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「……は? 去る……⁇」
「はいっ! あっという間でしたけど、ファリアス様に会えて本当によかったです! おかげで夢食いの力も進化しましたしっ。これも皆、ファリアス様が私を雇ってくださったおかげです。本当にお世話になりましたっ! 私もこれからはファリアス様の元を離れて、自分の道へと歩み出してみようと思いますっ!」
心は明るく晴れ渡っていた。もちろん寂しくはあるけれど、この寂しさもファリアスが与えてくれたものだ。ファリアスに出会って知ることができたすべてを胸に前へ進もう。きっとファリアスも自分のこの決断を祝福してくれるだろう――、そう思っていたのだけれど。
「……は!? 私の元を……去る? 新しい、秘書……?」
先ほどまでの穏やかさなど一気にどこかへ吹き飛んだ顔で、ファリアスが目を見開いた。
「な……なななな、なぜだっ!? 給料か? 仕事がきつすぎるからか!? 理由は? 私の元から離れようとする理由はなんだ? なぜ秘書を突然辞めたいなんて……!?」
前後にぶんぶん肩を揺さぶられて首がもげそうになりながら、リネットはなんとか声を絞り出した。
「なぜって……専属バクはもういらないし、秘書を雇うならちゃんと経験のある人の方がいいに決まってるし。……それに私も皆のように新しい人生の道を進んでみようかと!! 進化した夢食いの力を使えば、眠りや夢の悩みを抱えた人たちのお悩み相談所みたいなことができるかなって……!」
「お悩み相談所……??」
こくこくとうなずけば、ファリアスの目がきらりと輝いた。
「ふむ……。夢や眠りの相談所……か。なるほど……それはいい!」
「あの……ファリアス様??」
ファリアスの様子が何やらおかしい。何かぶつぶつとつぶやきながらにんまりと笑っている。
その様子にリネットはいぶかしげに首を傾げた。すると――。
「リネット! そういうことならば、君が私の元を去る必要はない。なにせここは広いからな。その君の相談所とやらをここに作ればいいんだっ! 君が所長を務める夢と眠りのお悩み相談所を! もちろん私の秘書と兼任で!」
「……へっ!? えええええーっ!!」
バササササササッ……!!
驚きと困惑を隠しきれないリネットの叫び声に、周囲の鳥たちが一斉に飛び立っていった――。
それからほどなくして、バクの森の片隅に『夢バクお悩み相談所』と看板が掲げられた建物ができ上がった。こじんまりとしたとてもかわいらしい建物が。そのかたわらにはこんな看板も設置されていた。
『夢にまつわるお悩み相談、お受けいたします。小さなお悩みから大きなお悩みまで、お気軽にお寄せください』と。
それを見やり、リネットは感慨深げにつぶやいた。
「ここが……私の新しい仕事場……」
「……ん? どうした、リネット。何か気になることでも? 気に入らないところがあるなら、すぐに直すように手配するが……」
ファリアスが心配そうにリネットの顔をのぞき込む。
「あ、いえ……。ただ……」
アニタが色々と力の使い方や制御の仕方を教えてくれたおかげで、どうにか夢食いの新しい力も少しは使いこなせるようになった。夢を食べる時も、以前のように相手が眠るまで待つ必要もない。相手の体のどこかに触れただけで、その人が最近見た夢の内容をのぞくことができるようになったのだから。
けれどファリアスを癒したあの力――、夢の淀みを取り除き、迷い悩む心を光で照らし出す力はまだまだ未知数だった。果たしてそんな未熟な自分に、夢や眠りに悩む誰かを救うことができるのか。それが不安でならなかった。
するとファリアスはふわりと優しく微笑んだ。
「……君ならきっとできるさ。実際に君に救われた私がそう言うんだ。信じていい。それに君は困っている人や悩んでいる人を見たら力があってもなくても、どうせ飛んでいくに決まっている。なにせ君は筋金入りのお人好しだからな。そんな君なら、特別な力がなくたって人の心を明るくできるさ」
「そう……でしょうか……?」
「君のそういう曇りのない人のよさや優しさは、それだけで誰かの心を楽にする。私だけじゃない、ユイール家の人間もカインだってそうだ。それだって君が持って生まれた特別な力だろう?」
ファリアスのその言葉に、リネットの視界がじんわりとにじんだ。
ずっと自分には人並みの力さえないと思っていた。けれどそれをファリアスは特別だと言ってくれる。夢食いの力があってもなくても、魔力があってもなくてもそんなことは大きな問題じゃないと――。
不安で固く縮こまっていた心がやわらかく解けていくような気がした。
「それでももしどうしても困ったことや助けが必要になった時は、いつだってどこにいたって私がかけつける。必ず君のもとへ飛んでいって、君を助けると約束するよ。なにせ君は私の大切な……」
そう言いかけて、ファリアスは口をつぐんだ。その顔がなぜかぶわりと赤く染まっていく。そしてしばらく「あー……だから、その……」とか「うー……ええと、君は……私の……だから、その……」なんて口ごもった後、あきらめたように嘆息すると。
「えーと……だから、君は私の大切な……秘書! そうだ! 秘書、いや……、相棒なんだからな!」
そう言って大きくうなずいたのだった。
「相棒……!? 私が……ファリアス様の、相棒……ですか?」
相棒という言葉の響きに、リネットは思わず目を瞬いた。
(相棒……!? 相棒って何? でも……相棒ってなんだか……)
恋人や伴侶という響きももちろん素敵だけれど、相棒というのもなかなかに悪くない。もちろんそれはリネットが本当に望む形ではないかもしれないが、相棒ならばたとえファリアスと結ばれない運命でもずっと一緒にいられるかもしれない。
それにファリアスは言ってくれた。助けが必要な時はいつだって、どこにいても飛んできてくれると。その気持ちが嬉しかった。
リネットは何度も頭の中でその言葉を繰り返し、顔を上げ満面の笑みを浮かべた。
「相棒……! いいですね、それっ! うん……、うんっ。私……やってみます。何もかもが手探りで自信なんてないけど、頑張ってみますっ! 何事もやってみなきゃわからないですもんねっ」
心の中にあたたかな光が灯ったようにぐんぐんと湧き上がる希望に、リネットは胸を弾ませた。
「ファリアス様、これからもどうぞよろしくお願いしますっ! 秘書兼専属バク……じゃなく、相棒として!」
「あぁっ! こちらこそこれからもよろしく頼むっ、リネット」
輝く希望とちょっぴりの不安を抱きながら、リネットとファリアスはがっちりと握手を交わし合った。その時だった。
カサリ……!
不意に背後に気配を感じてぱっと振り向けば、そこにはひとりの老紳士が立っていた。
「あのー……。すみません。ちょっとおたずねしますが……」
「……はい?」
「ここに、夢の悩みを解決してくれる相談所があると小耳に挟んだんですが……」
その深い苦悩がにじみ出た老紳士の姿にリネットとファリアスは顔を見合わせ、そして。
「は……はいっ! 私がその『夢バクお悩み相談所』所長、リネット・ノーマです! 相談所へようこそ! 一番最初のお客様っ」
この老紳士が持ちかけてきた悪夢、そのお話はまた別の機会に――。




