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【case .4】未亡人の自分探し−3


 山登りから一週間がたった頃、バルデットが再びやってきた。


「さぁ! リネットさん。そろそろ山登りの疲れも取れた頃でしょ! 今度は町へ行くわよっ。あぁ、それと動きやすい格好に着替えた方がいいわ! パンツスタイルがいいわね」

「へ……? なんでまた……?」


 なぜ町へ行くのにそんな格好にわざわざ着替えなければならないのか、と嫌な予感にかられるリネットである。ともかくバルデットに追い立てられるように町へと向かってみれば――。


「はいっ! じゃあそこで大きく足を上げて敵の胸元を狙って蹴りを繰り出してっ! あぁ、ちょっとリネットさん。もっとぐっと腰を入れてっ! そうですっ! さぁ、もう一度頭からっ」

「……」


 ダンッ! バシンッ!!

 ビシッ! ゴンッ!!


 ここは、町外れにある道場である。リネットはそこで護身術の三日間の体験指南に訪れていた。なんでも最近町でならず者が女性に不埒な真似をする事件が続いているとかで、非力な女性でも身を守れるようにと護身術を習うのが流行っているらしい。


「……あの、バルデット夫人? なんでまた護身術なんか。夫人ほどのお金持ちなら、護衛してくれる人を雇うくらいわけないですよね……?」


 バルデットの軽々と予想を超えてくる斜め上の発想に、リネットはげんなりとした顔を隠そうともせずに問いかけた。するとバルデットはしばし思案したのち。


「そうねぇ……。単純におもしろそうだったから、かしら? ふふっ。だって昔夫に『君は何もないところで転ぶくらいなんだから、あえて危険なことに首を突っ込むな』なんてよく言われたものよ。絶対にこんなことするって言ったら止められたに決まってるもの! だからよっ」


 きっぱりと言い切ったバルデットに、リネットはため息を吐き出した。


(正直まだ山登りのダメージが足に残ってるんだけど……、まぁいいか。これからひとりで結婚せず生き抜くつもりなら、護身術くらい覚えておいて損はないし)


 せっかくの機会だ。こうなったら毒を喰らわば皿までの気持ちで、リネットは気合を入れ直し訓練に励んだのだった。

 そしていよいよ迎えた最終日。


「これにて体験指南は終了ですっ! 皆さん、お疲れ様でした。はじめの頃に比べて、皆さんとてもお上手になりました! 特にリネットさんの上達ぶりといったら、見事なものでしたっ! よく頑張りましたね」


 ともに汗を流した仲間たちの視線が、すっとリネットへと集まった。まさか名指しで褒められるとは思わず、リネットは顔を赤く染め照れ笑いを浮かべた。


「あ……ありがとうございますっ! へへっ」

「ふふっ! では他の皆さんもここで学んだ動きを家でも繰り返して、有事の際にはぜひ役立ててくださいねっ」

「「「「はいっ! 先生、三日間のご指南、ありがとうございましたっ!」」」」


 皆が帰り支度をする中、バルデットがくすくすと笑いながら声をかけてきた。


「リネットさんたら、急にやる気になってびっくりしたわ。一体どういう心境の変化?」

「はは……。実は私この先ずっと独り身を貫くつもりなので、自分の身を守れる力くらい身につけておいた方がいいかなぁ、なんて思いまして……。それでつい本気に……」


 その言葉に、なぜかバルデットの表情がにわかに曇った。


「それってまさか、私が夫との結婚生活が不幸だなんて話をしたから結婚に夢も希望をなくして……とかじゃないわよね……?」


 どこか不安そうなバルデットに、慌てて首を横に振った。


「あぁ、違いますっ! 実は私、魔力なしなんです。なのできっとこの先私を結婚相手に選んでくれる人なんていないだろうし、もしも子どもに恵まれたとしてもその子が私と同じ魔力なしだったらかわいそうだし……。だから……」

「あら……そう、あなた魔力なしなの。でも最近じゃ魔力の有無なんて皆そこまで気にしてないし、ましてあなたは夢食いなんていう素敵な力を持っているんだもの。そう心配する必要ないと思うけど?」

「……そう……ですかね?」


 きっと気を遣ってくれているのだろうバルデットの言葉に曖昧に笑ってみせれば、バルデットはそれきり何も言わず、けれどどこかもの言いたげな表情を浮かべていた。



 その後も残りの日数を目一杯使って、バルデットは乗馬に動物園の飼育体験にとリネットをあちらこちらに引っ張り回した。それはもう休む間もないほどに。

 そしていよいよ最後の日、バルデットは再び相談所へとやってきたのだった。


 コポコポコポコポ……。

 カチャリ……。


 いつものようにお茶を差し出し、バルデットに向かい合う。

 はじめてここへきた時とは打って変わって、バルデットの表情はどこかやわらかい。忙しく動きまわっていたせいか、夜もぐっすりと眠れるようになったらしい。


「いかがでしたか? バルデット夫人。少しは私、お役に立てましたか?」


 リネットはバルデットに問いかけた。

 正直決して楽な依頼ではなかったけれど、今思えば楽しかった気もする。山に登ったおかげであんなに素晴らしい景色を堪能できたし、護身術だって少しは身についたし。……ほんの少しだけど。


