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「リネット! 今日は君も一緒に来てくれっ。例のものがついに完成したんだ!!」
借金問題も無事片がつきすっきりとした気分で自分の新たな道を描きはじめていた頃、ファリアスが勢いよくかけ込んできてリネットの腕をつかんだ。
「例のもの?? なんですか、それ??」
「まぁ行けば分かる! さぁっ、行くぞ! リネット」
そしてリネットは何も聞かされないままファリアスに強引に連れ出され、トランへの地へと向かったのだった。
「あっちの大きな木がそびえ立っている方は、森林浴も楽しめるアスレチックエリアだ」
「ほぇー……」
「この南側のレストランでは、安価な軽食から健康的なコース料理まで楽しめる。こっちはオープンカフェだな」
「うわぁっ、ずいぶん広いんですねっ……! 大規模なパーティも開けそうっ‼」
「そしてここが、目玉であるメインの温泉ゾーンだ! どうだ? リネット」
次々とその全貌が明らかになる目の前の光景に、リネットは口を開けっ放しだった。
その敷地の広さと言ったら、まるで広大な森のよう。目玉である温泉と宿泊施設以外にも、あちこちにさまざまな遊び心あふれるスペースや施設がもりだくさんで、とても一日でまわりきれる広さではない。
「すっごく楽しそうです! 見どころもたくさんですしっ。……でも富裕層向けにしてはちょっとにぎやか過ぎるというか、庶民的というか……」
富裕層というのはとかく豪華さを好む。まぁなんていうかピカピカキラキラしたような。でも少なくとも今見た限りでは、むしろ富裕層よりも家族連れが一日楽しむのにぴったりな施設にしか見えない。
するとファリアスはにやり、と笑った。
「その通りだっ。これは富裕層向けではなく、万人向けの施設なんだからな!」
「万人……向け? え⁉ お金持ち用の施設を作ってたんじゃないんですか⁉」
一体いつの間にそんなにガラリと構想が変わっていたのか、と目を見開いた。
「まぁ、詳しくは後で説明する。まずは例のものを見に行こう! こっちだ、リネット!」
いつになくテンションの高いファリアスに手を引かれたどり着いたのは、敷地のちょうど真ん中に位置する広場だった。半円形のステージを取り囲むようにたくさんの椅子が並んだその広場の、ちょうどど真ん中に布がかけられた何かが鎮座していた。それを指差し、ファリアスがほくそ笑んだ。
「……これを君に見せたくてウズウズしてたんだ! ようやく昨日完成したばかりなんだ」
ファリアスはそう言うと、いたずらっ子のような表情を浮かべひと息にそれにかけられていた布を取り払った。
シュルリ……。
音を立ててすべり落ちた布の下から出てきたもの、それは――。
「こ、これは……まさか……⁉ オブジェ? っていうか……このフォルムは、まさか……」
それを目の当たりにして、リネットはあんぐりと口を開いた。
「こ……この色! そしてずんぐりむっくりとしたこのフォルムは……」
目の前に鎮座していたもの、それが非常に見慣れたフォルムをした白と黒のツートンカラーのオブジェだった。目の前のそれに、汗がつぅっと伝い落ちる。
「まさか……これって、バクのオブジェ⁉」
そこにあったのはなんと、リネットの背の高さと同じ程もあるバクの形をしたオブジェだった。今にも空へと飛び上がりそうな躍動感あふれるポーズ。むちむちとした丸っこい体はきちんと白と黒のツートンカラーに塗りわけられている。そしてそのつぶらな小さな黒い目は、まるで夢を見るように楽しげに空に向けられていた。
「なぜ……? なぜこんな広場のど真ん中に、バクが……」
驚きのあまりよたり、と足元をふらつかせれば。
「どうだ、よくできているだろう? 夢の中の君にそっくりだと思わないか? 実にいい出来だ! どうだ、リネット」
「ど、……どうだと言われても……? 一体なんでまたこんなものを……⁉」
