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『ええええっ! ギックリ腰っ⁉』

『す……すまん。リネット! 荷を持ち上げようとしたらバランスを崩して、腰をグギッと……』


 事の起こりはほんの数日前。一家の大黒柱である父がギックリ腰を発症、全治二か月――、その間は絶対安静というその知らせにリネットは思わず膝から崩れ落ちた。


『ということは、お父様の腰が治るまではお母様は付きっきりで看病……。つまり、その間我が家の家計を守れるのは私ひとりってこと……!?』


 かつては父が会社を経営していてそれなりに裕福だったけれど、それは遠い過去の話。今は、一年前に借金を残し失踪した仕事仲間の借金返済に追われる日々だ。

 なぜそんなことになったのかといえば、ひとえに父のお人好しさゆえである。仕事仲間だった男は多額な借金を妻子に背負わせたまま、ある日忽然と姿を消した。けれど、生まれたばかりの乳飲み子を抱えた産後間もない妻がそんな多額の借金を返済するなど、到底無理な話。ならば自分が借金を肩代わりしよう、と父が申し出たのだ。


 そんな父をお人好しが過ぎるとある者は心配し、ある者は笑った。だが父は信じていたのだ。あの気のいい家族思いの男がそんなひどいことをするはずがない、きっと何かのっぴきならない事情があるに違いないと――。家族もそれを当然のように受け入れた。だってノーマ家は、町でも評判のお人好し揃いだったから。


 とはいえ、現実問題としてやっぱりお金は必要だ。


『……すまん、リネット。ただでさえディルの学費を急ぎ用立ててなければならない大変な時に……』


 申し訳なさそうに身を縮こまらせる父に、リネットは首を横に振った。


『いいのよ、お父様。これまでの疲れが出たんだわ。ゆっくり休んで腰を治して! お金のことは私がなんとかするから大丈夫! 任せてっ!』


 とはいえ、借金返済と生活費に加えて治療費も用意しなければならないとなると、今の仕事では到底足りない。もっと割のいい仕事――、たとえばまかないつきの住み込み仕事でも探した方がいいかもしれない。

 頭を切り替え、さっそく思案しはじめたリネットに弟のディルが声を上げた。


『僕も働くよ! 手紙の配達とかご用聞きくらいなら、雇ってくれるところがあるかもしれないし。僕……僕だって何かしたい!』

『ディル……! 気持ちは嬉しいけど、あなたはまだ十歳なのよ? 働くには早すぎるわ。……そうよっ。こんな時はマダムに相談すればいいのよっ!』


 弟のディルはノーマ家の希望の星だった。まだ十歳ながら驚くほどに優秀で、この国最難関の国立学術院への合格も夢ではない。もしそれが叶えばノーマ家の未来は安泰だ。

 それに引き換え、リネットにあるのは底なしの体力とやる気、あとはどう役に立てればいいのかわからない夢食いの力だけ。となれば、自分が割のいい働き口を見つけて汗水垂らしてガンガン稼ぐしかない。


 翌日、リネットは意気揚々とマダムが経営するカフェに向かった。


 町で人気のカフェをいくつも経営し、数々の美容用品を生み出し手広く販売するマダムロザリーは、リネットのよき友人でもあり憧れの存在でもあった。

 仕事に情熱を燃やし、いつも華やかな衣装を身にまとい美しく化粧を施した姿で町を闊歩するマダムだが、実は性別的な意味では男性である。けれどマダムの魅力の前では性別など大した問題ではない。実際マダムは町の人気者であり、いつもキラキラと輝いていてとても素敵なのだから。


 いつか自分もマダムのような芯の通った強さとしなやかさを身につけ、強く輝いて生きていきたい。幸せな結婚も魔石細工職人の夢ももう叶わないけれど、自分だけにできる道を見つけてマダムのように強く生きればいいのだ――、そう思えたから。


『そうねぇ……。お給料も待遇もよくて、ギスギスしてないところがいいわよねぇ。あとは絶対リネットちゃんの身が安全ところじゃないと……。あぁっ、これがいいわっ。これなら条件にぴったりよ!』


 そう言ってマダムが紹介してくれたのが、ユイール社の御曹司ファリアス・ユイールの専属メイドの仕事だった。


『確かに条件は破格ですけど、でも私メイドなんて経験ありませんよ? 面接に行ってもすぐに追い返されるんじゃ……?』

『ふふっ。実はその御曹司にはちょっとした噂があるの。夜な夜な町を遊び歩いてよからぬ遊びにふけっているっていう、ね。もう半年程の間、毎晩。そんな噂が飛び交っているものだから、なかなか人がいつかないらしいのよねぇ』

『ええええ……。それ、大丈夫なんですか……?』


 思わず不安に顔を曇らせるリネットに、マダムはカラリと笑った。


『大丈夫よ! あそこの使用人たちは素敵な人たちばかりだし、その御曹司だってリネットちゃんに悪さを働くような輩じゃないから! だから安心して面接にいってらっしゃい! 絶対リネットちゃんなら採用間違いなしよ。これ以上の適任はないもの』

『適任……??』


 そんなこんなで、なぜか自信たっぷりに断言するマダムの紹介状を手にこうして面接にやってきたのだったけれど――。


 ふかふかの椅子にちんまりと腰かけ、リネットはファリアスをそっと観察した。

 どうやら夜な夜な町を遊び歩いているというのは嘘ではないらしい。ファリアスの目の下には、くっきりと色濃いくまができていた。けれど酒や女におぼれるようなタイプというより、むしろ人生にくたびれ果てた老人や病人のように見える。


 仕事内容は、ファリアスが夜歩きに出る際の出迎えや簡単な世話だけ。しかも待機中は読書やお茶など好きに過ごしてもいいらしい。なんとも拍子抜けするくらいに簡単である。


 しばしの沈黙のあと、ファリアスはようやく口を開いた。


「いいだろう。あのマダムロザリーがこれほどまでに推薦するのだからな。……ただいくつかの遵守事項がある。これを守れるようなら採用だ」


 そう言ってファリアスは、一枚の紙を手渡した。


『一、業務上必要最低限以外の会話は慎むこと

 二、業務上関わりのある事柄以外で、一切の私情を挟まず干渉しないこと

 三、帰宅するまでの時間は、使用人棟ではなく主屋にて待機すること

 四、屋敷内で知り得た一切の情報は、口外しないこと

 以上を守れなかった場合は即解雇とし、異論は認めないこととする』


「どうだ? 少しでもその内容に不安があるのなら、この件はなかったことにしてもらいたい。眠いだの退屈だのという理由でまたすぐに辞められては困る」


 リネットはしばしそれを見つめ、思案した。

 雇い主や職場の秘密を口外しないなんてごく当然のことだし、職場環境も申し分ない。深夜仕事だってすぐに体が慣れるだろう。噂のことが気にならないと言ったら嘘になるけれど、今は目先のお金の方が大事――。となれば答えは端から決まっていた。


「やりますっ! ぜひやらせてくださいっ! 条件はすべてお守りしますっ。誠心誠意、頑張りますっ!」


 間髪おかずに言葉を返せば、一瞬ファリアスの顔に驚きと安堵の色が浮かんだ。


「で、……では採用だ。さっそく明日から頼む。詳しいことは執事のゴドーか使用人頭のモリスンに聞いてくれ。面接は以上だ」

「は、はいっ‼ ありがとうございますっ! よろしくお願いしますっ……!」


 こうしてリネットは、翌日からユイール社の噂の御曹司、ファリアス専属の住み込みメイドとなったのだった。


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