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翌日リネットがさっそくカインの身辺を張り込もうと話し合いをしていると、ファリアスが息を切らせて駆け込んできた。
「へ……!? ファリアス様……?? 仕事はどうしたんですっ? それにミルジア様は?? もうとっくにいらっしゃってる時間ですよねっ?」
驚きの声を上げるリネットに、ファリアスは額ににじんだ汗を拭いながら告げた。
「仕事なら死ぬ気で片付けたっ! ミルジアにはもう手伝いにくる必要はないと宣言して、追い払った! よって私もカインの調査に合流するぞっ!」
「えええええ……!? でもそんなことして、もしフォーリ会長のご機嫌を損ねたら支援が……。それにミルジア様だってファリアス様のことをあんなに……」
うっかりミルジアの気持ちを口にしそうになって慌てて口をつぐめば、ファリアスがふん、と鼻を鳴らした。
「知ったことか! もともと必要なければ断るとフォーリ会長にも宣言してあるからな。問題はない。もしこれで援助の一件が流れるようなら、それはそれだっ! それにミルジアならすぐに納得して帰っていったから特に問題はないだろう」
「えっ!? ミルジア様が?? ファリアス様……、ミルジア様になんて言ったんですか?」
あのミルジアがそう簡単に引き下がるとは到底思えず、そう問いただせば。
「何って……、私にはリネットひとりいれば十分だから、君の手伝いは不要だと言っただけだ。そうしたらしばらく黙り込んで、『なるほど、そういうことなのですね……』と言って帰っていったが……?」
「ええええええっ……」
「……これはまたとんだお子様だこと。さてはあなた、何も気づいてなかったんでしょう?」
マダムの言葉に、ファリアスの眉がピクリと上がった。
「気持ち……? それはどういう意味だ?」
「やれやれ……。これだから仕事しか脳のない坊っちゃんは……」
「脳のない坊っちゃんとはなんだっ! もとはと言えばお前がリネットを手伝うなんていうから……」
「はぁ!? ちょっと勝手に人を悪者にしないでくれるかしらぁ? 私はかわいいリネットちゃんの頼みだから聞いてあげただけよぉ!?」
なぜだか急ににらみ合い言葉の応酬をはじめたふたりを、リネットは困惑顔で見やった。
と同時にほっともした。ミルジアがどんな気持ちでファリアスの言葉を聞いたのかはわからないけれど、納得してくれたのなら少なくともあの屋敷にやってくることはもうないだろう。あのふたりが並んでいるところを見ずに済む。そのことに安堵したのだ。
「まったく……君も君だ。当の本人である私を差し置いて勝手に飛び出して……。もともとこれは私の問題なんだ。君がそのために危険な目にあうかもしれないなど、私が黙って見ていられるはずがないだろう……。君は私の大事な……」
「大事な……??」
なぜかファリアスの顔がみるみる真っ赤に染まった。
「……?? どうかしたんですか? ファリアス様、顔が赤いですけど……もしかして熱でも??」
とっさに手を伸ばしファリアスの額にぴたりと手を当て熱を測るも、異常はない。けれどいつもディルにするように無防備に触れてしまったことにはっと気がついて、リネットは慌てて手を引っ込めた。
「す……すみません……。いつも弟が熱を出すとこうしているもので、つい癖で……」
「い、いや……。その……大丈夫だ。熱もないし、さっきの話も気にしないでくれ……」
その手に残る熱のせいでみるみる赤くなるリネットに、ファリアスはもごもごと口ごもると叫んだ。
「と……とにかくだ! 今日から私も仕事の合間を縫って一緒にカインについて調べるからなっ! いいなっ、マダムロザリー、いや――シュテルツ・リゼル!! 今度からは私に黙ってリネットとふたりきりで会うのは許さないからなっ!」
