【case .3】ユマルの笛−2
(いたいた……! あれがトーバリーさんね……。ん? 気のせいか、ユマルさんと雰囲気がどこか似ているような……)
ユマルは、メラ地方特有のはっきりした目鼻立ちをしている。トーバリーの顔立ちがそれと同じタイプというわけではないのだが、身にまとう雰囲気というか独特の空気感がどこか似通っているような印象を覚えた。不思議に思いながら首を傾げていると。
「何かお探しで?」
トーバリーがこちらに気づき、声をかけてきた。
慌てて目の前にあった万年筆を手に取り、ぎこちなく笑顔を取り繕う。
「あっ……えっと、そうですね……! これなんかとてもいいなぁって……」
「万年筆をお探しなのですか? でしたらこちらの品はとてもおすすめですよ。非常に手に馴染むと評判ですから」
そう言われてまじまじと見てみれば確かに手にしっくりくる感じがして、ファリアスがいかにも使っていそうだな、なんて思ったりする。
「あとはこちらの品なども……。……っと、失礼しました!」
その瞬間、まったくの偶然ながらトーバリーの指先がリネットの手の甲にぶつかった。その瞬間、頭の中に何かが聞こえた気がした。そしてカラフルな色にあふれた光景も。
(……へ? 今の音ってもしかして……??)
ほんの一瞬流れ込んできたその音に驚き、目を瞬かせていると。
「あの……どうかされましたか?」
トーバリーにけげんそうな顔でのぞき込まれ、リネットは慌てて頭を振った。そして。
「ええと、……もう少し他の品も見てからにします! で……ではっ!」
リネットはそのまま店を飛び出したのだった。
翌日、リネットはユマルを相談所に呼び出した。
「わかりましたよ! どうしてトーバリーさんがユマルさんを避けているのか……。あ、あとなぜユマルさんがトーバリーさんに懐かしさを覚えたのかも」
「避ける!? トーバリーさんが私を嫌っているのではなくて??」
戸惑いと驚きの表情を浮かべるユマルに、リネットはにっこりと満面の笑みを浮かべ話して聞かせたのだった。あの日トーバリーに偶然触れた瞬間に見えた、トーバリーの心の中について――。
「トーバリーさんはきっと、昔ユマルさんと会ったことがあるんじゃないかと思いますよ。だって感じたんです。トーバリーさんの心の中からきれいな笛の音と、ユマルさんの夢で見たのと同じメラの景色が」
「ええっ⁉ そんなはずは……?」
「それに、あとでこっそり店主さんに聞いたら話してくれましたよ。それによると……」
リネットは店主をこっそりつかまえてこう聞いたのだ。『メラ地方に伝わる伝統的な男性用の小物を探しているのだけれど、詳しい店員さんはこの店にはいるかしら?』と。すると意外なことが判明したのだ。
「なんでもトーバリーさんは子どもの頃ほんの短い間だけですけど、お父さんのご病気の関係でメラで暮らしていたことがあるそうです。その後お父さんが亡くなってメラを離れたそうですけど」
けれどなぜかトーバリーは、自分がメラ地方出身だということを隠している様子だったという。その理由は多分。
「一緒にお酒を飲んだ時、一度だけぽつりともらしたことがあったらしいんです。トーバリーさんがメラを離れる時、ある女の子が大事にしていた笛を内緒で持って行ってしまってそれを今も後悔しているんだって」
「……笛を? ある女の子から……??」
その瞬間、ユマルの顔にはっとした驚きと喜びの色が広がった。
「……あぁ。……そう。そうだったの……。だからあの人は……」
ユマルの顔はふわりと微笑むと、すくっと立ち上がった。
「私……話してみます。トーバリーさんと……! きっと私とあの人の間に、誤解があるはずだもの……。それじゃあっ」
そう言うと、ユマルは相談所を足取り軽く出て行った。その後ろ姿にリネットは声援を送った。「うまくいくといいですね……! いってらっしゃい」と――。