わけがわからず混乱するリネットに、ファリアスは満面の笑みを浮かべた。
「実はこのバクを、この施設のマスコットキャラクターにしようと思ってな。『眠りと癒やしのバクの森』のマスコットキャラクターに!」
「……?? 『眠りと癒やしのバクの森』? マスコット……キャラクター??」
寝耳に水のワードに目を丸くするリネットをよそに、ファリアスはしてやったりとばかりに楽しそうに声を上げて笑った。そしてようやく打ち明けたのだった。なぜここを秘書である自分に詳細を知らせず、密かに建設を進めていたのかを――。
「じゃあつまりここは、日帰りも宿泊もできる郊外型の一大リラクゼーション施設になるんですね……? お金持ち向けではなく万人向けの」
「そうだ。そんな施設のマスコットキャラクターだからな。それには親しみのあるほのぼのしたバクがぴったりだろう? 君の驚いた顔がどうしても見たくて、今日まで秘密で進めていたんだ。くくくっ!」
そう言ってファリアスは、満足気に笑った。まるで子どものようなファリアスにがっくりと肩を落とし、リネットは目の前のバクを見つめた。
「でも、なんでなんです? なんで急にこんな思い切った変更を……? 商売として考えたら富裕層向けに作った方がずっと利益が上がるでしょうに……」
そんな素朴な疑問に、ファリアスは真面目な顔で首を横に振った。
「実のところ君に会うまで私は、眠りなんて疲れさえ取れればうたた寝でもかまわないと思っていた。快眠だのと何だのと謳っていたのはただ利益のためだけで……。だが悪夢にうなされるようになって考えが変わったんだ」
半年もの間、眠りを渇望しながらもまともに眠れない日々はまさに地獄だったとファリアスは言った。だからただ眠りたいその一心で、専属バク契約を提案したのだと。けれどいざ夢を食べてもらいやっと当たり前の安眠を取り戻してみれば――。
「なんというか……はじめて理解したんだ。快適な眠りというものはこんなにも安らぎを与えてくれるものか、と。眠りというのは万人に与えられた幸福で、癒やしなんだとな。それを君が私に教えてくれたんだ。だから、ここをそんな誰もが安らぎと癒やしを与えられるような場所にしたいと思ったんだ……」
そう言ってファリアスは、ふわりと笑ったのだった。
「ここが……誰もが安らげて癒やされる場所に……」
敷地の端が見えないくらい広大な敷地に、今もまだ建設中の宿泊棟。最大の売りである温泉からは、すでにもうもうとあたたかそうな湯気が立ち込めている。そしてそのまわりをぐるりと取り囲む豊かな森。さわやかに通り抜ける風に木々の葉が揺れ、鳥たちはにぎやかに軽やかにさえずっていた。
しばしそれに耳を澄まし、そして目を開けた。
「とっても……とっても素敵です! 皆がここへきて癒やされて帰っていくなんて、すごく素敵ですっ。そんな場所ならきっときた人たち皆、幸せになれますもんっ……!」
心からそう告げれば、ファリアスはまるで子どものようにあどけない顔ではにかんだ。
「……リネット。私の専属バクになってくれたこと、本当に感謝している。私を悪夢から救ってくれて、本当にありがとう。君に出会って私は本当に自分がなすべき仕事がわかった気がする。君のおかげだ……」
心からの感謝がにじみ出たその言葉に、胸にじんとあたたかなものが広がった。そのあたたかさにリネットは覚悟を決めた。あの言葉を今こそ告げようと――。
「私も感謝してます! ファリアス様が私の力を必要としてくれなかったら、私は今もきっと自分の力を残念な力だと思い込んだままでした。だから、ファリアス様のおかげです。私が前に進んでいけるのは……!」
そう。あの日ファリアスが自分を必要として認めてくれたから、今がある。新しい光の力にも気づくことができたし、こうして新しい人生を道を思い描くことができる。だから胸を張ってファリアスの元を去ろう。
「だから私、もう自信を持ってファリアス様の元を去ることができます!」と――。




