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手違いで誘拐された公爵令嬢の旅立ち

作者: RION

 全ての始まりは十五歳の誕生日だった。

 私はその日、全てを失った。


「我らがメーベ神のお告げである! 公女アリシア! 貴様を災厄の魔女として処刑する!」


 それは式典当夜のささやかなパーティーで起こった。


 扉を蹴破る勢いで乗り込んできた神官たちにより唐突な断罪が始まったのだ。

 なごやかな雰囲気のホール内が水を打ったように静まり返る。この時の私は自分の置かれた状況が‥‥‥全く理解できなかった。


 突然現れた白服の集団に「一体何が起こっているの?」と来賓がにわかにざわつきだして、するとそんな問いに答えるかのように、先の言葉を発した先導者たる神官が叫ぶようにこう言った。


「先ほど神託が下ったのだ! このままでは国が滅ぶばかりか世界に危機が訪れると! 異能力者たる公女は混沌と虐殺の魔女『グラテアンネ』の生まれ変わりであった! 故に、破壊に目覚めてしまう前に処刑せねばならん!」


『グラテアンネ』――その名が神官の口から出た瞬間、来賓達は目が覚めたような顔をした。

 戸惑い気味に囁き合う人々を前に、当のアリシアはまるで心当たりのない言いがかりに唖然として自分の耳を疑った。


(‥‥‥何を言っているの‥‥‥?)


 寝耳に水とはこの事だ。

 アリシアは縋るように隣を見た。だが予想に反して、青ざめた父と母が弾かれるようにして席から立ち上がった。


「大神官! それは真の話か!」


 父――公爵の叱声が響き渡る。大神官は揺るぎない眼差しでもって頷いた。


「断じて偽りではありませぬ! 誓って! 教皇様御自らに下った天啓にございます!」


 大神官の視線が、公爵の脇に据えられた、一回り小さなロイヤルシートに向けられた。

 そこに座った人物――私を見て、怒りを露わにする。


「汚らわしい魔女が! ‥‥‥転生先に閣下の御子を選ぶとは何事か! よくも我々民を欺いてくれたな! このバケモノめ!」


 私の中にいるという、魔女を強く責め立てる。それが真実だと疑いもしないのだろう。ここにきてようやく、私はこの事態の深刻さを把握した。


『グラテアンネ』。二十年ほど前に実在した、世界を混沌に陥れた史上最悪の魔女の名だった。人を人とも思わない、血も涙もない残忍な性格で、いくつもの国を焼き払い壊滅させた恐ろしい存在。

 グラテアンネを倒すために、大勢の人々が世界各地で立ち上がった。そうして――彼女を討ち倒すことができたものの、破壊の爪痕は、いまだ世界中に残されており、グラテアンネが死に際に放った遺言は、多くの人々の心に恐怖を植え付けていた。


『――予は必ず復活する。お前たち人間に復讐する為に‥‥‥! 貴様らだけじゃない、女子供全て、どこに隠れようとも、草の根を掻き分けて見つけ出してそのはらわたを引き裂いてくれる!! 誰一人として逃がさない!!』


 ‥‥‥私が、そのグラテアンネの生まれ変わりだと言うのだ。


 確固たる確信があるのか、その糾弾に、ホールにいた全員が凍り付いたような顔で固まった。

 それは‥‥‥私も同じだった。


「――っなにかの間違いです!」


 ひどい誤解だ。居てもたってもいられなくなって、腰を浮かせた私を、


「黙れ! うそを吐くなっ!」


 大神官は言葉で切り捨てる。


 憎しみに歪んだ形相が、さらに深いものに変わっていった。

 たまたま近くにいた人々が、不信感を露わに一歩、また一歩と離れていくのを受けて、私は愕然とその場に立ち尽くした。

 違う、私は魔女なんかじゃない! 心の底からそう叫びたいのに、震えた唇から出るのは声にもならない空気ばかりで、動悸だけが激しくなった。

 青ざめる私をさらに窮地に追い立てるために、上座へと詰め寄ってきた大神官は、公爵にあるものを手渡した。


「この十字架には聖法気が宿っております。悪しき魔の物はけして触る事ができない聖なる法具でございます」


 銀でできた十字架のアミュレットだった。公爵と大神官の視線が、十字架から私へとスライドする。


「これに触れさせれば、全てが明らかとなるでしょう。――皆のもの! よく見ておくが良い!! わたしの言葉に、教皇様のお言葉に間違いはない!」


 言下に、冷たい注目が壇上に殺到する。緊迫した空気の中、私は必死で父を見上げた。


「お父様! 信じて下さい! わたくしはけして魔女ではありません!」


 すがりつくように助けを求めた。父なら、分かってくださると心の底から信じていた。

 しかし――そんな父の瞳は、迷うように揺れていたのだった。ためらいと戸惑いの浮かぶ目の中に、かすかな疑いの光があることを、気付いてしまった。


「‥‥‥お父様!?」


 絶句する私の手を、父の震えるそれに掴まれる。

 やめて下さい! そう叫ぶ前に、十字架は手の甲に押し当てられていた。


 バチン――!


 皮膚に触れた途端、わずかに稲妻が生じた。それと同時に、十字架が父の手から抜け、明後日の方向に飛んでいく。

 弾かれるようにして遠くの床に転がった十字架を、父は愕然と眺めた。


「‥‥‥ちがう」


 私のかすれた否定は、騒然となった周囲の声音にかき消された。


「これではっきりしたな――やはり貴様は魔女だったのだ!」


 ‥‥‥ちがう。


「――娘が、わたくしの産んだ子が、わたくしが魔女の生まれ変わりを――っ」


 ‥‥‥ちがう!


