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ここはマダムロザリーが経営する、大通りに面した一番の繁盛店『ローザリア』の店内。白と淡いピンクで統一された調度品と落ち着いた雰囲気が素敵だと、うら若い女性に大人気のカフェだ。
その店内で、リネットたちはどこか張り詰めた空気の中向かい合っていた。
「さて、ここにアニタがいるということはもう話はある程度ついたと見ていいのか? リゼル」
ファリアスの言葉に、マダムはいつも通り美しく化粧を施した顔でにっこりと微笑んだ。
「……いやぁねぇ。その名前では呼ばないでって言ったはずよ。いくら定休日だからって、仕込みやらなんやらで何人かは従業員がいるんだし~。この唐変木。……でも、そうね。あらためて紹介するわ。こちらはアニタよ」
リネットはひとまずこの張り詰めた空気を少しでも和らげようと、マダムの隣に座るアニタを見つめ微笑みかけた。
「ええと、アニタ! はじめまして。私はリネットよ。ファリアス様の秘書をしてるの。よろしくね」
相手はファリアスに直接悪夢を見せていた張本人である。けれどカインに脅されて断るに断れない状況だったことを考えれば、責める気にはなれない。それにアニタとは年も近いし、魔力ひとつで人生を生き抜いてきたアニタに興味もある。
するとアニタは無愛想ながらも小さく頭を下げ、ちらとファリアスに視線を向けた。
「……あの、さ。あんたでしょ? カインが苦しめたいって言ってた夢の相手って……」
「あぁ、そうだが……」
ファリアスの返事にアニタは一瞬黙り込み、そして。
「……ごめんっ!! 悪かったっ」
突然ガタンッと勢いよく椅子から立ち上がり深々と頭を下げたアニタに、ファリアスが目を見開いた。
「カインに脅されたからとは言え、あんたに悪夢を見せて苦しめたのは間違いなくあたしだからさ……。その……本当に悪かったと思ってる。その、ひどいことしてごめん……」
そう言うとアニタはポケットの中から小さなキラキラ光る石を取り出して、テーブルの上に広げてみせた。
「これ、カインから預かった思念石だよ。これにあの男があんたにかけた思念が入ってる。これを使えばあの男に仕返しもできるよ? あたしが国に捕まらないようにマダムが守ってくれるっていうからさ。だったらあたしをタダ働きさせたあの男に目にもの見せてやりたいし、協力するよ?」
そう言って、にやりと黒い笑みを浮かべたのだった。 テーブルの上に転がる小さな思念石をまじまじと見つめ、リネットはたずねた。
「えっと……思念石って魔力を込めた石だよね? 魔力を介して使うその辺の道具なんかに入ってる……。ってことはもしかしてこれを使って、アニタはファリアス様に夢を見せてたってこと……?」
アニタがこくりとうなずいた。
「そう。っていってもそんなこと、並の魔力持ちじゃ無理だけど。自慢じゃないけどあたし、魔力量半端ないし。依頼主の思念を込めた思念石さえあれば夢を見せるくらいわけないよ」
そう言うとわかりやすく説明してくれたのだった。どうやってカインの思念を思念石に込め、それをファリアスに悪夢として見せたのかを。その説明を聞き、リネットは思わず感心するように息をもらした。
「ほええええ……。魔力って本当にすごいんだね……」
「へ? 魔力なんて別に珍しいものじゃないでしょ? そりゃあ強い魔力持ちにそうそう会うことはないだろうけど、皆少しくらいは持ってるんだしさ」
アニタの反応に、思わずリネットはポリポリと頬をかいた。
「それが実は私、魔力なしなの。その代わりに、夢を食べるなんておかしな力はあるんだけど。……へへっ」
情けなさ半分あきらめ半分でそう笑ってみせれば、アニタの口があんぐりと開いた。
「えっ……!? 嘘……全然? まったく? これっぽっちもないの? 全然?」
「へへ……」
アニタはしばし目を点にしながら黙り込んだ。
「ふぅん、そっか……。魔力が全然ない代わりに、夢食いの力……ねぇ……。あんたも大変だね。魔力があり過ぎるってのもそれはそれで大変だけどさ、全然ないってのも生き辛いよね。この世の中さ……」
かたや国から逃げ回るもぐりの強魔力者、そうかと思えばこちらは世にも残念な魔力なし。ある意味似た者同士とも言えなくもない。
なんだか同士に出会ったような気分で、リネットはアニタと笑い合った。
するとしばし何かを考え込んでいたファリアスが口を開いた。
「だがそれは、カイン自身が私への悪意を込めた思念石だろう? それをそのままカインに悪夢として見せて、あいつにダメージを与えられるのか?」
「確かに……。自分の念が返ってきたところで痛くもかゆくもないような気もするけど……」
いくら妬みや怒りといった悪意であっても、そもそも自分自身から出たものが跳ね返ってきたところで痛い目にあうのかは疑問だ。
けれどアニタは首を横に振り、にやりと笑ってみせた。
「強い負の感情ってのは、それだけで毒みたいなもんだもん。それが自分のものであれ他人のものであれ、効果は似たようなもんだよ。それにそれが自分のものだとわかってるなら、余計にみじめじゃない?」
「自分のみっともなさや弱さを再確認させられるみたいで?」
アニタはこくりとうなずいた。
「さぁ、どうする? この件の一番の被害者はあなたなんだし、あなたが決めなさいな」
マダムのその言葉にファリアスはしばし考え込み、静かにうなずいた。
「別に報復というわけじゃないが、このままカインに詰め寄ったところでまた似たようなことを繰り返さないとも限らないからな……。こうなったらあいつにはしっかり自分と向き合ってもらって、自分の劣等感は自分で処理させるとしよう。ということで頼む。アニタ」
ファリアスの頼みに、アニタはさっそく思念石を握りしめた。そして――。
ぽわり……!