 するとバルデットは、すっきりした顔でにっこりと笑った。


「ええ、もちろんよ! あなたのおかげでとっても楽しく充実した一か月間を過ごせたわ。……夫が亡くなってもう私には何もないと悲嘆に暮れていたけれど、これからの人生もそう悪いものじゃなさそうだって思えるようになったもの」

「そうですか。ならよかったです!」


 満足してもらえたのなら本望だとにっこり笑い返せば、バルデットが何かを言いかけそして口をつぐんだ。


「あの……どうかしましたか? 何かやり残したことでも……?」

「いえ……そういうことじゃないんだけど、ただ……」


 バルデットは言い淀み、そして何かを決心したように顔を上げた。


「私、あなたに夫との結婚生活は不幸だったって言ったわよね? あれ、撤回するわ。本当は私、夫を愛していたの……。確かに夫は少し物言いは強引なところもあったけれど、それは全部私のためだったのよ。頼りない私を心配するあまり、あんな態度を取っていたの。不器用だったのよね……」

「心配のあまりって……どういうことですか?」


 バルデットは思い出をたどるように、ぽつりぽつりと話してくれた。


 夫は、箱入り娘として育てられた世間知らずなバルデットを実は深く愛していた。と同時に、どこか向こう見ずなところのあるバルデットをいつも心配していたのだ。年が離れている分自分が先に逝くだろうと予想して、バルデットがひとりでもしっかり生きていけるように生活のあれこれを厳しく教え込んでいたのらしい。


「じゃあ……ご主人はただバルデット夫人の将来を案じて、自分がいなくなってもしっかり幸せに生きていけるようにと厳しい言い方を……?」


 バルデットは泣き笑いの顔でうなずいた。


「本当に不器用な人よね……。あの人が亡くなったあと、屋敷のあちこちからたくさん生活のあれやこれやを記した手紙がわんさか出てきたわ。あれをしろだのこれに気をつけろだの……。あの屋敷だって遺産だって、私が何不自由なく残りの人生を生きられるようにってしっかり管理されていたわ」


 バルデットの頬を、涙が一滴伝って落ちた。


「夫婦って不思議ね……。まったく違うところで生まれ育って、考え方も好きなものも違うのにどうしてか引き合って……。あの人を父親にしてあげられなかったことも、あの人との子どもを産めなかったことも残念で……。でも……」


 バルデットはカップの淵をそっとなぞり、ふわりと微笑んだ。


「でも……私あの人と結婚して幸せだったわ。今もそう……。あの人がいなくてとても寂しいけれど、今も近くに感じられる気がするの。きっと体はなくなってしまったけれど、この先の人生も私が生きている限りずっと魂は一緒なんだわ……。だから私、決めたの。あの人との思い出をたどりながら、一緒に色んなことに挑戦して残りの人生も楽しく元気に生きていこうって……!」


 そう告げたバルデットの顔は、生き生きと輝いていた。


「でもちょっと自信がなかったの。自分で決めてあれやこれやしてみるなんて、はじめてで。だからあなたに付き合ってもらったのよ。おかげで本当に楽しかったし、これからも生き生きとやっていけるって自信がついたわ! ありがとう、リネットさん」

「いえ、こちらこそ……! 貴重な体験をさせていただきました。バルデット夫人ならきっと、とても素敵な人生をこの先も送れると思いますっ!」


 今のバルデットを、リネットはとてもきれいだと思った。とてもとても幸せそうな、満ち足りた微笑みだと。そんなバルデットのこの先の人生がどうか幸せで楽しいものでありますように、とリネットは心から願った。


 帰り際、バルデットは真剣な表情を浮かべ振り返った。


「……リネットさん、あなたこの間言ってたわよね。自分は魔力なしだからこの先誰にも選んでもらえず結婚もできないって。だからひとりで生きていくんだって……」


 リネットは小さくうなずいた。


「私はね、あなたが誰にも選んでもらえないような人だなんて決して思わないわ。だってあなたは本当に素敵な人だもの。それにね、どんな力を持っているかなんて本当の愛の前では些末なことよ。愛の前には何も敵わないし、決して揺らがないの」


 バルデットの顔には、母性を感じさせるようなあたたかな微笑みが浮かんでいた。


「きっとあなたもいつか、素敵な愛を知る時がくるわ。きっとね……。だからその時は恐れずに、しっかりと心の声を聞いて愛をきちんとつかまえるのよ。大丈夫、あなたならきっと誰よりも幸せになれるわ。……そのことをどうか決して忘れないでね。かわいいお人好しバクさん」


 そう言って、バルデットは去っていった。

 バルデットの残したその言葉が、リネットの胸の中でじんわりと小さなろうそくの火のように揺れた。



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