「ああ神よ‥‥‥嘘だと言ってくれ‥‥‥‥‥‥!」



「――ちがう!!」


「衛兵! こやつを捕まえろ!! こやつは公女の皮を被った魔女である!!」


 大神官の声を合図に、四方から衛兵が駆けてくる。私はあっという間に床に組み伏せられた。


「離してっ! 私は魔女ではありません! お願い誰かっ、お父様――!」


 どんなに叫んでも、だれも動こうとしなかった。皆、恐怖と憎悪の入り混じった顔で、押さえつけられた私を眺めているだけだった。


「お母様、助けて! セーラ! ‥‥‥っお父様! お父様!!」


 最後の望みをかけて母と妹、そして父に助けを乞う。


 お願いだから「違う」と言って!私は魔女ではないと言って‥‥‥!

 しかし願いも虚しく、衛兵に引きずられていく私を見る家族は恐怖に引き攣った顔をして、まるで別人を見るような、失意を私に向けていた。


 ――そんな! どうして!!?


 魔女だと決めつけられたことよりも、家族から見限られたことの方が、悲しかった。

 そして扉が閉まる直前、隙間から響いてきた父の声に、私は絶望よりももっと深い、暗闇の底に叩き落されたのだ。


「――お前をもう、娘とは思わない」


 私を突き放す言葉と同時に、扉が閉じられた。

 シャンデリアの輝く美しい歩廊を、まるで罪人でも連行するような乱暴さで公女が引きずられていく様子を、通りすがりの使用人たちが唖然と見送る。

 連れていかれる先はおそらく、幽閉の塔。城の別館にある、重大な罪人を閉じ込めておくための牢獄。罪状がグラテアンネならば、考えられるのは最上階にある白銀の牢屋。

 途中、すすり泣く私に、衛兵の一人が冷たく言った。


「やはり超能力など嘘だったんだな‥‥‥のうのうと自分の力を見せつけて、優越感にでも浸っていたってわけか」


「ちが‥‥‥っ」


 そんなこと、少しも思ってない。それに魔女でもない。――なのに、見上げた衛兵の顔は、蔑みと怒りに満ちていた。


「正体が分かったのなら、もう容赦はしない。俺の父はグラテアンネに殺されたんだ‥‥‥! 絶対に許さない!」


 予想したとおり、白銀の牢屋に投げ込まれて、幾重にも錠をかけられた。去っていく衛兵たちは決して振り返ることはなく、やがて物音ひとつしなくなった牢屋に、私のすすり泣きだけが響くようになった。


 ――どうして。


 ただそれだけを思う。木造の簡素なベッドだけが置いてある、もの寂しい部屋の中。見つからない答えを探して、私は延々と自問自答を繰り返した。


 ♢♢♢



 西の大国、サンドリア帝国公爵家の長女として生まれたアリシアは、良くも悪くも取り柄のない子供だった。


 勉学も芸事も人並み程度にこなしてはいたが、どれも秀でた才能を持ち合わせてはおらず、どちらかと言えば大勢の中に埋もれているような人間だった。

 妹が一人いたのだが、その子の方がよほど優秀だったことで、姉のアリシアは大して目立たなかったのも理由の一つ。


 アリシアは、常に影だった。


 反対に、妹のセーラは『天才』で、非凡な才能に満ち溢れていた。

 勉学や芸事などは、教えられればたちまち習得し、特に馬術や剣技など身体を動かすことが得意で、同じ年頃の男の子はおろか、若干六歳にして大人の騎士を相手に打ち負かすほどの天賦の才を持っていた。

 初めは、女の子なのだからと説得していた周囲も、セーラの才能を見て、思い直すようになった。

 王宮で開かれた武闘大会で、当時七歳だったセーラが優勝したときは、国中が沸き上がったのを、今でもアリシアはおぼえている。


『金色の騎士姫』


 母譲りの美しい髪色になぞらえた呼び名が、セーラの代名詞となった。


「私は将来、大陸一の女剣士になりたい!」


 と語ったセーラに、アリシアは迷わずこう答えた。


「セーラなら絶対なれます! ものすごい才能だもの!」


 一方で、姉のアリシアは徐々に、褒められることが減っていった。

 父も母も教育係も、セーラばかりに目を掛けたがる。だが、アリシアはそれを『当然のこと』だと考えていた。

『よくできました』と、『大変素晴らしい』――この二つの違いは大きい。

 それにセーラは、なにも努力をしていないわけじゃなかった。つねに同じ学びの場所にいたアリシアはそれを知っていたし、ときとして、上手くいかずに泣く妹の姿を間近で見ていればこそ‥‥‥自分より評価されていても、少しも不思議には思わなかった。


 ――人には、得手不得手が必ずある。


 むしろ、そうそう巡り合うことのできない非凡な才が、この公爵家に産まれたことを喜ばなくては。アリシアにとっても、セーラの存在は自慢だった。


「次の当主はセーラ様で決まりかしらね」


 ある時、部屋の掃除をしていた侍従の一人が、何とはなしにそう言った。

 扉の向こうにアリシアがいる事など気づきもせずに、部屋の中では侍女たちが楽しそうに会話に花を咲かせる。


「そりゃあそうでしょう、人気も実力も段違いだもの。より相応しい方が選ばれるに決まっているわ」


「社交界デビューの時期も、少し早めるそうね。早く良いパートナーを見つけさせて、家を任せたいのだわ、きっと」


「閣下も期待しているのね。さすがはセーラ様」


「それに比べてアリシア様は――」


「やめなさいよ、それは禁句でしょ?」


「だって‥‥‥普通なら第一公女のアリシア様が次期当主になるものでしょ? あなた不安じゃないの?」


 ‥‥‥‥‥‥最後まで聞くことは、できなかった。


 侍女たちの不安は、アリシアにとっても大きな問題として心に重くのしかかっていたからだった。

 父はまだ、私と妹のどちらを当主にするかははっきりと言及はしていないものの、アリシアを見れば必ずと言っていいほど、


『もっと頑張りなさい、もっと。セーラに負けないくらいに』


 と、口にする。

 男の子が生まれなかったという現状、順位が上の公女を当主に据えるのがこの国本来の慣わしだからだ。


 ――セーラには、当主以外にも様々な未来が広がっている。


 妹が好きな道を選べるように、たくさん努力したつもりだった。でも、それもただの“つもり”になっていただけで、人々が当主にと望むのはセーラであって、私ではない。

 強く憧れていたわけでも、自信があるわけでもなかったが、公爵家当主という道はアリシアに唯一残された価値であり、生きる意味だった。


(誰からも望まれていないのに)


