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数日後、リネットはローナとホランド夫妻、そしてファリアスともにとある料理屋の個室で身を縮こまらせていた。
「えーと……、あ! そう言えばそろそろ公園で花祭りが開催される頃ですね。きっと今年もすごい人出でしょうねっ」
「えぇ、そうね」
「あぁ、そうだな」
「「……」」
必死に空気を和ませようと世間話を振ってみるものの、まったく会話が続かない。性質上和やかな会食になるなど想像はしていなかったものの、こんな調子ではどうやって話を切り出していいものか。途方に暮れ、ため息を吐き出したリネットを見かねてついにファリアスが静かに切り出した。
「おふたりは……、このまま別々に暮らし続けるつもりですか? いえ、別に夫婦には夫婦の事情があるでしょうし、口を出すつもりはありませんが、一応息子として一度聞いておこうかと……」
その問いかけに一瞬場の空気が凍り、ホランドの目がローナに向いた。
「……別に私は一度も別居を望んだことなどない。ただそうすることがローナの安寧につながるというのなら無理に縛りつけるのも、と思っているだけで……」
その言葉に、ローナがはっと弾かれたように顔を上げた。
「そんな……! それじゃまるで私が別居したがっていたみたいではありませんか! 私は一度だってあなたと別々に生きたいなんて考えたことはないのに……! こうなったのは、そもそもあなたがあんな寝言を言うから……」
「……寝言? 一体なんの話だ? ローナ」
意表を突かれたのか、ホランドの目が丸くなった。
「だから……それは、つまり……」
ローナは意を決したように例の寝言が別居のきっかけになったのだと告げた。それを聞いたホランドはしばし固まり、そして困惑顔で問いかけたのだった。
「では君は私と暮らすのに嫌気がさして出ていったのではなかったのか? 私はてっきり夫婦ふたりきりになることに耐えきれず出ていったものとばかり……。だからこそ別居を……」
「「「えっ⁉」」」
ホランドの言葉に、その場にいた全員の声が驚きの声が重なった。
もし今の言葉が本当なら、ホランドはローナの意思を尊重する形で仕方なく別居に同意したことになる。ローナだって別居など端から望んでいたわけではなかったのに。
「そんな……‼ 私は……私は幸せでしたわ! あなたと結婚したことも、ファリアスの母となれたことも……。もちろん私は感情を表に上手に出せる質ではありませんから、とてもそうは見えなかったかもしれませんけど……。そんな私があなたとの別居を望むだなんて、そんな馬鹿なこと……‼」
「ならばなぜ……、戻ってこなかったのだ? 最初はてっきりただの数日程度の里帰りだと思っていたのに君はいつまでたっても戻ってはこず、だから私はそれが君の望みなのだとばかり……」
ホランドの痛みをこらえるような声に、ローナが目をぱちくりとさせた。
「……里帰り?? あなた、一体何をおっしゃって……? だって私ちゃんと別居を申し出……あら? そう言えば私、里に帰るとだけ言いましたかしら……?」
ローナが記憶の糸をたどるように首を傾げ、一瞬固まった。けれどすぐに続けた。
「でもあれは、もとはと言えばあなたがあんな寝言をおっしゃるから……!」
「いや、その寝言だが本当に私はそんなことを言ったのか? 私はそんなこと思った覚えが……。確かにあの頃、結婚したのが私などでなければお前はもっと幸せになれたかもしれないと思った記憶はあるが……。家のこともファリアスのこともお前に任せきりで、妻であるお前をろくに喜ばせることもできないだめな男だから、と……」
ホランドのその言葉に、ローナの目が丸くなった。
「そ、そんな……それじゃああなたは私との結婚が嫌で悔やんでいたわけではないのですか……?」
「……悔やむも何も、私のような男に嫁いだお前の方がよほど不幸に違いない。私は女性の心の機微などまるでわからない男だし、仕事一辺倒で……」
「では、私はそれを……私と一緒になったことを後悔していると勘違いを……?? じゃあ別居なんてする必要、なかったということに……??」
互いの壮大なすれ違いに気がついたホランドとローナははた、と見つめ合った。そんなふたりのやりとりにリネットとファリアスは顔を見合わせた。
「あのー、どうやらおふたりとも色々と行き違いや勘違いがあるみたいですし、いい機会ですし洗いざらいこの場で話してみてはいかがでしょう……?」
「あぁ……。息子の私からも頼む……。ぜひ一度ちゃんと話し合ってくれ……。このままではふたりとも釈然としないだろうし、息子としてもなんというか関わり方に困る。どんな答えが出たとしてもふたりの気持ちを尊重するから……」
半ばあきれ顔でそう告げたファリアスとリネットの言葉に、ローナとホランドは無言で見つめ合った。そして。
「あなたはいつもそうですわ! せっかく夫婦になったのに、迷惑だの心配をかけるだのそんなことばかり気にしてっ。ファリアスが赤ちゃんの頃だってドアの外で様子をうかがうばっかりで! 私はいつでもあなたのお帰りを待ってましたのに!」
「し、しかしあれはお前が毎日睡眠不足で大変そうだったから、眠りを邪魔したくないと……。ファリアスだって私の顔を見ると怖がって泣き出すし……」
「あれはファリアスが眠くてぐずっていただけですわ! 赤ちゃんなんですものっ。それが普通ですっ。この子も私も、あなたがそばにいて嬉しくないわけないじゃありませんか! 私にとっては夫だし、この子にとっては父親なんですから」
「そうか……。す、すまん……。し……しかしお前だって急に実家に帰るだなんて言い出したと思ったらそれきり手紙のひとつも寄越さず帰ってこないなどと……。てっきり嫌われているものだとばかり……」
「そ……それは悪かったと思ってますわ。きっと私あなたの寝言で混乱して、取り乱していたんですわ……。あなたに嫌われていたんだと思ってショックで……。それでつい意固地になって……」
何度目かわからないそのやりとりを、リネットはデザートを突きながらファリアスと苦笑いを浮かべ見守っていた。
どうやらすっかり互いの誤解も解けたらしい。あんなに本音を打ち明けるのが怖いと言っていたローナも遠慮がちだったホランドも、今は実に楽しげにぽんぽん言い合っているのだからわからないものである。
リネットはつんつんと隣のファリアスを小突いた。
「ファリアス様? 私たちの出番はもうないみたいですし、このままふたりを残して帰っちゃいます?」
やれやれとため息をつきながら、ファリアスもこくりとうなずいた。
「あぁ、そうしよう……。これ以上あんな緩みきった顔でデレる親の姿を目の当たりにするのは辛すぎて……。一刻も早くこの場から立ち去りたい……」
「ぷぷっ……‼ ファリアス様ったら!」
そしてリネットとファリアスは夢中になって語らうローナとホランドを残し、帰途へと着いたのだった。




