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眠れぬ有能貴公子は、安眠保証付きのモフモフをご所望です!  作者: あゆみノワ@書籍『完全別居〜』アイリスNEO
そしてはじまる新しい物語

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「リネットちゃん! このお弁当、ファリアス様に渡しておくれね。ファリアス様ったら仕事に夢中になるとすぐに食事をおろそかになさるんだから、本当に困ったものだよ」


 モリスンから良い香りを漂わせるバスケットを受け取り、屋敷を飛び出した。


「はぁい! 後でお渡ししておきますねっ。ではいってきまぁす!」


 びゅう、と冷たい風が首筋に吹き込んで思わず首をすくめる。近頃はすっかり肌寒くなり、カサカサと音を立てる落ち葉も色づいた木々ももうずいぶん時間が過ぎ去ったのだとしみじみ思わせる。


(えーと……、今日はまずこの書類とバスケットをファリアス様に届けて、それから役所に資料を取りに行って……それと……)


 最近のファリアスはある意味寝る間もないほど忙しく仕事に打ち込んでいるせいで、また薄っすらと目の下にくまができはじめている。原因はただの寝不足だけど。なんでもトラン地方に建設中の宿泊施設のコンセプトに大幅な変更があるとかで、寝る間も惜しんで働いているのだ。しかもなぜか、秘書である私には詳細は秘密で。


 思わずため息を吐き出したら、ほわり、と吐息が白くなった。

 悪夢を見なくなったファリアスには、もう専属バクは必要ない。よってにわか秘書も引退するべきだろう。秘書が欲しいのならもっとちゃんとした経験のある人を雇った方がいいに決まっているし。となればトランの施設が完成し仕事が一段落したら、新しい仕事を探さなければならない。


(新しい仕事……かぁ……。どうするかなぁ。夢食いの力を使って仕事……とはいっても、力の使い方はさっぱりわからないままだし……)


 アニタによって思いもよらぬ力が自分に眠っていたことを知ったリネットだったけれど、いまだにその力を使いこなすことはできていない。どんなにすごい力だってその使い方がわからなければ、力の持ち腐れだ。でもどうせなら、その力を使って誰かの力になれるような仕事ができたらいいとは思うのだけれど――。


「はぁ~……。なんだか私だけ置いてけぼりにされた気分……。次の仕事も見つからないし、何ができるのかもちっともわかんないまんまだし。ファリアス様もカインもアニタも、皆先へ進んでるのに……」


 リネットは人生の迷子中だった。それに――。


 ふと胸に走った痛みに、しゅんと肩を落とす。

 もう少しでファリアスの元を去るのだと思うと、胸が苦しい。だから何度も言いかけては言葉を飲み込んでしまうのだ。『私、ファリアス様の秘書をそろそろ辞めてお屋敷を出ていきます』という言葉を――。

 けれどいつかはファリアスにきちんと告げなければならない。いつまでもそばにいる必要のなくなった専属バクがいるわけにはいかないのだし、恋心を告げるには覚悟がなさすぎたから――。


