【case .3】ユマルの笛−1
静かな森に囲まれた小さな建物。辺りでは鳥たちが楽しげにさえずり、木々の間を穏やかに風が吹き抜けていく。そんなのどかな場所にやってくるのは、夢にまつわるお悩みを抱えた困り人たち。
そして今日もまた、扉をノックする困り人がひとり――。
「……あの、ここで夢の悩みを解決してくださるとお聞きしたんですけど」
キイ、という小さな音を立てて開いた扉からおずおずと年若い女性が顔をのぞかせているのに気づき、リネットは慌てて立ち上がった。
「いらっしゃいませっ。ようこそ『夢バクお悩み相談所』へ! どんなお困りごとですか?」
こぽこぽこぽこぽ……。コトリ……。
ふわりと良い香りを漂わせながら、女性にカップを差し出す。
「さぁ、どうぞ。季節の変わり目にぴったりの特製ティーですよ。マダムロザリーおすすめのローズヒップやハーブがブレンドしてあるんです」
「あ……ありがとう……」
装飾品や文房具などを扱う店で働くユマルというその女性は、ためらいがちに口を開いた。
「……実は私、最近おかしな夢を見るんです。職場で苦手な人がいるのですが、なぜかその人が毎晩のように夢に出てきて……。……しかもどうしてか、私はその人に一生懸命話しかけてるんです……。それがなんだかとても不思議で……」
なんでも同僚であるトーバリーという青年は、なぜか自分にだけ冷たく素っ気ない態度で接してくるらしい。それがなんだか腹立たしくてならばこちらも、と距離を置いているのだと話してくれた。
「なぜそんな嫌いな人のことをこうも繰り返し夢に見るのか理解できなくて……。しかも自分から必死に話しかけているなんておかしいなって。でもこんなこと、夢をどうにかできる力があるとはいってもどうにもできません……よね?」
ユマルはそう言うと、私を困ったように見つめたのだった。
大嫌いな人の夢を見ること自体は、別に珍しいことじゃない。でも確かに、夢の中でわざわざ嫌いな相手に自分から話しかけにいくというのは少々不思議ではある。
「そのトーバリーという方は、初めからユマルさんに対してそんな態度を?」
「いえ……最初に挨拶した時は普通だったんですけど、少し話すうちに急に顔色が変わって……。それからですね」
「……? 何の話をされたんです?」
ユマルは首を傾げしばし考え込んだ後。
「……笛の話をしていた気がします」
「……笛、ですか??」
「はい。私は北方にあるメラという地方の出で、そこでは固い木をくり抜いて作った笛をお祭りの時なんかに演奏するのが習わしなんです。私の家は代々その演奏家で……。今も時々その笛を吹くのが私の趣味なんです」
メラはここからずいぶん遠く離れた地だ。長い年月をかけて織られた敷物とかとてもかわいらしいカラフルな配色の民族衣装が有名だったはず。 その笛は一体どんな音色がするのだろう、と思わずうっとり想像しながらリネットはユマルに問いかけた。
「それはとても素敵でしょうねぇ……! ……ではその話をして以来トーバリーさんは冷たい態度を取り始めたんですね?」
こくりとうなずくユマルの顔は、どこか沈んで見えた。
「わかりました……。ではもしこの件を正式にご依頼されたいということでしたら、まずはユマルさんの夢を見せていただきたいんですが……」
なにはともあれ、夢を見てみないことには何もはじまらない。そうすればユマル自身も気づいていない何かを発見できるかもしれない。そう提案してみれば、ユマルの目が大きく見開かれた。
「……夢を……見る??」
リネットが自分の力を簡単に説明すると、ユマルはなんとも信じられないといった微妙な顔をしてしばし考え込んだのち。
「わかりました。ではよろしくお願いします……」
どこか不安そうな表情を浮かべながらも、こくりとうなずいたのだった。
「さぁ、では目を閉じてリラックスしてくださいね……」
目をつむるユマルを確認し、そっとその手に触れる。そしてそこから流れ込む夢の記憶に意識を集中させれば、目にも鮮やかな夢の世界が飛び込んできた。
(うわぁ……! なんてカラフル。もしかしてこれがメラ地方の民族衣装かしらっ? かっわいいーっ!!)
