【case .2】少年と犬−1
相談所を開所してからしばらくが過ぎ、リネットは暇を持て余していた。
「むぅ~ん……」
ため息とも文句ともつかない声を小さくもらし、リネットは机の上に突っ伏した。
相変わらずファリアスの秘書としての仕事はたっぷりある。であるから物理的に暇、ということもないのだが、相談所には閑古鳥が鳴いていた。
依頼がないということは、言い換えれば世界中の人が安眠できているということでもある。それはもちろんとっても素敵なことだけれど、仕事として考えれば大問題である。
しょんぼりと肩を落とすリネットを見かねたファリアスが、やれやれとため息をついた。
「もっと宣伝を打ってみたらどうだ? 町でビラでも配れば、相談者の目に留まりやすくなるんじゃないか? どんなにいい品でも求める層の目に止まらなければ、何の意味もないからな」
「……はっ!!」
言われてみればそうである。人がたくさん集まるバクの森にビラを置けば十分だと思っていたけれど、客たちは皆温泉と自然に存分に癒やされて帰るのだ。家につく頃にはすっかり悩みも吹き飛んで、相談所のことなんて忘れているだろう。
「盲点でした……。そうと決まればさっそくビラを作って、週末は町でビラを配りまくってきますっっ」
こうしてリネットは大量のビラを抱え、意気揚々と町へくり出したのだったのだけれど――。
ピチチチチチ……。ピチュピチュピチュ……。
バサササササッ……!!
鳥たちが遠くへと飛び去っていく音が聞こえる。どうやら鳥たちさえもこんな小さな相談所になんて用はないらしい。
「誰もこない……。さてはビラに問題が?? それとも私の外見がぽーっとしてるせいで、あまりに頼りないとか!?」
『あなたを悩ませている夢、不眠のお悩みはございませんか? お困りのことがございましたらお気軽にご相談ください。夢バクがあなたのお悩み、解決します! 夢バクお悩み相談所所長 リネット・ノーマ』
そう書かれたビラを一枚手に取り、もう何度目かの大きなため息を吐き出したその時――。
「ワンワンッ!」
「……あ! こらっ、大きな声出すなって……!! 静かにっ……!」
外から聞こえてきた元気な犬の鳴き声とヒソヒソ声に、リネットは首を傾げた。
そっと立ち上がり窓のそばへと寄ってみれば、窓の外に誰かの頭のてっぺんがのぞいていた。その人物に気づかれないよう足音を忍ばせバッと勢いよく扉を開けてみれば、そこには――。
「うわぁっ!!」
「ウワォンッ!!」
急に姿を現したリネットに、少年が勢いよく地面に尻もちをついた。そしてかたわらには木箱で作った車のようなものに乗せられた犬が、こちらをキラキラとした目で見つめて鎮座していたのだった。
「ええっと……もしかして道に迷っちゃった?」
もしや広大なバクの森で家族とはぐれてしまった迷子かと声をかけてみれば、少年はこちらをじろりと見上げふん、とおもしろくなさそうに鼻を鳴らした。
「子どもだからって安易に迷子扱いすんなよなっ! 俺の名前はミゲル、こっちは相棒のハルト。俺はお前に仕事を依頼しにきたんだっ! あんただろ? このビラ配ってたの」
ミゲルがそう言ってポケットから取り出したのは、まぎれもなく先日町で配ったばかりのビラだった。
「あぁっ! そうだったのっ。ご相談なら中へどうぞっ。詳しいお話をお伺いします!」
少年と犬とは言え、待ちに待った相談者に変わりはない。リネットは目を輝かせ、意気揚々とミゲルとハルトを中へと招き入れた。
「さ、ミルクとお水をどうぞ。……それで、ミゲル君は今日はどんなお悩みで?」
ミルクの注がれたカップと水を入れた皿をそれぞれの前に置き、向き直った。するとミゲルは、傍らに置いた箱の中でこちらをきゅるんと見上げているハルトを指さした。
「名前、呼び捨てでいいよ。……困ってるのは俺じゃない。ハルトのことで相談があるんだ」
「……ハルトの?」
どうやら今度の相談者は犬らしい。思わず目を瞬せば、ミゲルは真剣な顔で語りだした。
「俺とハルトは生まれた時からずっと一緒でさ。寝る時もごはんの時も、母さんに怒られて家を飛び出した時だってずっと一緒で……。俺の親友なんだ、すごく大事な。でも、半年前……」
ミゲルの表情に暗い陰がよぎった。
「俺……その日友だちと約束があってさ。急いで待ち合わせ場所に行こうとして、ハルトと一緒に出かけたんだけど……」
それは一瞬の出来事だった。ミゲルは急いで道を渡ろうとして、左右の確認を十分にしないまま道に飛び出してしまった。その時運悪く一台の荷馬車が走ってきて、ミゲルに迫った。
けれど、実際に荷馬車にひかれたのは――。
ギャンッ……!!
痛々しい鳴き声にはっと目を向ければ、そこには脚からひどく血を流して倒れ込んだハルトがいた。
「ハルトは俺の身代わりになったんだ。医者にはもうハルトは二度と自分の脚で歩くことも走ることもできないって言われて、それ以来こうして木箱で……」
ミゲルの両目からぽろり、と涙が一粒こぼれ落ちたのに気がつき、ハルトが心配そうに「クゥゥゥン……」と小さく鳴き声をあげた。
ミゲルは自分の服の袖でぐいっと顔を拭い、顔を上げると。
「そのハルトがさ、ここ数ヶ月毎日のように寝ながら苦しそうにうなってるんだ……。医者に診せてもどこも悪くないって言うし、だからなんか悪い夢でも見てるのかなって……。だから……」
そう言うと、ミゲルはズボンのポケットの中から無造作にむき出しのお金を取り出した。
「足りない分は、掃除でもお使いでもなんでもするよ! だから……お願いだ。ハルトを見てやって! お前、夢で悩んでる人を助けてくれるんだろ!? ならハルトの夢を見てやってくれよ。もし何かで苦しんでるなら、助けてやって!!」
ミゲルはそう言って頭を下げたのだった。
リネットはテーブルの上に並んだ硬貨にちらと目を向けた。そこに散らばっていた硬貨全部合わせても、せいぜい飴玉がいくつか買えるくらいしかない。
でももちろんそんなのは問題じゃない。問題があるとすればそれは――。
ふと見れば、木箱の中でこちらをじっと見つめるハルトと目があった。
(犬の夢って……、人と同じようにのぞけるのかな……。犬の夢なんて見たこと、さすがにないんだけど……)
リネットはしばし考え込んだ。
けれどこんなに必死なお願いを無視することも、何かで苦しんでいるかもしれないハルトを放っておくこともできない。となれば――。
「……わかりました! うまくいくかはわからないけど、とにかく一度ハルトの夢をのぞいてみるわねっ。ということで、よろしくね。ミゲル、ハルト!」
にっこり笑顔でそう答えれば、ミゲルは子どもらしいあどけない顔でほっとしたように笑ったのだった。