 私は‥‥‥なんのために生まれてきたんだろう。


 人知れずそんなことを考えるようになった頃だった。その疑問に答えるかのように、私の中に眠っていたある力が目覚めたのだ。


 魔法と似て非なる力‥‥‥超能力が。


 しかし不幸なことに、魔力を持たない人間しかいないこの国では、誰もがこの力を魔法と信じて疑わなかった。



 ♢♢♢



 投獄されてから、一週間あまり。


 疲弊しきったアリシアは、牢屋の片隅で膝を抱えていた。

 季節柄暖かくなってきたとはいえ、朝晩の冷え込みは辛く、冷たくなった足はかじかんだまま感覚がない。

 しかも、今日は明け方から夕方まで一日雨が降っていた。天井付近にある、外と繋がる打ちっぱなしの格子窓には雨避けも無いので、吹き込んできた雨露はそのまま水たまりとなって床に残っている。

 ここに閉じ込められてからは、ろくに食事も運ばれておらず、運ばれてきても、水のような味しかしないスープと、カビの付いたパンばかり。

 まるで、忘れていたといわんばかりの食材が、申し訳程度の量で届けられる。


 投獄されて二日はお腹が鳴りっぱなしで、でも今となってはこの状況に慣れたのか、鳴らなくなった。食欲すら湧かないから、そのせいで鳴らないだけなのかもしれないけれど。

 なぜなら、いくらお腹が減ったと知らせても、それを満たすものが出てくるわけじゃないのだから。


 カツン、カツン、カツン、と、鉄格子の奥の階段から足音が聞こえた。――衛兵が来たのだ。

 アリシアはゆっくりと顔を上げた。重い石かなにかが、頭の上に乗っているような感覚に見舞われながら、階段の方に目を向けた。

 現れたのはやはり衛兵で、


「――食事だ」


 ぶっきらぼうに吐き捨てた。鉄格子の間から、食事の乗ったトレーを滑らせるようにして渡される。

 昨日までは、粗末な革袋に詰めたものを投げ入れられていたのに。首を傾げたアリシアは、不思議に思いつつ、衛兵からトレーの上に目を落とした。


「‥‥‥‥‥‥っ!!」


 食事が、ある。

 それも、大きなローストビーフのような肉の塊と、綺麗な白いパン。そして湯気の立った、黄色いコーンスープのようなものまで。一人で食べるには多すぎるような量でもって盛り付けられていて。

 人間としての本能だった。思わず飛びつくようにトレーの方に這っていき、手を伸ばしたが--しかし、視界いっぱい広がった鉛色に、あっ、と驚く暇もなく。気が付けばアリシアは、牢屋の中央に投げ飛ばされていた。


「この卑しい魔女がっ!! お前などに食わせる飯なんかある訳ないだろ!!」


 がちゃん! とトレーのひっくり返る音がして、熱い液体が胸や足にかかる。

 額が激しい痛みに襲われ、それでも蹴り飛ばされたのだと分かったのは、額がじわじわと熱を持ち始めてからだった。


「無様に這いつくばれば優しくしてもらえると思ったのか!? 大人しくしていれば解放されると思ったのか!?」


 血を吐くように叫んだ衛兵は、父親が魔女に惨殺されたと語っていた、あの衛兵だった。


「最後の晩餐なんか、お前ごときに‥‥‥。父さんは死ぬ前にこんな豪華な食事なんか食べちゃいないっていうのに‥‥‥!」


 歯を食いしばって涙を呑んだ衛兵が、震えながらに言う。

 床にうずくまっていたアリシアは、額からわずかに手を離した。

 まともに開ける事すらできない両目に、縁取るように赤が滲む。すぐにでも遠のきそうな意識の中、アリシアは一つだけ、頭の中に浮かんだ言葉を、必死に喉から絞り出した。


「‥‥‥お、とうさま、は‥‥‥?」


 父どころか、母も妹もここには一度も来ていない。会ったら会ったで、なにを話されるのかがとても怖いけど、それでも最後に一度くらい、そばで声が聞きたかった。


『最後の晩餐』――衛兵はそう言った。ほんの少しだけ期待していたのだけれど、やっぱり処刑は免れない。


 それなら最後に、家族には会っておきたい。会って、もう一度伝えたかった。私は魔女ではないと。どうせ殺されるぐらいなら、家族にくらいは分かっていてもらいたい。


「‥‥‥閣下なら明日、処刑を見守ってくださる。その時に会えるだろう」


 抑揚の無い、低い声音。言葉の端々から、お前の事など信じない、という固い決意が感じられた。


「もうだれもお前の事なんか気にかけちゃいないのさ。――それと、明日少しでも変なマネをしてみろ、その場にいる誰かがお前の首を切り落とす」


 言って、衛兵は背を向けた。


「魔法は使えないように白銀の錠をかけるつもりだが、一応忠告だ。忘れるなよ」


 そう言い残して去っていく。


(父も母もセーラも、もう会えない。会いに来ない)

 石張りの冷たい床の上、意識朦朧と倒れたアリシア

は目を閉じた。


(疲れた‥‥‥)


 それ以上考えることはできなかった。


 もういいか。


 頭に浮かんだのは、そんな言葉だった。




 ‥‥‥‥‥‥それからどれくらいの時間が経ったのだろう。


 アリシアは、不可解な物音によって眠りから目覚めた。

 夜明けには‥‥‥まだほど遠い。格子窓からささやかな月明りが差し込むだけの仄暗い牢屋の中、アリシアは薄っすらと目を開けた。

 半分ほどしか上げられなかった瞼を慎重に瞬かせてから、物音がした方に目線だけを投げる。


 ‥‥‥‥‥‥なんの音だろう。


 耳を澄ませてみて、外の石畳から響いてきたごくささいな喧騒に、胸騒ぎをおぼえた。


(‥‥‥まだ朝ではないのに)


 ――妙に騒がしい。


 衛兵の話し声とは何かが違う、鬼気迫る叱声と‥‥‥悲鳴?