手の中の思念石が一瞬青白く光を放った。次の瞬間、アニタが顔を上げた。
「……はいっ、済んだよ。早ければ今夜にでもカインが悪夢に悩まされることになるんじゃないかな」
「何っ!?」
「ええっ!? もう??」
「あぁ、あとあんたにかけた術ももう全部解いておいたから、じき悪夢も見なくなると思うよ。しばらくは影響が残るかもしれないけど……」
「そ、そうなのか??」
「す、すごい……!!」
アニタの目にも止まらぬ早業に、一同はあんぐりと口を開いた。
「……何よ、嬉しくないの?」
歓喜よりも困惑が上回りきょとんとしたまま固まるファリアスとリネットに、アニタが不満そうに声を上げた。
ファリアスは当然のこと、リネットにとっても嬉しくないはずがない。恩人でありいまや恋心を抱いているファリアスがやっとこれで安心して眠ることができるのだ。けれど――。
(これでもう……ファリアス様は私がいなくても、私が夢を食べなくても安眠できるようになるんだな……。ってことは、専属バクはもういらないよね。これからは私がそばにいなくてもいいんだ……)
たどり着いたその結論に、リネットの心が痛んだ。切ないという気持ちがこんなにも痛いものだと、生まれてはじめて知り、リネットはそっと目を伏せた。
「よかったですね……! これでもうゆっくり安心して朝まで眠れますねっ!! ファリアス様」
「あ……あぁ。そう……だな……」
無理やりに笑みを貼り付けそう笑いかければ、なぜかファリアスの顔にも複雑そうな色が浮かんでいた。それに首を傾げ、同時に思った。どうしてカインはこんな姑息な真似までしてファリアスに嫌がらせをしようとしたのだろう、と。
(もしかしてカインも辛かったのかな。いつも優秀なファリアス様と比べられて……。その気持ちは私にもわかるけど、でもだからって……)
ファリアスは、役に立たないとばかり思っていた夢食いの力を癒やしだと言ってくれた。そのおかげで今はほんの少し自分を好きになれた気がする。もしかしたらこの力だって、そう悪くないのかもしれない、と思うくらいには。
『あなたは魔力なんてなくてもとっても素敵な女の子よ? 夢食いの力だって残念な力なんかじゃないわ。眠れずに苦しんでいる誰かを助ける素敵な力じゃないの』
『きっとお前の力を必要としてくれる人はいるよ。お前の力は誰かを癒やす大切な力だ。胸を張って生きなさい。きっといつかその力の意味がわかる時がくる。だから胸を張っておいで』
幼い頃から両親がかけてくれたそんな言葉は、リネットの胸にはなかなか届かなかった。どんなに平気な振りをして明るく振る舞ってはいても、心の底では皆がうらやましくかった。人並みに結婚してあたたかな家庭を作ることも、なりたい仕事もあきらめざるを得なかったことが、悔しくて悲しくて。
でも――。
「でも、自分にないものを欲しがっていつまでも落ち込んでいたってしょうがないもんね……。誰だって、自分の手の中にあるもので頑張って前を向いて生きていくしかないんだし……」
その小さなつぶやきに、アニタが当たり前じゃないかと言わんばかりの顔で首を傾げた。
「……? そりゃそうでしょ。生きるってそういうもんだもん」
そのあっけらかんとした言葉にリネットは思わず噴き出した。
「……そう、そうだよね。うん……!」
「??」
リネットはすっかり重苦しい呪縛から解き放たれたような気持ちになって、ほぅ……と息を吐き出したのだった。




