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それからしばらくして、カインについての不穏な噂が飛び込んできた。目の下にひどいくまを作って失敗ばかりしている、とか毎夜亡霊のようにふらふらと町を出歩いている、とか。その上マダムの調査では、何度もアニタの店をおぼつかない足取りで訪ねては大声でわめき散らし帰っていくのだという。
そしていよいよカインが限界に達しようとしていたある日、リネットたちはカインを大事な話があると呼び出したのだった。
「さぁっ、カイン! そろそろ自分がどんなにひどいことをファリアス様にしたのか、身をもって反省したでしょっ⁉ きっちり話をつけさせてもらうわよっ」
椅子に縄で縛りつけられたカインをリネットが仁王立ちで見下ろす隣で、一番の被害者であるファリアスは複雑そうな顔でカインを見つめていた。
「くっ……! どうせいい気味だって笑ってるんだろ。けど俺はちっとも悪いことをしたなんて思ってないからなっ! だっておかしいだろう? 何でこの男だけこんなに幸せそうなんだよっ! それに引き換え俺は………」
久しぶりに見るカインは別人のようにやせ細り、今にも倒れそうな顔色をしていた。その姿は少々気の毒ではあるものの、一向に反省の言葉を口にしない辺りはなんとも憎たらしい。
あまりのふてぶてしい態度に、リネットが詰め寄った。
「ちょっと……‼ そもそもあなたがファリアス様にあんなひどいことを企まなければ、あなただってこんな目にあわずに済んだんじゃないのっ! なのに何で被害者面なのっ。ファリアス様だってあなたが悪夢を見せたおかげでひどい目にあったんだからっ。自分だけが苦しいだなんて言わせないわよっ!」
リネットの言葉に、カインは悔しそうに唇を噛みうつむいた。
「……ふんっ! でもあの時だってこいつは何ともないって顔で飄々としてたじゃないか。目の下のくまだってそれほどじゃなかったし、お前みたいな秘書までこれみよがしに連れ歩いてさ……!」
「そ……それは!」
自分が夢を食べていたせいでひどい状態ではなかったのだと打ち明けるわけにもかずリネットは口ごもった。でも確かに言われてみれば、ファリアスには自分がいて夢食いの力で癒やしていたのだ。そんな存在がそばいなかったカインは、もしかしたらもっと苦しいのかもしれない。
ふとそんなことを思い、少々申し訳ない気持ちになるリネットである。
けれどその様子を見ていたマダムがあきれたようにため息をつき、静かに口を開いた。
「ま、確かにあなたにまったく同情しないと言ったら嘘になるわね。もうあなたも話は聞いているんでしょう? バレイド社の社長……つまりはあなたの父親が、近い内に横領と詐欺の疑いで逮捕されるって話。もしそれが公表されれば、バレイド社は終わりね。完全に会社の信用を失うし、息子のあなたも共謀したんじゃないかって疑いをかけられるでしょうし」
「ええええっ!? なんですかっ、その話?? カインのお父さんが……逮捕って……。じゃあバレイド社は……」
寝耳に水の話に、リネットは愕然とした。
どうやらバレイド社の社長つまりカインの父親は、経営不振の自社を立て直すためにこれまであちらこちらで詐欺まがいの罪を犯していたらしい。しかもその共謀罪でカインの逮捕までもが囁かれているのだという。 けれど実際は、カインの父親が自分の罪を軽くしたい一心で息子であるカインに罪をなすりつけようとしたというのだ。
「じゃあカインは何もしてないのに、父親に陥れられようとしているってこと……? そんな……、自分の息子になんでそんなひどいこと……」
マダムも同意するように肩をすくめ、嘆息した。
「ひどい話よね……。自分の息子を道連れに自分の罪を軽くしようだなんて……。さすがの私もその話を聞いた時には自分の耳を疑ったもの」
マダムの言葉にアニタも渋々うなずいた。
