特大プリンと流れ星
「リネット! 明後日の夜は空いているか?」
「明後日……ですか? 特に相談の依頼も入ってませんし、予定は特にありませんけど。……なんでそんなに憂鬱そうなんですか? ファリアス様」
いつにも増して仏頂面のファリアスに、リネットは首を傾げた。
「実はな……。デモルド社のフォーリ会長がバクの森に湯治にきたいらしくてな。そのついでに久しぶりに一緒に食事でもどうかと誘ってきたんだよ……。しかもミルジアのお供付きで」
「えっ、ミルジア様も!?」
ファリアスはこくり、とうなずいた。
なるほど、そういうことならファリアスの浮かない顔にも納得がいく。例の一件以来どうもファリアスはミルジアのことが苦手らしい。けれど複雑な気持ちという意味ではリネットもそう変わりはない。
(ミルジア様、もしかしてファリアス様のことがあきらめられなくて会いたくなったのかしら……。それとも、あの時次に会う時は友だちになりたいなんて言ってたけど……)
そんなことをぐるぐると考え逡巡していると。
「君もきてくれる……だろう? リネット。ミルジアもぜひ君にも会いたいと言っているし、私としても君が同席してくれたら嬉しいんだが……」
お人好しの性質をいかにもくすぐるその子犬のような懇願に、リネットは小さくうなった。
「ちなみにその店は、特製プリンが実にうまいと評判らしい。一緒にきてくれるというのなら、君の分は特大サイズで注文しておこう!」
「はっ……! 特大サイズの……プリン!?」
リネットの目が輝いた。ぐぬぬともう一声うなり、リネットはついにあきらめた。
「わかりました。ご一緒させていただきます……」
決して大好物の誘惑に負けたわけではない。ただ、ほんの少し気になるだけだ。ミルジアがまだファリアスに心を残していないとも限らないし、うっかりこちらの恋心について口を滑らせないとも限らないし。
そう言い聞かせこくりとうなずけば、ファリアスがにやりと笑みを浮かべたのだった。
その数日後――。
「やぁ、君が例のバクのモデルだったとはな! 今では巷中でバクが大人気だというではないか! はっはっはっはっ!」
「はは……」
立派な白いひげをなでながら豪快に笑うフォーリの隣で、相変わらずの美しさと余裕を漂わせたミルジアがにっこりと微笑んだ。
「お久しぶりね、リネットさん。また会えて嬉しいわ。あなたとはまだ色々と話したいことがあるもの。今夜はたくさんお話しましょうね? ふふっ」
「は、はいぃ……」
こうしてフォーリとミルジア、そしてファリアスとリネットの四人の会食ははじまったのだった。
久しぶりのフォーリとミルジアとの再会は、思いの外和やかに楽しく進んだ。ミルジアもすこぶるご機嫌で、以前のような挑発的な態度やファリアスに向ける熱っぽい視線など微塵も感じられない。そしてどうやらあの言葉も冗談などではなかったようで――。
「リネットさん、今度一緒に町に遊びに行きませんこと? そうねぇ……。たとえばリネットさんのお気に入りのお店とか!」
「へっ!? 私のお気に入りの店……ですか?」
「そう言えば東通りに新しくできたベーカリーの評判は聞きまして? フルーツサンドがとてもおいしいと噂なんですって! 今度一緒に行きましょうね。リネットさん」
「あ、はい! いいですねっ」
ミルジアはファリアスには目もくれず、ひたすらリネット相手に話しかけてきていた。その何の曇りも感じられない楽しげな様子からするに、本当にファリアスへの思いは振り切れたようである。そのことに安堵して、リネットも心からミルジアとの会話を楽しんだのだった。
そしていよいよ念願のデザートタイムが訪れた。ふわり、と甘い匂いを漂わせて自分の前に置かれたそれに、リネットの目は歓喜に輝いた。
「……っ!! い、いただきますっ!!」
ごくりとつばを飲み込み、あーんと大きな口で頬張れば。
「んーっ!! おいひいですっ! ここのプリン、本当においしいですねっ。ファリアス様っ」
思わず歓喜の声をもらせば、ファリアスが小さく噴き出したのが聞こえた。そして聞こえてきたのはもうひとつの笑い声。
「ふふふっ! もしかしてリネットさん、プリンがお好きなの? すごく嬉しそうね。ふふっ」
我慢しきれないといったふうに噴き出したミルジアに、リネットの頬が赤く染まった。見ればフォーリもまるで小さな子を見守るような表情でこちらを見つめている。
「は……はぁ……。実はそうなんです……。へへっ。プリンとなるとつい夢中に……」
恥ずかしさに身を縮こまらせつつそう答えれば、ミルジアがちらとファリアスに意味ありげに視線を送った。
「……もしかしてリネットさんだけ特大サイズなのは、いつもそばで頑張ってくれている大事な秘書さんへのねぎらいかしら?」
