私に……?」


 そう。この絨毯にミラールが引き寄せられたのは、ある意味必然だった。出会うべくして出会う――いや、再会する運命だったと言ってもいい。だってあの絨毯は、ずっとずっとミラールに出会える日を今か今かと待っていたのだから。


 ミラールは困惑した面持ちで、テーブルの上に広げて置かれたあの絨毯をじっと見つめた。そしてゆっくりとそれに手を伸ばした。


(さぁ、やっとあなたが待っていた人がきてくれたわよ……。伝えたい思いがあるのでしょう? あなたには……)


 リネットは心の中でそっと絨毯に呼びかけた。かつて長い年月をかけてこの絨毯を織り上げた、作者に語りかけるように――。


「ミラールさん。頭と心をからっぽにして、目を閉じて心で感じてみてください。その絨毯に耳を傾けてみて」


 リネットのその言葉にミラールは絨毯をそっとなで、しばらくするとその手がある文様の上で止まった。


「……っ!? こ、これは……」


 何かを感じ取った様子のミラールに、リネットはふわりと微笑んだ。


「この絨毯は、ある女性が三十年以上もの長い年月をかけてたったひとりで織り上げたものだそうです。ゆっくりと時間をかけて、ひと針ひと針心を込めて、願いを込めて――」

「願い……?」


 ミラールの問いかけに、リネットはこくりとうなずいた。


「この願いはミラールさん、あなたに向けられているんですよ。正確には、ミラールさんの一族に向けて、ですけど。……今絨毯に触れてみて、何か感じたのではありませんか? この絨毯から、何かを感じ取ったのでは?」


 そう問いかければ、ミラールの動きが止まった。


「まさか……でも……。そんなこと……。でも……。声が――、聞こえた気がして。あの夢の中で聞いたあの歌声と同じ声が……」


 それは、ミラールに向けて時を超えて届けられた歌声だった。ミラールと同じ血を持つ一族へと向けて届けられたもの。


「これは、あなたのお祖母様が織り上げた絨毯なんです。ミラールさんは覚えていますか? お祖母様のこと。ずぅっと前に、一族の元をひとり離れて遠い町へと旅立ったはずなんですが……」


 するとミラールはしばし言葉を失い、ゆっくりとうなずいた。


「よくは……覚えていないんです。祖母は私がまだ幼い頃に一族に追い出されたのだと聞いています。その原因は……祖母の持つ特別な力を私の一族が恐れたためでした」


 ミラールは話してくれた。自分の一族がかつて祖母にしてきたことを。


「祖母の持つ願いの力は、言霊を現実のものにする力でした……。だからといって別に祖母がおかしな願いを口にしたわけじゃないんです……。ただまわりが勝手に恐れただけで。いつか自分たちを不幸にするんじゃないかって……」


 誰もろくに関わろうとせず、孤立した祖母はひとり寂しく町を出ていった。行き先を誰にも告げず、たったひとりで。


「なんて残酷なことを、とお思いでしょう……。本当に、ひどいことをしたんです。祖母はとても優しく穏やかな人だったのに、何も悪いことをしていない祖母を……私たちは……」


 ミラールはそっと絨毯を手のひらで抱きしめるようになで、涙をこぼしたのだった。


 ミラールの祖母の一生を思い、胸がじくりと痛んだ。

 リネットも同じだった。皆が持っている魔力の代わりに夢食いなんていうおかしな力を持って生まれたことで、どこか周囲から浮いていた。いや、もしかしたら自分が勝手にそう思い込んでいただけなのかもしれない。けれど誰かにそれを指さされるのではないかと、いつもどこか恐れていた。きっとミラールの祖母も同じように感じていたのだろう。だから一族のもとを去ったのだ。


 けれど、この絨毯が長い時を超えてミラールに伝えようとしたもの。ミラールとその一族に残そうとしたもの。それは決して憎しみや恨みなどではなかった。


「ミラールさん、この絨毯はあなたのお祖母様がミラールさんの一族の皆さんへ向けて残したものです。だから私がそれをあなたに伝えます」


 それが自分の役目なのかもしれない。ともに不思議な力を持って生まれた自分が、ミラールの祖母のためにしてあげられること。

 リネットはミラールの手をそっと取り、絨毯に自分の手をかざした。


(お願い……。うまくいきますように……。この絨毯に込められた願いをミラールさんに届けたいの……)