 異変を感じ、アリシアは鉄格子に近寄った。

 牢屋から階段まではやや離れているため、下がどうなっているのかは窺い知ることができない。まして、こう暗がりでは夜目にも限界がある。

 しかも、階段を下りた先は木の扉でさえぎられているので、目を凝らしたところで、やっぱり意味など無かった。


(一体なにがおこっているの?)


 格子の隙間に顔を寄せ、耳をそばたてる。

 今もなお聞こえる叱責にくわえて、ドタドタと数人の走る足音までする。

 と、パン!と小さく発砲音が聞こえ、アリシアはハッとして鉄格子から顔を上げた。


(――銃声! 侵入者!?)


 ぞわりと悪寒が背筋をかけぬける。アリシアは鉄格子から顔を離した。


(まさか、暴動‥‥‥!?)


 “魔女狩り”。すかさず思い浮かんだ単語に、アリシアは震えあがった。


(いいえ‥‥‥まだ分からない)


 暴動にしてはいささか静かすぎるのでは? ‥‥‥アリシアは咄嗟に思いなおした。


 そもそも、処刑が決まった人間を、罪を犯してまで殺害しようなどと考えるだろうか? それなら処刑が決まる前に事に及ぶ方が自然では? ‥‥‥なぜこのタイミングで?


 霧散しかけた理性を集めて必死に考える。なんとか平静を保とうとした。

 自分ははたしてどうすべきなのか。ここにいるべきか。それとも――。

 だが、その直後。

 バタン!とものすごい音がして、扉が何者かに蹴破られた。


「‥‥‥手練れがワラワラと‥‥‥さすがに骨が折れるぜ」


 わずかな静寂の後、盛大な溜息とともに、無遠慮な独白が聞こえてきた。

 若い男の声。しかもこれは、絶対に衛兵ではない者の声。

 それを証明するように、響いてきた足音はアリシアの聞きなれないもので。甲冑の音でも、軽いヒールの音でもない。もっと別の、石畳に吸い込まれるような、少しくぐもった足音だった。

 思わず後退りしたアリシアは、息を呑み、身構えた。

 明らかに、賊。もしくは、それに準ずるもの。

 暴動でも魔女狩りでもなかったが、状況はまるで変わらない。非常事態だ。


「――誰です!?」


 牽制のつもりで叫んだ。

 どういう理由で乗り込んできたのかは知る由も無いが、ここは公爵家の居城。不埒な賊が立ち入っていい場所ではない。

 また、グラテアンネに対し恨みある者なら事情は察するが、そうではない無関係な者に侵される道理もない。

 潰れかけの瞼をできるかぎり開いて、アリシアは凛と構えた。

 すると、石畳の下から現れた影が、鉄格子の前で足を止めた。そして、どこか拍子抜けしたような声で言う。


「お! なんだ? サンドリアの秘宝ってのは人間にもなれんのか(・・・・・・・・・)?」


 呆れたような、少し間延びした声音。構えていた得物をあっさりと引き、それを肩口にあてる。現れたのは、上背のある細身の男だった。


「おいおい‥‥‥秘宝って言うからにはものすごい宝石とか、ロストテクノロジーを想像してたんだがなぁ」


 ――当てが外れたぜ。男は、あからさまなくらい大きく溜息を吐いた。


「他には? ――って、財宝も無しかよ! ‥‥‥チッ」


 不機嫌この上ないぼやきを吐き、盛大に舌打ちまでされる。

 どうやらここを宝物庫かなにかだと勘違いしたようだ。アリシアは思わず唖然としてしまった。


(この男、本気で言っているのですか!?)


 どこからどう見ても牢獄であるこの場所を、どうしたらそんな風に勘違いができるのか。

 呆気に取られて固まっていると、わずかに身を屈めた男が小声でルーンを唱えた。


 “炎よ”


 と、男の左手のうえに極小さな火が灯る。‥‥‥驚いたことに、この男は魔法使いであるらしい。

 ようやく明らかになった男の顔は、思った通り若かった。アリシアより年上だが、そう年が離れているわけではなく、黒髪に青い瞳の、鼻筋の通った精悍な顔立ちをしていた。

 身なりは、藍色のコートと白いシャツ、焦げ茶色のズボンと革靴。左手小指に、ゴールドのシグネットリングが一つ。

 一見平民のようだが、腰にぶら下げた革製のホルスターで、男がただの平民ではないことは一目瞭然だった。


 すると、男はさっそく鉄格子に気付き、やや顔を顰めた。


「魔法の利かねえ白銀かよ‥‥‥――ていうか、この顔の潰れた女が秘宝? どっからどう見ても不細工なただの小娘にしか見えないんだがなぁ」


 言うに事欠いて、またしても不満そうに言う。

 これのどこが秘宝なんだ? と言いたげな顔つきである。


 ――無礼な!


 すかさず叫びそうになって、アリシアは言葉を引っ込める。


(悠長に怒っている場合じゃない!)


