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それからしばらくしたある日のこと、リネットは目の前の大量の仕事を猛スピードで片付けていた。
ユイール家の面々もようやく平穏を取り戻し、最近ではホランドとローナはすっかり新婚のような仲睦まじさを取り戻していると聞く。ギリアムとファリアスの関係も然り。しかも最近ではリネットへの感謝からか、ギリアムやローナたちからひっきりなしに遊びにこいとのお誘いがくるほど実に平穏だった。
が、一点大きな問題は残ったままで――。
「むー……!! もうっ、やってもやっても終わらないっ! なんでっ、こんなに! 仕事がっ、あるのーっ! これじゃいつまでたってもカインは野放しのまま、悪夢だって……」
思わず書類を片手に握りしめ叫んだリネットに、先ほど悪夢を食べてもらいつかの間の眠りについていたファリアスがソファからがばり、と身を起こした。
「なっ……なんだっ!? 今の叫びはっ??」
きょろきょろと驚き辺りを見渡すファリアスに、リネットはため息を吐き出した。
ユイール家が無事に平穏を取り戻したことは、これ以上なく嬉しい。ファリアスも長年心の中に抱えてきた心配事がなくなったせいか、以前より身にまとう空気がやわらかくなったし。だからこそ手つかずのままの悪夢問題が気にかかるのだ。けれどこうも仕事に追われていては、とてもではないがカインの調査に取りかかるどころではない。
悶々と思い悩むリネットのぼやきを連日の疲れによるものだと勘違いしたのだろう。ファリアスが申し訳なさそうに声をかけた。
「仕事のことなら、近々トランの計画に支援がしてくれるという話が進んでいる。それが正式に決まれば、おそらく来週辺りには仕事量も落ち着くはずだ」
「……支援?」
「君も名前くらいは聞いたことがあるだろう。国内随一の商社デモルド社の会長で、政財界にも広く顔が利くといわれるフォーリ御大だよ。これまでユイール社と深い付き合いはなかったんだが、なんでも大の温泉好きらしくてね。ぜひこの建設計画に援助をしたいと申し出てくれたんだ」
「ええっ!? あんなすごい人が? ってことは、この計画は大成功間違いなしじゃないですか!」
デモルド社の会長まで味方につけたとなれば、当然トランの施設が完成した暁には話題になるに決まっている。フォーリ会長はそれほどまでに大きな影響力を持つ人物だと聞いている。どうやらファリアスは優秀な頭脳とビジネスセンスに加え、運まで味方につけているらしい。
「その件で近々、会長とその孫娘を招いてこの屋敷で食事会を催すことが決まった。君も同席してくれ。まぁ今回はあくまで顔合わせみたいなものだし、すでに援助の内容も決定しているからな。そう固くなることはない」
「は……はい! 仕事が減るのなら、万々歳です!」
その三日後、約束通りフォーリが孫娘とともにユイール家を訪れた。
「いやぁ、まさかホランド殿があれほど見事な温泉を掘り当てるとは! 湯量も泉質も実に素晴らしいと聞く。実に楽しみだ。完成したらすぐに行かねばならぬな。はっはっはっはっ!」
フォーリ会長がふさふさとした白い顎ひげをなでながら、快活に笑った。そしてその隣では。
「まぁお祖父様ったら、本当に温泉となるとまるで子どものようにはしゃいでしまうのですから、本当に困ったものですわ。うふふふっ。……にしても、ファリアス様の手腕は噂に聞いておりますわ。なんでもファリアス様が手がけた事業は次々に売り上げを大幅に伸ばしているとか……。ファリアス様が担う次代のユイール社も安泰ですわね」
ふくよかな色気すら感じさせる笑い声とともに、孫娘のミルジアがどこか熱っぽい視線をファリアスに送った。その自信に満ちた輝きと美しさといったら――。
(ミルジア様ってきれい……。それに小さい頃から徹底した英才教育を受けていて、いずれは他の跡取り候補を押しのけてデモルド社を継ぐって言われているっていうし。頭もよくて見た目も非の打ち所がなくて、その上仕事もできるなんてすごい……)
ミルジアのその自信に満ちたそのたたずまいと美しさが、なんだかひどくまぶしい。ファリアスの秘書として隣に並んでいることが突然恥ずかしく感じられて、思わずリネットは身を縮こまらせた。
「フォーリ会長が援助を申し出てくださったおかげで、計画も順調に運びそうです。心より感謝しております。心ばかりのもてなしではございますが、今宵はどうぞごゆっくりなさっていってください。……フォーリ会長、ミルジア様」
仕事用の美麗な笑みを浮かべたファリアスと、それを受けてにっこりと美しく微笑むミルジア。その実にお似合いな様子に、リネットは思わずテーブルの下でぎゅっと手を強く握りしめた。
(私とひとつしか年が変わらないのに、すごく大人っぽくて女らしくて私とは大違い……。中身だって私と全然違うし。ファリアス様とこうしていてもすごくお似合いだし……)
リネットはちらと自分の格好を見下ろし、そっとため息を吐き出した。
今夜は一応大事なお客様を招いての会食ということもあり、リネットも主であるファリアスに合わせてそれなりの衣装を身にまとっていた。袖と襟元が美しいレースで縁取られた清楚なワンピースを着て、髪も他の使用人たちの手で華やかにまとめてある。いつもの格好に比べれば、はるかに見違えるはずだった。
けれどそんな努力など、ミルジアの前ではすっかり霞んでしまう。
(やっぱり庶民とは住む世界が違うのね……。言われてみればファリアス様だってものすごい会社の御曹司なんだもの。ミルジアとお似合いなのは当然か……。なんたって私はただのにわか秘書で、夢を食べるしか能のない雇われバクなんだし……)
なぜかミルジアと談笑するファリアスを見ていると、胸がざわつく。なんともモヤモヤとした気持ちがせり上がってきて、せっかくのごちそうなのにちっともおいしく感じられない。
一体この嫌な感じは何なのだ、と首を傾げながらリネットはどうかこの会食がさっさと終わってくれたらいいのに、とそればかり考えていた。




