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さっそく仕事が決まったと報告すれば、家族の顔がにわかに渋くなった。
「……? どうしたの。お母様もお父様もそんな顔をして……? ディルまでなんでそんな心配そうなの??」
涙目でディルがぼそぼそとつぶやいた。
「……その人、遊び人だという噂があるのでしょう? そんな男のいる屋敷に姉様がいくのは、僕は……僕は、心配です……! もしリネット姉様に万が一のことがあったら……!」
「なぁんだ、そんなこと! 大丈夫よ、ディル。そこまで感じの悪い人ではなかったし、なんなら私のことを女性として見てないと思うの。あなたが心配するようなこと、万が一もなさそうだから安心して?」
「……それはそれでどうなのですか。リネット姉様……」
「ぐっ……」
鋭い突っ込みに思わずくぐもったうめき声をあげれば、今度は後ろからぐすん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。
「住み込みだなんて、本当に大丈夫かしら……。そんな遅い時間まで……。それにこの家にあなたがいないなんて寂しいわ……」
「す……すまない……。これも私がギックリ腰になんてなったせいで……。すまんっ、リネット。許じでぐでぇぇぇぇっ……!」
おいおいと泣き出した両親につられディルまでぽろぽろと涙をこぼしはじめたのを見て、リネットはうろたえた。
「ちょっとお父様っ、お母様までっ。ディルも泣かなくたって大丈夫よ? すぐにお金が用立てられたら戻ってくるからっ」
「リネット姉様〜っ! 僕……僕、心配です〜っ!」
「もうっ、本当にちょっとの間なんだし大丈夫だったら! ちょっとお父様、本当にそんなに泣いたら腰に……!」
その瞬間、父の顔がピキリと引きつった。
「……んぐぉっ!? こ……腰がっ!!」
「大丈夫っ? あなたっ」
「もうっ、だから言ったのにっ!」
その夜、子どもたちが寝静まったあと夫婦の寝室では――。
「私は情けない父親だ。ただでさえ苦労をかけているというのに、今度は娘をひとり知らぬ屋敷へと住み込ませるなど……」
オットーの口からこぼれ落ちた深いため息に、マリアがそっと肩に手を置いた。
「ほんの一時のことよ。私も看病しながらできる内職をいくつかかけもちして頑張るわ。だからあなたは腰を治すことに専念してちょうだい。治ったらまた挽回すればいいのよ!」
「……マリア」
妻のあたたかい励ましにオットーの目が潤み、そして いぶかしげな色が浮かんだ。
「……しかし、あのユイール社の御曹司の屋敷とはな。あの堅物な一族の息子が酒やよからぬ遊びに身を費やすとは到底思えないんだが……」
「あのマダムの紹介ですから、おかしな人ではないでしょう。いざとなればマダムが力になってくれますわ。それよりも気がかりなのは、あの子がひとりでまた無理をしないかよ……。あの子ったらいつも自分のことは後回しで頑張り過ぎるところがあるから……」
両親には懸念があった。魔力なしの自分には何の取り柄もないからと、いつも頑張りすぎる娘の将来がどうにも気にかかって仕方がないのだ。
「魔力がないなんて今時誰もそんなに気にしないし、あの白黒のモフモフの姿だってあんなにかわいいのになぁ……」
夢食いの力は安眠を欲している者にとって救いとなる素晴らしい力だし、なんといっても夢の中で見せるモフモフのツートンカラーの姿はたまらなくかわいい。動物というよりはぬいぐるみにしか見えないきゅるんとした小さくつぶらな目も、もっちりとした丸みを帯びたフォルムも。
あの姿そのものに安眠効果があるのではないかと思うくらいにはかわいいのだが、本人はそうは思っていないらしい。
「そうねぇ。結婚だって皆が皆魔力なしに偏見を持っているわけじゃないのに……。困ったものね」
今はまだ自分のよさに気づけずにいるかわいい娘の将来を思い、オットーとマリアは憂いを帯びた息を吐き出した。
「……でも、きっと大丈夫よ。近い将来きっとあの子も、ありのままの自分を心から愛して受け止めてくれる人に出会えるわ! 私にとってのあなたみたいな、ね。そうすれば、魔力のあるなしで人生の価値が決まるものじゃないって知るはずよ!」
「あぁ、そうだな。本物の愛というのは、底知れぬ力が自分にもあるんだという自信と希望をくれるものだからね。そうしたらきっとあの子も変わるだろう。君と出会って私が変わったように、な! マリア」
たとえお金はなくとも人はとっておきの愛があれば、簡単には心折れない強さを持てるものだ。逆にいくらお金や力があっても、愛のない人生はとても寂しく虚しい。だからこそ願ってやまない。娘がそんなたったひとりの運命と出会い、自分の幸せを心から願い生きていけるように。
「なんにしても今は一日も早く、あの子たちに平穏な生活を取り戻してあげなくてはね。だからあなた? 早く腰を治して、一日も早く借金を返しましょうね!」
「おうっ。こんなギックリ腰ごときすぐにっ……、ぐっ! うおっ……あいだだだだ……」
「あっ! もうっ!」
オットーとマリアが娘の幸せを願いそんな会話を交わしていた頃、ユイール家の屋敷では――。
「ようございましたね。マダムの紹介ならば人となりに問題はないでしょうし、見た感じもよさそうな方ですし」
執事のゴドーの言葉にファリアスもうなずき、小さく首を傾げた。
「にしても、マダムはなぜあんなことを……?」
あの紹介状には、あの娘の持つ力が必ず役に立つから絶対に採用しろと書かれていた。何の力かもどう役に立つのかも書かれていないそれに、興味をひかれたのは事実だった。それもあって採用を決めたのだが――。
「まぁいい。ええと……名前は何と言ったか。リリア……いや、リアナ? とにかくあとのことは頼んだぞ、ゴドー。……今夜も鍵は持っていくからお前は先に休んでいい。皆にもそう伝えておいてくれ」
「しかし、ファリアス様……。せめてお出迎えくらいは……」
主を出迎えもせずに眠ってしまうなど心苦しい。ゴドーの顔にはそう書いてあった。
「いいんだ。お前たちはしっかりと眠ってくれ。私のことを気にする必要はない」
「……かしこまりました。では、どうぞお気をつけていってらっしゃいませ……」
そうしてファリアスは、もうすでにとっぷりと夜も更けた時間に屋敷を後にしたのだった。病人のような覇気のない青白い顔で――。