 カッと頭に上りかけた血を、理性で平常心に留める。人道から外れた者に対し、真面目に反論などしても労力の無駄である。

 アリシアは男を睨んだ。


「ここから立ち去りなさい。見てのとおり、ここに秘宝などありません」


 きっぱりと断じる。だが、アリシアの言葉など気にもせず、男は錠前に視線をやった。


「鍵は‥‥‥たった一つか。これだけの白銀を使っておいて随分とお粗末な守りだな」


 肩口に預けていた得物――銃を錠前に突き付けたかと思うと、躊躇なく引き金を引く。

 ズバン!とけたたましい発砲音とともに、銃口から火花が散った。せつな、はじけ飛んだ錠前が階段に落下し、キィと耳障りな音を立てて格子扉が開く。

 男が持つ銃は大口径のライフルのような造りだが、いくらなんでもたった一発で白銀の錠が壊れるなど有り得ない。

 呆然としたアリシアの前に、あっさりと牢屋に侵入した男が立ちはだかった。


「白銀が鉄壁だった時代はもう終わったんだよ。旧世代の遺恨に憑りつかれたままのこの国じゃ、理解できないかもしれないが?」


 ふてぶてしくフッと笑う。

 アリシアは険しい表情で男を見上げた。


「出ていきなさい。ここはあなたのような賊が立ち入っていい場所ではないわ」


 すると、男がここにきて初めてまともに返事をした。


「そりゃ残念。だが、これも俺達の仕事でね」


「なんて野蛮な」


 人なのかしら。と言いかけた言葉は途中、伸びてきた手に遮られた。

 男の無遠慮な手がアリシアの二の腕を掴み、半ば強引に引き立たせる。

 慌てたアリシアの必死の抵抗も無視して、男はそのままアリシアを連れて牢屋から出ようとした。


「は、離して!」


「イヤだね」


「こんなことが許されると思っているの!?」


「こっちは盗むのが生業なんだよ」


「ですから、わたくしは秘宝ではなく、」


「――ちょっと黙っててくんねぇか?」


 と、言葉を低めた男に軽々と身体を持ち上げられ、突然の浮遊感にアリシアは短い悲鳴を上げた。


「お、降ろしなさいっ!」


 肩に引っ掛けるようにして抱きかかえられてしまう。アリシアの制止などどこ吹く風なのか、男はそのままスタスタと階段を降り始めてしまった。


(うそでしょうっ!?)


 アリシアの腰と足はがっちりと男の腕に押さえつけられており、自由になるのは腕だけだ。


「やめなさい! わたくしを戻して!!」


 力を振り絞って男の背中を叩くも、びくともしない。その上、ろくに食べられなかったせいか、十発も殴らないうちに息があがってしまった。

 ゼェゼェと息荒く反抗するアリシアに、男は何故か呆れたように言った。


「口は達者なくせに随分と弱っちいな。育ち盛りが。ちゃんと飯食ってんのか?」


「あ、貴方ごときに心配されるいわれはありません!」


「確かに、違いねえ」


 くくっと笑う。


(こうなれば無理やりにでも――)


 アリシアがそう考えた刹那、男がいきなり歩廊の真ん中で立ち止まった。

 思い直して牢屋に戻る気にでもなったのかと思いきや、腰のホルスターから銃を素早く引き抜いた。


「‥‥‥どうやら、新手だな」


「え‥‥‥――きゃあっ!?」


 言下、男が走り出した。

 咄嗟に男のコートを掴んだアリシアの耳に、落ちんなよ? ボソッとした苦笑が聞こえた。

 歩廊を疾走し、螺旋階段を飛ぶように駆け下りていく。


「離しなさい! 離さないと、」


「舌、噛むぞ?」


 次の瞬間、男が窓ガラスに向けて数回、銃を発砲した。

 一体何を考えているの!? ――アリシアがそう胸中で叫んだ直後だった。

 男が、壊したばかりのその窓から飛び出したのだ。


「えっ‥‥‥」


 突然おとずれた浮遊感。みおろした地上の遠さに、アリシアは言葉を失った。

 ――死。直感が告げる。頭の中で警笛が大音量で鳴り響いた。


(落ちる!!)


 来るべき衝撃を予知して、アリシアはギュッと目を瞑る。

 しかし、アリシアの予想とは裏腹に、男は“空中の上に着地した”。

 まるで見えない足場でも存在するかのように、スタン、と何か硬いものの上に降り立ったのだ。


「よし――帰るぞ! ヴァルゴ!」


 すると、男の足元にあった空間が、わずかに揺らめいた。

 闇夜にうっすらと浮かび上がった、大きな半透明のシルエット。その中央に自分たちがいるのだと、アリシアは気が付いた。


「これは‥‥‥!?」


 おどろいたアリシアに、男は自慢げに語った。


「俺の飛空艇、ティアフォースさ」


 すべるように動き始めたそれ――飛空艇を見下ろし、アリシアは息を呑んだ。


「飛空艇‥‥‥?」


「そ。俺達は空賊だからな」


 男はニヤリと笑うと、アリシアを下ろした。手首はしっかり掴まれたままだったが。


「俺はエラ。大空賊になる男の名だ――覚えておけ」


 月明りの下、呆然とするアリシアの顔を覗き込み、男は堂々と言った。

 この出会いが、死ぬはずだったアリシアの運命を大きく変えることになるのだが、この時のアリシアは、それを知る由もないのだった――。


♢♢♢


 ――なぜ抵抗しないのか、自分でも不思議だった。

 ‥‥‥眼下に広がる美しい夜景のせいだろうか?


 魔女だと明言され、処刑されるはずが、気づけば賊に誘拐されていた。

 現実はこんなにも目まぐるしく状況が変わっているのに、アリシアの心はまるで息も忘れたみたいに静かだった。


 全てを諦めたはずだった。その覚悟もした。それなのに、いざ死を目の前にした瞬間、怖くて怖くて仕方がなかった。


 放心状態でうずくまるアリシアを観念したと見たのか、誘拐犯たる男の表情はことさら清々しいもので。

 エラと名乗る空賊に手を引かれて船内へと入ったのだが、アリシアがあまりにもおとなしかったせいだろう。エラはこれといった拘束をすることもなく、そのままコックピットのトビラを開いたのだった。