その聞き慣れない名前にリネットははた、とファリアスを見やった。
「リゼル……シュテルツ……?? それ……誰です? え……??」
シュテルツ家と言えば、国家の中枢とも深く関わりのある名門一族だったはず。なんでも国家機密に深く関わるような仕事、どちらかと言えば影を担う役目を負っているとかいないとか。そんなシュテルツ家とマダムに何か関係があるというのか。
きょとんと目を瞬かせれば、マダムがキラリと目を鋭く光らせファリアスを見据えた。
「いやぁねぇ~、それはもう捨てた名よ。あんまり口外してもらっちゃ困るんだけど? まったく……裏の仕事がやりづらくなったらどうしてくれるのよ」
「……捨てた名? 裏の仕事……? へ?」
「いいかっ、リネット! こいつは君が思ってるような人畜無害の人間なんかじゃないからなっ。こいつはあのシュテルツ家の長男で、死んだとされているリゼルという男なんだっ!!」
わけがわからずリネットは目をぱちばちと瞬いた。
聞けばマダムロザリーは実はあのシュテルツ家の嫡男で、わけあって今はマダムロザリーと名乗り国の情報屋として暗躍しているらしい。
「本来ならばこいつがシュテルツ家の当主の座を継ぐはずだったんだが、他にやりたいことがあるからとあえて弟に家督を譲り、自分は外国で命を落としたことにして裏方に回ったんだよ。なのにそんな正体も知らず、君ときたら無防備に……」
「ええええっ……! うええええっ!?」
まさかの真実に呆然とマダムを見つめたリネットを、マダムがいつもの調子でがばりと強く抱きしめた。
「リネットちゃんたらそんな顔しないで? 私は私よっ。何も変わらないわ。これから先もずっと、私はリネットちゃんの友だちよっ!」
それをファリアスが瞬時に引っ剥がした。
「ええいっ!! 離れろっ。私の大事な秘書になれなれしくくっつくなっ!!」
マダムも負けてはいない。
「あらぁ、よく言うわっ! 肝心なことを言いかけて顔を真っ赤にするようなヘタレに、とてもじゃないけど大事なリネットちゃんを任せておけないわっ! ミルジアのことだって無自覚にそんな振り方しかできないようじゃ、男の風上にも置けないわねぇっ!! ふんっ」
「なっ……なんだとぉっ!? くっ……!」
普段屋敷の使用人たちと自分以外にはあんなによそよそしいファリアスが、よそ行きの顔を取り繕うこともせずにマダムとポンポン言い合っているのを見やり、リネットはどこか複雑な思いで見つめていた。
ともかくもこうしてリネットは、この日から一日も早く悪夢問題を解決すべくマダムとファリアスとともに行動することになったのだった。
翌日リネットはマダムとファリアスとともに、裏町のとある雑貨屋を遠巻きに観察していた。
「私の部下たちの調べで、ここ半年あまり裏町にあるアニタって子が経営する雑貨屋に頻繁に出入りしてることがわかったの。どうやらそのアニタにはなかなかの魔力があるって噂よ。しかもその魔力を使って色々と後ろ暗い仕事も引き受けているとかなんとか……」
「じ、じゃあそのアニタって人が、カインにファリアス様に悪夢を見せて嫌がらせをする手伝いを……?」
強い魔力があれば実に色々なことができると聞く。手も触れずに火や風を起こしたりするのはもちろん、目には見えない力で人の思念を操ることだってできるとか――。
もちろんそんなことができる人はいくら魔力が当たり前の世界でも、そうはいない。そんな強い魔力を持って生まれた人は赤ん坊の頃に国に召し上げられて、一生国のために働くよう義務付けられるのだ。つまりは籠の鳥として生きることが運命付けられているのだけれど、同時に何不自由ない豊かな暮らしを与えられるらしい。ということは、アニタはそこまでの魔力持ちではないということになる。そんな人に果たして悪夢を自在に見せるような芸当ができるのかどうか。
少々懐疑的な気持ちで、リネットは店先に立つアニタを見やった。