きっとメラ地方の色彩感覚なのだろう。ユマルの夢世界の美しさに、リネットは思わず歓喜の声を上げそうになった。
夢世界というのは本当に人それぞれだ。中にはモノクロに近い人もいるし、びっくりするくらい色んなものが雑多に詰め込まれたにぎやかな世界もある。きっとその人がこの世に生まれてから見聞きしてきたもの、通ってきたもの、人生で見た景色などが反映されているのだろう。
(すっごくかわいいっ。こんな夢の中ならつい長くいたくなっちゃう! ……っと、あれは?)
カラフルな世界に突如現れたそれに、はっとする。
(これが噂のトーバリーさんね……)
そこだけなぜか沈んだ色をした一角に、ひとりの青年が立っていた。その青年に向かって、ユマルが何かを必死に呼びかけているのだ。何度も、何度も。けれど青年の口元は固く引き結ばれていて、何の反応を示すでもなくただじっとそこに立っているだけ。なのに、ユマルはあきらめることなく繰り返し声をかけ続けているのだった。その姿はなんだか痛々しいくらいに必死で。
(ふむ……。ユマルさんはトーバリーさんのことを嫌いって言っていたけど、だとしたらちょっと変ね。だってユマルさんの顔、どう見たって嫌いな人に向ける表情じゃないもの。どちらかというと……)
そして、違和感はもうひとつ。それは――。
リネットは夢から現実へと戻り、目を閉じていたユマルの肩をぽん、と叩き声をかけた。
「夢を見せていただき、ありがとうございました。それで、ええと……」
きょとんとした顔のユマルに、思わず言い淀む。
「これは私が夢で感じたことなんですけど……。ユマルさん、あなたはそれほどトーバリーさんのことを嫌ってはいらっしゃいません……よね? むしろもう少しお近づきになりたいな、なんて思ってらっしゃるように感じたんですが……」
「……え?」
夢で感じた違和感は、ユマルの心に漂う戸惑いと寂しさだった。それはどう考えても苛立ちとか嫌悪といったものではなく、もっと相手のことを知りたいとか、近づきたいという気持ちだった。
リネットのその言葉に、ユマルはかちんと固まり黙り込んだ。
「……」
「ええと……、違っていたらごめんなさい……。なんとなくそんな気がして……」
するとユマルは少しためらいがちに口を開いた。
「……実は私、彼にはじめて会った時、懐かしい感じがしたんです。昔どこかで会ったことがあるようなそんな気がして。だからもしかして仲良くなれるかしら、なんて思ったんです。でも実際は……」
「真逆の態度を取られてしまった……」
ユマルはこくり、とうなずいた。
もしかして仲良くなれるんじゃないかと感じた直後に冷たい態度を取られたら、それはショックだろう。しかもそれ以来ろくに目を合わせてもくれないし、挨拶すら返さずにそっぽを向かれてしまうことすらあるらしい。そのたびに心が傷ついて、気にすまいと思えば思うほどなぜそんな態度を取られるのか気になって夢にまで見るようになったのだった。
「私、馬鹿みたい……。きっと彼は嫌いなんでしょうね、私のことが。だからあんな冷たい態度を……。なのにわざわざこんなところまできて、相談なんかして……」
もしかしたらユマルは、トーバリーに恋心を抱いているのかもしれない。もしそうならユマルが夢に見るほどトーバリーのことが頭から離れないのも理解できる。
「……えぇと、ならこうしませんか? 私にはユマルさんの気持ちもトーバリーさんのお気持ちをどうにかすることはできませんけど、私がさりげなくお店に行ってトーバリーさんの様子を調べてみるというのは? あぁっ、別にユマルさんのことをお話したりはしませんよ! 客として観察するだけです!」
夢を通して力になることはできなくても、もしかしたら実際にトーバリーに会ってみれば何かわかるかもしれない。そんな予感がして、そう提案してみれば。
「リネットさんが……お店に……?? それはまぁ……かまいませんけど」
ユマルはためらいながらも、こくりとうなずいてくれた。
「ではさっそく明日、こっそりお店に偵察に行ってみますね。……あ! ユマルさんはもし私を見かけても知らんぷりしてくださいねっ。ではそういうことで!!」
こうしてあくる日、リネットはユマルの働いている店へと出向いたのだった。