「よぉ、迎えご苦労! ナイスタイミングだったぜ? 守備はどうだ?」


 さっそくエラが操縦席に声を掛けた。六人分の座席の一番後ろに私を座らせると、先頭へと歩いていく。

 と、操縦席にいた男がエラをちらりと振り仰いだ。


「お疲れさん‥‥‥‥まあまあってとこだな」


 男は渋い顔で言う。茶髪に、白い布をターバンのようにして頭に巻いている。エラと同じくらいの年頃か、一瞬見えた横顔は、まだ若かった。


「ジャミングは?」


 エラが聞くと、


「――正常。追手は‥‥‥今は一機も見当たらない」


 男は中央に備え付けられた小さなモニターを見ながら答えた。

 すると、操縦席に寄りかかるように右腕を置いたエラが、モニターを覗き込みながら含み笑いをした。


「へぇ、ロストテクノロジーの御業ってやつか? 俺達を見つけられなくて手も足も出ない、と」


 余裕たっぷりのエラに、男がすかさず反論した。


「馬鹿言え、向こうは帝国、こっちは賊だぞ? 追跡どころか探しもしないなんて、いくらなんでもおかしいだろ。その秘宝とやらは本当に確かなんだろうな?」


 これに対し、エラが間髪入れずにまくしたてた。


「お前こそ馬鹿言え! 俺がどんだけ苦労して手に入れた情報だと思ってんだ、絶対間違いはねえ!」


「‥‥‥なにが苦労だよ。あっちこっちで朝までグビグビやっただけの薄っぺらい情報だろうに」


 ジト目で、さらにはため息までつく男に、エラは声を荒げた。


「なにぃ? 聞き捨てならねえな、ヴァルゴ。お前だってノリノリだったくせに!」


「ったりめーだ! こっちは手配書が出るか出ないかの大博打に出たんだぞ? 命がけで乗り込んだのにブツが違ったら、とんだ笑い者だって‥‥‥」


 操縦席の男がエラに食ってかかった、その直後。男の視線が、ふとアリシアの方に流れた。

 バチッ――そんな音が聞こえた気がする。目と目が合って数秒間、男とアリシアはお互いまじまじと見つめあった。


「‥‥‥‥‥‥オンナ?」


 目を丸くした男がパチパチとまばたきをする。「は?」と口を開けたまま硬直する男に、エラが爽やかに述べた。


「“これ”がサンドリアの秘宝だ! 公爵家に代々受け継がれる――その名も“白銀の女神”! 古代の英知が結集した高エネルギー物質で、不可解な現象を引き起こすといわれている遺産の――」