数日後、ユマルは相談所にやってきた。なんとトーバリーとふたりで。
「ふふっ! いらっしゃいませ。ユマルさん! トーバリーさん」
そしてあの後、ふたりでどんな会話が交わされたのかを話してくれたのだった。
「私たち、同じメラにいたんです! ほんの短い間でしたけど、一緒にメラで暮らしていたんです」
そう言ってユマルはトーバリーと顔を見合わせ、ふふふっ、と笑った。
当時ふたりともやっと十才に届くくらいの年齢で、ユマルは近づいていた祭りのために毎日笛の練習に励んでいたらしい。その様子をいつも少し離れたところから見ていた男の子がいたのだと。それがトーバリーだった。
トーバリーは頭をかきながら、照れくさそうに話してくれた。
「当時、父の看病の合間にユマルさんの笛の音を聴くのが唯一の楽しみだったんです。なんだか張り詰めていた思いが和らぐ気がして……。まさかのぞいているのを気づかれているなんて思いもせず……」
「ふふっ!! よく覚えてます。いつもとても気持ちよさそうに笛を聴きにきてくれる男の子がいるなぁって。それが応援されているみたいで、なんだか嬉しくて」
ユマルが懐かしそうにふわりと微笑んだ。
けれどそんな時間はそう長くは続かなかったらしい。とうとう父が亡くなり母親とともにメラを出ていくことが決まったトーバリーは、ある日。
「もう二度とあの笛を聴けなくなるんだと思ったら、つい彼女が置き忘れた笛を持ち去ってしまって……。後で激しく後悔しました……。でも今さら返す術もなくメラを離れ――そして、あの店で彼女と再会したんです」
初対面の時、メラの出身で笛を吹くのが趣味だと聞いた時すぐにわかったらしい。あの時の少女だと。だからこそ自分の正体を知られまいとして、ついあんなひどい態度を取るにいたったのだとトーバリーは語った。けれどこれには裏話があって。
「実はトーバリーさんが取っていった笛は、練習用のものなんです。本番ではきれいに装飾された特別なものを使うので。……それに私、あの時少し嬉しかったんです」
ユマルはくすりと笑いトーバリーを見た。
「笛が失くなった時、あの男の子がこの笛を持っていったのならいいなぁって。あの子が遠くメラを離れてもこの笛を見て私の笛の音色を思い出して、元気になってくれたらいいなって……」
当時トーバリーの置かれた状況をそれとなく知ってはいたものの、気遣う言葉ひとつかけてやれなかったことをずっと後悔していたのだと。だからせめてあの笛を思い出して、遠い空の下で元気になってくれたらいいな、と思っていたと――。
「だからとても嬉しいの。あなたがあの笛を今も忘れずにいてくれて――。もう一度こうして会うことができて、とっても……」
「ユマルさん……」
そしてふたりはほんのりと頬を染めたのだった。
「なるほど。じゃあその笛が、おふたりをもう一度会わせてくれたのかもしれませんね! 良かったですね。ユマルさん、トーバリーさん!」
そう言ってにっこり微笑んでみせれば、ユマルとトーバリーは嬉しそうにこくりとうなずいたのだった。こうしてすべての謎が解けた、その帰り際。
「それじゃあ、この辺で。リネットさん、この度はこんなおかしな依頼を引き受けてくださってありがとう! おかげで夢の謎も解けたし、素敵な再会も果たせたわ」
「私からもお礼を言わせてください。これで長年の胸のつかえが下りました……!」
そう言って幸せそうな顔で去っていったふたりの後ろ姿に、ふと思った。
きっとユマルとトーバリーは、これから幸せな恋を育んでいくに違いない。もしかしたら、結婚だって――。そんな幸せそうな予感を抱かせるふたりの姿は、ファリアスへの叶わない恋心を抱いているリネットにどこかほろ苦く感じられた。