 リネットはぎゅっと持っていた荷物を握り直した。


「そんなことより今は仕事、仕事っ!」


 そして揺れる思いを振り切るように歩き出したのだった。



 そんなある日のこと。『今日は帰りが遅くなる。仕事終わりに寄るところがあるんだ』 と言ってひとり出かけていったファリアスが、山のような箱を抱えて帰ってきた。


「ファリアス様、おかえりなさいま……せ? って……それ、どうなさったんですかっ⁉ って、この匂い……まさか箱の中身は、パイ……⁉」


 ファリアスは無言でうなずき、香りにつられて集まってきた使用人たちに箱を手渡した。


「皆におみやげだと会長が……」

「えっ⁉ じゃあもしかしてファリアス様、ギリアム様のところにお出かけだったんですか?」


 驚いた声を上げれば、ファリアスはなんとも言えない顔をしてうなずいた。


「……ふふっ! そうですか。ギリアム様のところへ……。それで、ギリアム様と色々なお話はできましたか?」

「別に……仕事の話をしてきただけだ。でもまぁ……多少は、な」


 箱の中身はまだほのかにあたたかく、ファリアスの訪問を受けてギリアムが料理人に作らせたものだとわかった。そのかぐわしい香りに、使用人たちから歓声が上がった。


「まぁーっ!! やっぱりこれは、ギリアム様のとこのクランベリーパイじゃないですかっ!」

「こっちにはミートパイとレモンパイも! なんておいしそうっ!」

「おおっ! これは良い香りですな。なんとも香ばしくて甘くて……。ギリアム様がこれを? いやぁ嬉しいですなぁ!」

「せっかくですから、あたたかいうちに皆で食べましょ! あれ? ファリアス様は食べないんですか?」


 ひとり階段を上がり自室へと向かおうとしたファリアスに、リネットが声をかけた。するとファリアスは苦しそうにお腹を押さえ、ゆるゆると首を振った。


「好きなだけ皆でわけて食べてくれ。……私は十分あの人と向かい合わせで食べてきたからな……。正直、もう当分パイは見たくない。うぷっ……」


 そう言ってさっさと自室へとこもってしまったのだった。



 ◇◇◇◇


 ひとりパイの山から遠ざかり、自室のベッドへと倒れ込んだファリアスは大きく息を吐き出した。


「はぁ……、苦しい……。まさかあんなにパイを食べさせられるとは……。いくらなんでも焼き過ぎだ……。まったく……」


 ファリアスがギリアムの屋敷を訪ねたのは、トランの施設建設に関してどうしても相談したいことがあったからだ。祖父との会話を楽しむために行ったわけでは決してない。が訪れてみてすぐに後悔した。自分を認めた瞬間のギリアムの目が、なんとも嬉しそうに細くなっていたから――。


 ファリアスは別にギリアムに悪い感情を抱いたことはない。家族として一応情のようなものはちゃんと感じていたし、両親との決してよいとは言えない関係をずっと心配してくれていることにも気がついていた。

 だから両親の関係がいい方向に向かいはじめた今、ギリアムはさぞ安堵しているのだろうとは思っていたのだが――。


『『……』』


 広い部屋の中、向かい合う険しい表情を浮かべた二人の男。互いに一言も発せず、どんどん冷めていくお茶を前にしばらくが経過した後、ようやくファリアスは思い切って用件を切り出した。


『実は今日ここへきたのは、ある相談があってのことなのですが……』

『……なんだ?』


 その声は相も変わらずぶっきらぼうで、愛想の欠片もない……ように見える。孫相手によくもこんな無愛想な声が出せるものだと、ギリアム、そしてユイール家の面々を知らぬ者ならば驚くに違いない。けれど、これがギリアムの――というよりはユイール家の面々の平常運転である。当人たちがそれをちゃんと自覚しているのかは別として。


『トラン地方に開発予定の施設について、折り入ってご相談があるのです。実は当初の予定から大きくコンセプトを変更したいと思いまして……』

『……変更だと? しかしあれはすでにあらかた計画が進行中だろう? 理由はなんだ? 何か問題でも?』


 言葉こそ詰問するかのようだが、その声にはほんのわずかだが心配げな色がにじんでいた。


『いえ。ただ、私の描く理想と大きな乖離が生まれたことが原因です』

『乖離……?』

『はい。実は……』


 そしてファリアスは、ギリアムに語った。リネットに出会い悪夢からようやく解放されたことで自分の中に新しく芽生えた思いと、トランに予定されていた大規模温泉宿泊施設の新しい構想について。

 その提案にギリアムは――。


『そうか……。なるほどな。ふふっ。これもリネットさんの影響か……。いいだろう。好きなようにやるといい。口出しはせん』


 そしてギリアムは部屋の隅に控えていたメイドを呼び寄せると、すぐにパイを用意するようにと命じたのだった。小一時間後、焼き上がったばかりのパイを前に祖父と孫は黙々とパイを食べ続けた。もうこれ以上は入らないと断るファリアスに、もうひとつ食べろと何度も勧めて――。


 その時の様子を思い出し、ファリアスは思わず小さく噴き出した。


「くくっ……。まったくなんとも不器用な一族だな……。人のことは言えないが……。だからってあんなに食べきれないほどのパイを持たせなくても……」


 気がつけば、幼い頃からずっとどこか寒々しいものを心の中に抱えていた気がする。それはきっと、生来の自分の不器用な性質のせいだ。家族からの愛情は確かにわかりにくくはあったがちゃんと感じられていたし、周囲から向けられる優しさにも気づいていた。けれどそれをどう受け止め表現したらいいのかどうにもわからなかった。そのことにずっと引け目を感じていたのだ。

 けれど今は少しだけ変われた気がしていた。思いは口にすればちゃんと伝わる、そう知ったから――。


「リネット……。君がいてくれてよかった……。君が教えてくれたんだ。私に……何もかも……」


 気づけばファリアスの顔に、これ以上ないほど甘くやわらかな笑みが浮かんでいた。そしてファリアスは、自分の中にある確かな恋心をはっきりと自覚したのだった。

 できることならばこの先もずっと一緒に歩んでいきたい、たとえどんな困難が先に待ち受けていようとも、リネットと一緒であればきっと乗り越えられる――。だからいつかきっとその思いをリネットに伝えよう。

 そんな決意を胸に秘め、ファリアスは目を閉じたのだった。

 

 

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