「こんの、あほがーーーーっ!!」


 操縦席の男、ヴァルゴの絶叫が船内に響きわたった。

 飛空艇を操るためのハンドルもそっちのけで、すっくと立ちあがった彼は、ものすごい気迫でエラに詰め寄った。


「どこの世界に秘宝と人間をまちがえる空賊がいるんだよ!! こいつ人間じゃん! どうしてこうなった!? お得意の方向音痴かっ!? それでもてめえは魔導士か!?」


「おいおい慌てるなよ‥‥‥たしかに宝物庫にいたんだぜ? 一番高い塔の上だ。こいつだけだったし、間違いないって――」


 しどろもどろになりながら、エラがアリシアを発見した場所についての説明をする。だがそれによって、ヴァルゴの怒りは格段に増してしまった。


「ふっざけんな! そりゃあ罪人とか極悪人とか死刑囚を閉じ込めておくための牢獄だろーが!」


「いやいやいや‥‥‥‥‥‥そんなはずは」


 すると、ヴァルゴはビシッとアリシアを指で差した。


「高エネルギーの物質に本気でアレが見えんのか!? 魔素のかけらもオーラだって見えないだろう!?」


「‥‥‥‥‥‥」


 ギギギと首を回したエラと視線が絡む。その“魔素”やら“オーラ”というものを見極めようとしているのか、わずかに目を細くする。

 たっぷり一分は経ったころ。エラはハッとしたように「たしかに‥‥‥」と呟いた。


「こんの大馬鹿――‥‥‥っなに!?」


 刹那、響き始めたアラートに、男二人は顔色を変えた。

 ビー、ビー、とけたたましく鳴り続ける警報音と同時に、コックピット内が赤く明滅する。


「敵襲か!?」


 エラが叫び、そくざに助手席に座りなおしたヴァルゴが「ちがう!」と声を張り上げた。


「‥‥‥これは船内だ。動力エネルギーが異常増幅してる!」


 盛大に顔をしかめたエラが舌打ちした。


「またか‥‥‥」


 やれやれと、あきれたように首をふる。

 その時、機体が大きく揺れ、どこか後ろの方で爆発音がした。


「――破損か所は?」


 エラは冷静だった。ややとりみだしたヴァルゴがモニターを慌てて操作する。


「エンジン部分だけど、これじゃあはっきりとは分からない。実際に見てみるしか‥‥‥」


「なら、俺が操縦をかわる。お前はエンジンを見てこい、可能な限り修復に努めろ」


「‥‥‥わかった、頼んだぞ」


 おう、と返答し、ヴァルゴと交代でこんどはエラが操縦席に座った。慌ただしくコックピットから出ていくヴァルゴを見送ってから、アリシアはそろりと操縦席の方を確認した。


 今もなお赤い光は続いている。こきざみに揺れる船内に、ときおり響く不吉な爆発音。ハンドルを握るエラの手に、力がこもるのがアリシアからも見て取れた。

 落ち着いた彼の様子からは分からなかったが、実際にはかなり大変なことがおきているらしい。

 アリシアは座席から離れ、エラの隣まで慎重に歩いていった。


「あの‥‥‥」


 アリシアが訊ねると、彼は少し不機嫌そうな顔をした。


「見て分かる通り、今は取り込み中でな。大人しくしてないと死ぬぞ?」


 低い声で言われる。脅すような言い方だった。

 おそらく、アリシアがこの機に乗じて反撃に出るつもりか心配なのだろう。しかし、あいにくとアリシアはそんなつもりはさらさら無かった。


「エンジンの異常――がどれほどのものか分かりませんが、要するに墜落する危険性があるということですか?」


「‥‥‥そうだが?」


 エラは眉をひそめた。


「それを聞きに来て、お前はどうするんだ」


 じろりと睨まれたかと思うと、彼は苛立ったような口調で続けた。


「賊の俺をここでヤるつもりなら、やめておけ。一秒でも操縦を誤ればソッコーで墜落、果てにはあの世逝き‥‥‥五体満足で国に帰りたいなら、そのまま席に座ってろ」


「‥‥‥わたくしを国に帰そうとお考えなのですか?」


 おどろくアリシアに、仕方ないだろ、とエラは言った。


「秘宝じゃないなら用はねえよ。まあ、こんなことになってからする話でもないけどな」


 パッと視線が外され、エラは再びフロントパネルを険しい顔で睨み付けた。


「‥‥‥勘違いの末の誘拐。てっきり、わたくしはどこかに売り飛ばされるものだとおもっていましたが‥‥‥」


 思いがけずこぼれた本音に、エラは「はあ?」と顔をしかめた。


「んなことするかよ。そういうゲス野郎どもと俺を同じにすんな」


「誘拐はするのにですか?」


「‥‥‥‥‥‥そこは、ただの勘違いだ。すまん」


 ふてくされたように吐き捨てた。生きるか死ぬかの緊急事態だというのに、アリシアの中から不安が薄れていくのを感じる。そこでふと、アリシアは「はて」と首を傾げた。


(‥‥‥不安だなんて、感じる必要がないというのに)


 どうせ死ぬはずだったのだ、わたくしは。あらためてそう考えると、おかしかった。

 あのヴァルゴという男の話から思うに、城から何の追跡も無いとなると、父と母はアリシアの事など知ったことではなかったのだろう。

 つまり、見捨てられたのだ。

 どこでどう死のうと興味すらない、ということなのかもしれない。


(それなのに、この人のほうがわたくしのことを案じて下さっている)


 少なくとも、生かして国に返そうとする意志はあるのだから。


「‥‥‥あなたの好きなようになさってください」


 自嘲気味に呟いたアリシアを、エラは「はあ?」と見上げた。


「わたくしは死ぬために投獄されていたのです。死ぬことでしか価値のない命ですから、わたくしをお金に換えて下さっても問題ありません」


「‥‥‥何言ってんだ?」


「わたくしに値打ちがあるのかは分かりませんが、わずかでも資金の足しになるのなら、そうしてください」


「こんな時におまえ‥‥‥」


 目を見開いたエラが唖然と言った。イカれている、と言いたげな空色の瞳に、暗く笑った自分の姿が映りこんだ。

 だがその時、船尾の方から再び大きな爆発が起こって、アリシアは大きくよろめいてしまった。倒れ込んだアリシアに、エラの厳しい声がふってきた。


「チッ‥‥‥その話はあとだ!」


 と、エラは頭上にあった無線機をひったくるように掴んだ。


「おいヴァルゴ! 状況は!?」


 無線機に向かって叫ぶ。すると、すぐに応答があった。


「――かなりまずい! このまま飛び続けるのは無理だ! 機体が分解しちまう!」


 無線から響いた喚くような声音は、それだけでこの状況がどれくらい逼迫しているのか、無知なアリシアでさえ理解するのには十分だった。


「くそっ‥‥‥あとどのくらい持つ!? 今から着陸は間に合うか!?」


「無理だ! 制御装置が壊れてる‥‥‥っもう数秒もない! エンジンを強制停止させるしか――」


「15000フィートだぞ! 上空4500メートルの高さで止められるかっ!」


「だがこのままじゃ機体がバラバラになっちまう! ギリギリで再起動させれば間に合うかもしれない!」


「運頼みかよ‥‥‥ほんっとにツイてねーな」


 ガチャン!と叩きつけるように無線機を戻し、エラは頭をガシガシと搔きむしった。

 すぐさまフロントディスプレイのパネルに触れようとするが、彼の手はその直前でピタリと静止してしまう。おそらく、彼が手を伸ばした先にあるそのパネルが、エンジンのオンオフを切り替える為のものなのだろう。


 ――本当に止めていいのか!?


 不意にエラの心の声が聞こえてくる。

 強烈な思念が直接脳に聞こえてくる、いわば‥‥‥テレパシーだ。


 ――死んでたまるか!


 壮絶なエラの横顔が、アリシアの瞳に焼き付いた。


(‥‥‥生きたいと願う者の顔、なの?)


 必死な顔をしながらもエラは、少しだけ笑っているように見えたのだ。


(どうしてこんな時に、そんな顔をするの?)