「まぁねぇ……。あたしは端から親なんでいないけどさ、そんなひどい親ならいない方がましって気にもなるよねぇ……」
「えっ? もしかしてアニタも全部知ってたのっ?」
アニタはマダムと一緒にカインの現状とバレイド社について調べを進めたことで知ったらしかった。まさかと思い隣のファリアスを見やれば、ファリアスも同じく業界内に広がる噂で知っていたらしい。
「同じ業界だからな。少し前からバレイド社にまつわる悪い噂は流れていたし、その裏も取っていた。まさか息子に罪をなすりつけようとまでするとは思わなかったがな……」
もしそれが本当なら、カインは無実の罪で牢屋にぶちこまれるかもしれない。さすがに同情を禁じ得ないその状況に、リネットは言葉を失った。
「あなたは父親に経営が危ういことも犯罪を冒していることも、何も知らされていなかったのでしょう? あなたのその目の下のくまやひどい顔色は、悪夢のせいだけではきっとないわよね。父親に裏切られて、会社もだめになるかもしれない。お先真っ暗ね? そんな自分の運命を悲嘆して落ち込んでいたせいなのではなくて?」
マダムの問いかけに、カインはぐっと言葉をのみ込みそしてうなだれた。
「……あぁ。父ははじめから能なしの俺には何の期待もしていなかったからな……。俺の人生、もう完全に終わりだよ……。何でだよ。何で俺だけこんな目に……、どうしてお前だけそんなに何もかも恵まれて……」
苦しげに絞り出すようにつぶやき、カインはファリアスを憎々しげににらみつけた。
「俺だって……必死に頑張ったんだ。でも皆影で俺のことを、お前と比較して能なしの残念息子だのと嘲笑ってさ。それなのに会社は潰れる寸前だし、父は自分の保身のために悪事を俺になすりつけようとまで……。あんまりじゃないか……」
「……」
カインの口からこぼれ落ちる呪詛のような言葉に、リネットはかける言葉もなかった。けれどファリアスだってただ安穏と何の苦しみもなく生きてきたわけじゃない。優れた頭脳や恵まれた容姿は当然人の目を引くだろうし、妬みの対象にだってなるだろう。でもずっと隣で見てきたリネットには、ファリアスがどれほど熱心に仕事に打ち込み努力を重ねてきたのかがわかっていた。
「……それは確かに気の毒だと思うし辛かっただろうと思うけど……、でも! ファリアス様があなたに一体何をしたっていうの!? あなたはただ自分に足りないものをファリアス様が持っているからって勝手にうらやんで、憎しみを募らせていただけじゃないっ! そんなの……そんなの絶対に間違ってる!」
そう叫んだリネットに、カインは苛立ちを露わにして吐き出したのだった。
「しょうがないだろっ! こいつを見てると腹が立つんだよっ! いつだって涼しい顔をして誰よりもいい成績を取って、まわりを小馬鹿にしたみたいな顔で誰ともつるまずに見下してさ。そんなファリアスの秘書に収まっているお前だって、どうせそれなりに優秀なんだろうけどなっ」と――。
「私が……優秀……??」
カインの言葉にリネットはきょとんと目を瞬き、ぶんぶんと大きく首を横に振った。
「そんなわけないっ! だって私魔力なしなんだよ!? その上役にも立たないおかしな力を持って生まれて、他に自慢できることといったらせいぜい底なしの体力くらいしか……!」
そう口にすれば、カインの口があんぐりと開いた。
「……は? 魔力がない……? 嘘だろ? そんな奴まさか本当にこの世界にいるわけ……。え、本当に? 全然……? まったく?」
カインが信じられないといった顔でリネットを見つめた。いくら慣れっことは言え、そのあからさまな同情の目にリネットがしょんぼりしていると――。
「いいかっ! リネットはお前のように性格もねじ曲がっていないし、放っておけばいつまでもまわりのために働き続けて人助けしまくるようなとんだお人好しなんだっ! そんなリネットをお前が憐れむ資格などないっ!」
その鋭い声に、水を打ったように店内が静まり返ったのだった。