 この絨毯は、壮大な愛の歌だった。脈々と続く血の絆を一枚の絨毯に描き込んだような、そんな歌。それはとてもとても力強く、優しくあたたかなもの。絨毯から感じるそのあたたかな願いを、光の力を使ってミラールへとゆっくりと流し込んでいく。


『どうか一族皆がこの先も幸せでありますように。

 たとえ遠くに離れていても、豊かな人生でありますように。

 どんな苦難にあってもきっと強く乗り越えていけますように。

 あたたかな愛と豊かな心を忘れず生きていけますように』


 そう絨毯は歌っていた。優しく軽やかに、心から願うように。


「……っく。うぅっ……! ふっ……!」


 ミラールは泣いていた。はらはらと頬を伝う涙はとめどなくあふれ、次から次へと落ちていく。


「……ふぅっ! う……、ふっ……。私……あやまりたい……。子どもだったけど、知ってた……。皆がお祖母ちゃんを遠ざけているのを……。あんなに心優しい人だったのに……」


 その涙に、絨毯の願いがしっかりとミラールに届いたことを知った。後悔の涙を流すミラールに、リネットは告げた。


「ミラールさん……。人は弱いんです。きっとお祖母様のことを皆本当に恐れていたわけでもないと思います。ただ受け入れるのが難しかったんです。自分と違うものや知らないものは、不安だから……」


 夢食いの力もきっと一緒だ。自分の力と存在が家族や周囲にこんなにあたたかく受け入れてもらえているのだって、きっと当たり前のことなんかじゃない。


「でもお祖母様は愛を残しました。あなたたちにずっと何世代にも渡って続く大きな愛と幸せを――。恨んだり憎んだりなんてちっともしていないと思います。ミラールさんのお祖母様は、とっても素敵な方だったんですね……」


 残念ながらもうミラールの祖母はこの世にいない。この絨毯を作り上げて間もなく、穏やかに亡くなったらしい。ミラールが祖母に後悔を伝えることは、もうできない。愛を伝えることも、感謝を伝えることも。でも長い時をへて、やっとこうして伝わったのだ。ミラールが見つけてくれたおかげで。


「……私、感じ取れました。たくさんの愛と祈りと、願いを……。私たちの幸せを願う胸が詰まるくらい大きな愛を……。ありがとう、リネットさん。私に祖母の思いを伝えてくれて……」


 ミラールはそう言って、涙を流し続け微笑んだのだった。はるか遠くから届いた願いと真実に、寂しさと喜びとほろ苦い後悔が入り混じった顔で。



 それからしばらくして。


「こんにちは! リネットさん」

「あれ? ミラールさんっ」


 ミラールの依頼を終えてから数ヶ月が過ぎた頃、ミラールが相談所にやってきた。


「実はあなたにお知らせがあってきたの。実は私ね……」


 それはなんと、ミラールがあの美術館に就職したという知らせだった。


「実はあの後祖母の思い出を色々たどって、家族とも色んな話をしたの。そのうちになんだかあの絨毯を、この先の時代にも大事に残していきたいなって思うようになって! それで館長に相談したら……」


 館長はミラールのことを覚えていた。そしてもし良ければこの美術館で、美術品の保全や補修の仕事をしないかと持ちかけたのだ。もちろん勉強も修行も必要だけれど、その覚悟があるのなら、と。


「ふふっ! 人生って不思議ね。お祖母ちゃんに再会してあの贈り物を受け取って、ようやく私の本当の人生が動きはじめた気がするの! 私たち一族が祖母にしてしまったことは消えないけれど、お祖母ちゃんが残してくれたあの見事な絨毯ととびっきり大きな愛と願いをこれからの人生をかけて守っていくつもりよ!」


 そう言って、ミラールはしっかりとした足取りで去っていった。


 違いを超えて、悲しみを超えて、ミラールの祖母が残した大きな愛。自分はそんなふうにこの力を大きな愛にして残していけるだろうか。自分に与えられた夢食いの力を、ちゃんと誰かのためにこの先も使っていけるだろうか。ふとそんなことを思った。



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