「っ!? ……ごほっ! げほっ!!」
「……まぁ、ふふふふっ! あなたたち、相変わらず仲がいいのね。甘過ぎて見てられませんわ。ねっ、リネットさんっ! ふふっ」
「ごふっ!!」
突然にむせ返るファリアスに失笑しながら、ミルジアがにっこりと微笑んだ。
「ふふっ! リネットさん、よろしければ私の分もどうぞ召し上がって? それと今度私のお薦めプリンも差し入れいたしますわねっ!」
「ほっ、本当ですかっ!! ありがとうございますっ!」
「そんなに好きなら、わしのもお食べ。甘いものはどうも苦手でね……」
「えっ!?」
「……げほっ、ごほっ! もちろん私のも君にやろう。リネット」
「えええっ!?」
気がつけば目の前に特大サイズのプリンと三人分のプリンがぷるるん、と揺れていた。
(特大プリンに普通サイズのプリンが三人前って……。散々他のお料理を食べたあとだし、さすがにこんなには食べれないんだけど……)
顔をひきつらせて助けを求めるようにファリアスに視線を移したものの、ファリアスも他の面々も嬉しそうにこちらを眺めるばかり。こちらの気持ちなど汲み取ってくれそうにない空気に、リネットは必死にプリンを口に運んだのだった。
そして会食は和やかな空気のまま終わり、その帰り道。
リネットはファリアスとふたり、ひんやりとした夜風に吹かれながら腹ごなしの散歩をしていた。
「……? どうかしましたか、ファリアス様」
突然に足をぴたりと止めたファリアスは、いつになくやわらかな表情でぽつりぽつりと店先や家々に明かりの灯った町を見つめていた。
「いや……、ただなんだか不思議だなと思ってな」
「不思議……?」
「去年の今頃はひとりで毎晩景色には目もくれず必死に歩き回っていた町を、今こうして君と一緒にこんな気持ちで歩けることがなんだかとても特別なことのように思えて……。こんなにも町明かりというものは美しかったんだな」
リネットはファリアスの隣に並んで、町を見やった。
街灯の灯る道を、家路へと急ぐ人たち。店じまいに追われる店主や、そっと寄り添いデートを楽しむ恋人たちの姿も見える。そんな当たり前の光景がそこには広がっていた。
「そうですね……。私も父がギックリ腰なんかにならなければ、ユイール家で働くなんて思いもしませんでしたから。まして専属バクなんて……」
「それが今では夢バク相談所の所長だからな。人生というものはいつ何が起きるかわからないものだな……。きっと私も君と出会っていなければ、今頃トランに富裕層向けの豪華な施設を建てて仕事漬けの毎日を送っていただろうし。それがまさかあんなバクだらけの施設になるとは……。くくっ!!」
おかしそうに肩を揺らし笑うファリアスに、リネットはほんの少し頬をふくらませた。けれどそんなファリアスのリラックスした嬉しそうな姿に、ほわりと微笑んだ。
感慨深い気持ちでふたり並んで町を見渡していると、ファリアスが口を開いた。
「そう言えば、以前言ったことを覚えているか? 君にどうしても助けが必要になった時には、いつだってどこにいたって私がかけつけて助けると言ったのを……」
頬を染め、こくりとうなずく。
もちろん忘れるはずがない。だってあの時の言葉が、今の道に踏み出す不安を打ち消して背中を押してくれたのだから。
「そうか。ならこの先もずっと忘れずにいてくれ。約束は必ず守る。私が君を絶対に守ってみせるから、だからこれから先もそばにいてくれ。その……相棒、として……。君は……私にとってとても……」
ファリアスがこちらを向いた。じっと注がれる視線にどこか熱を感じて、リネットの胸がドキリと音を立てた。
「とても……? なんですか? ファリアス様」
起こるはずのない期待に、胸が騒ぐ。ファリアスはしばらく「だから……その……つまり……」なんてもごもご口ごもっていたけれど。
「とても……。つまりだなっ! 君は私にとってとても大事な相棒ということだっ! これから先も、君が一緒に歩んでくれたら助かるっ。だから困った時にはあの言葉を思い出してくれっ! いいなっ」
期待していたものとは違うけれどじんわりと胸にあたたかさを灯すその言葉に、リネットは小さく苦笑しうなずいた。
「もちろんですっ! なんたって私はファリアス様の……相棒、ですからねっ! 私も、ファリアス様が助けを必要な時はいつでもどこにでも飛んでいきます。忘れないでくださいね。私、どんな時でもファリアス様のそばにいますから……」
願うような気持ちで言葉に出せない恋心を口にしたリネットに、ファリアスが耳先を真っ赤に染めてふわりと微笑んだ。
「あぁ、よろしく頼む。……リネット」
見つめ合うふたりの頭上を、キラリとひと粒の星が夜の闇を流れていった。