 死を目の前にしながら、輝かんばかりに光る空色の瞳。

 死を受け入れて全てを諦めたアリシアには、その笑みの意味がまるで分からなかった。

 それと同時に、湧き起った感情に突き動かされるように、アリシアは自然とエラの手に自分のそれを重ねていた。


「‥‥‥止めましょう」


「‥‥‥‥‥‥っ!!?」


 ハッと我に返ったエラがアリシアを見つめた。

 至近で輝いた空色の瞳がわずかに揺れる。


「わたくしが“浮力”になります。あなたは操縦を続けて下さい」


「なに言って――」


 エラの言葉が途切れた。

 アリシアの身体からあふれたオーラに彼が驚いたのと、パネルを押したのは同時だった。


 ♢♢♢



 一目見て、「こいつがそうだ」としか思わなかった。


 俺が宝物庫だと思い込んだ鉄格子の中にいたのは、女とも言えない子供だった。

 月のようなシルバーの髪に、琥珀色の瞳。格子窓からさしこんだ僅かな月明りの下、そのはかない姿を見て、はじめは幽霊だと錯覚した。

 真っ赤に腫れた額のせいで、次いで老婆かと思い直したが、口を開けば鈴を転がしたような声音がとびだして、その瞬間――やはりこいつだ、と内心笑みが止まらなかった。


 門外不出の伝説の秘宝だなんて云うからには、一筋縄にはいかないだろうと覚悟はしていたが、まあこうもあっさり見つけてしまうとは――。

 女の言葉も聞かずに、抱き上げた身体は随分と軽かった。


 ♢♢♢


「‥‥‥‥‥‥お前、サイキッカーだったのか」


 アラートが消え、しんと静まりかえった船内で、俺はふと隣に立った女に訊ねた。


「‥‥‥ええ」


 かなり間を置いての返答だった。掠れた声に気が付いて、女の方を見れば、女は苦しそうな顔をして額から大汗までかいていた。


「――おま、どうした!?」


 咄嗟に手を伸ばしかけた俺に、女はすかさず「ダメ!」と叫んだ。


「今、手を離さないで‥‥‥もうどこに向かっているのかも、わからないのです」


「あ、ああ‥‥‥」


 なかば呆然とシートに座り直し、横目で女の様子を確認する。


 呼気が荒い。真っ白な肌などはすでに血の気が引いているうえに、真っ青だ。ふらつく上体を支える両足は震えていて、今にも倒れてしまいそうだった。


 ‥‥‥‥‥‥それもそうだろう。


 この女はかれこれ六時間、たった一人でこの機体を飛ばし続けているのだから。


「サイキッカーを見たのは初めてじゃないが‥‥‥」


 多分、こいつは間違いなく『天才』の部類に入る者の一人だ。

 念動力は基本、能力者自身が素手で持ち上げられる重さが基準となる。それより重いものを持ち上げるにはそうとうの修練と時間、もしくは才能が必要となるのは知識として知っていた。


(飛空艇一機だぞ‥‥‥どれだけの重さがあると思ってるんだ)


 服装を見るに、この女の出自が貴族であるのは間違いない。どんな経緯で牢獄にいたのかは知らないが、貴族の女ともなると蝶よ花よと育てられるがゆえに胆力に欠ける。

 それがどうだろう。想像を絶する労力を費やしてまで、なお意識を保つ精神力。あまつさえ、己を誘拐した賊に対してこの振舞とは、とても信じがたい。


(――いや、理解できないと言うべきか‥‥‥)


 この上、資金の足しになるなら自分を売れとまで云う。


(‥‥‥完全にイカれてやがる)


 そう思いながら、エラはこの女がどうしてそこまで追い詰められているのか、気になっていた。


「‥‥‥エラ、動力部の復旧終わったぜ?」


 と、コックピットにヴァルゴが戻ってきた。


「まあ応急処置程度だが、これならなんとか波止場まで戻れるだろ」


 フーと太い息を吐いたヴァルゴが後部座席にドカッと腰を下ろすのを見て、俺もホッと息をついた。

 再びエンジンを再稼働させたところで、女に呼びかける。


「もういいぞ‥‥‥よく持ちこたえてくれたな」


 華奢な背中に触れてみると、冷たかった。大量の汗で身体が冷えたのかもしれない。ドレス越しでも分かるほど、彼女の身体は冷え切っていた。


「‥‥‥おい?」


 反応がない。すると、無言の女を見兼ねたヴァルゴが、呆れたような口調で言った。


「俺の腕に文句があるってか? そんなに信用がないならいっそ今から飛び降りて一人で帰ればいいんじゃねーの?」


 人一人分なんかよゆーだろ? 刺々しいヴァルゴの物言いに、思わず頭を抱えたくなる。


「――お前なあ、こいつがいなかったら今頃サカナのエサだったんだぞ?」


「はっ! 知るかっ。そもそもエラが不確かな情報掴まされてなきゃ、あんなとこまで行ってないだろ」


 言って、ヴァルゴはツンと顔をそむけた。生意気なのはいつものことだが、妙に突っかかる。

 筋金入りの貴族嫌いのせいか、命の恩人たるこの少女に対しても心を赦すつもりはないらしい。


 ‥‥‥それもまあ仕方がないことだ。


 へそを曲げたヴァルゴは放っておくとして――俺は再度女に呼びかけた。


「なあ、もう大丈夫だ。とにかくもう能力を止めろ」


 体に負荷が掛かりすぎると最悪の場合‥‥‥脳死、なんてこともあり得る。


「その年で大したもんだよ、お前。そういえば、名前をまだ聞いていなかったな」


「‥‥‥‥‥‥あり、しあ」


「そうか、アリシアか。よく頑張っ――」


 その瞬間だった。とうとう限界がやってきた。


「アリシア!?」


 崩れ落ちたアリシアを寸でのところで抱えたが、覗き込んだ顔を見て、言葉を失った。

 さすがのヴァルゴもハッとしたようで、座席から僅かに腰を浮かせた彼に、俺は早口に捲し立てた。


「――ヴァルゴ! 急いで救命具を持って来い! 回復装置と魔道具一式、今すぐだっ!」


 コックピットを飛び出していくヴァルゴを横目に、俺は操縦をただちに自動渡航モードへと切り替えた。

 ぐったりとして意識のないアリシアを抱え、ひたすら呼びかけ続ける。


「しっかりしろっ! かならず助けてやるかなら‥‥‥!」




 ――単なる勘違いも、人は運命と呼ぶ。

 

 これは、後の歴史に名を遺す偉大な空賊エラと、その一味であり妻であるアリシアの始まりの物語である。 




 

読んでくださりありがとうございました。


この物語は、元々は十万字くらいの長編小説で、これはその冒頭を抜粋したものです。

改めて読み返すと人称のブレが酷い。一年前はこれが精一杯でした。‥‥‥今もですが。

せっかく十万字も書いたのに、全文を掲載する気になれなかった‥‥‥どうしても。今回は供養のために投稿しました。

いつかちゃんと掲載できるといいな、なんて考えております。


最後に、もしよろしければ↓から評価やブックマークをしていただけますと嬉しいです。大変励みにもなりますし、何より今後の参考にもなります。是非よろしくお願いします。

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[一言] 面白いです。連載版も読みたいと思いました。
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