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幽霊のセカイ

「なんだ、すっごく綺麗なところじゃない」

ナナシが飛行船のタラップを駆け降りながらいった。


わたしはもう一度だけ、未練がましく操縦桿を動かした。

うんともすんともいわない。

やはり船は完全に沈黙している。


下の世界で拝借してきたはいいが、世界間の〝穴〟を超えてすぐに操縦性が悪くなり、どうにか〝穴〟のふちに着陸させたところで、完全に反応しなくなったのだ。


これは、この階層世界の乗り物にありがちな現象だ。〝穴〟を超えられるほどの機体を製造できる文明は、機体が自世界にとどまるよう制限をかけることが多い。そうしないと、わたしたちのような愚か者が現れるからだ。


わたしは飛行船を諦めると、ナナシを追って外に出た。


なるほど、たしかに見事な都市が広がっている。


穴を中心に、同心円状に道が作られ、そこから八本の巨大な目貫通りが放射状に伸びている。通りの両側には、摩天楼が力強く天を突いていた。


頭上にはエアカーが何十台、いや、何百台と行き交い、通りには大勢の老若男女が溢れていた。みないきいきとした表情で、満ち足りた人生を感じさせる。


「ここのどこが地獄なんだろ?」ナナシがいった。


下の階層の住人たちは、ここには地獄が広がっているといったが、極端な管理社会でもなさそうだし、怪物もいない。機械に支配されている風でもない。


ただ、違和感はなくもない。


まず、聳える摩天楼はあちこちヒビが入り、崩れかけているものもある。エアカーもフラフラ飛んでいるものも多い。高架を走る電車も激しく軋んでいる。都市全体がガタついている印象だ。そのくせ、どこもかしこもピカピカに磨き上げられている。


そして、匂いがない。

都市にありがちな生活臭がまるで感じられないのだ。

どれほど清潔を徹底しているのか。


ナナシはキョロキョロと当たりを見回しながら、ずんずん進んでいく。

と、何か気になったのか、いきなり地面に這いつくばり、アスファルトをまじまじと眺めはじめた。

好奇心の強い少女だ。


わたしは背後を見た。飛行船は穴を取り囲む木々に隠れている。惜しい船だが、下の世界の技術者が組み込んだロックを解除するのは至難の業だ。諦めて、この世界の飛行機械をいただくほかないだろう。


そのとき、笛の音がピリピリと響いた。

一人の警察官ーー警官の服装というものは、どこの世界でも概ね同じだーーが、警棒を振り回しながら、道路を渡ってこちらに近づいてきた。


若い。年齢は二十歳前後で、使命感に溢れた顔つき。いかにも新人といった感じだ。しかし、腰には拳銃をぶら下げている。


わたしは警戒度を上げた。電磁誘導で質量弾を打ち出す型だ。万一命中すれば、再生にかなりの時間が必要になる。ましてや、いまはナナシがいる。


わたしは彼女と警官の間に立ち塞がった。

下の世界で使ったのと同じ、共通言語Bでいう。

「どうしました? おまわりさん」


「うわ!」彼が小さく叫んだ。「なんだあんた。コスプレか?」


「ああ、わたしの髪や目が白いのは生まれつきなんです」人造人間とは説明しない。もしこの世界にそういったものがいなければ余計な騒ぎになるからだ。「ちょっとした遺伝なんです」


「そ、そうですか。それよりですね、ほら、こんなところに駐機されちゃ困るんですよ。ただちに移動させてください」


なかなか優秀な新人だ。機体は上手く隠れていると思ったのだが。


「申し訳ありません。故障したんです」


「故障? エアカーが? いや、というより何ですこの機体。こんな美しい車はみたことありませんよ」


「ああ、下から来たんですよ」


「下!? 封印階層から!? まだ人がいたんですか?」


警官は興味津々といった感じで、機体に近づいた。


一方、ナナシはまだ舗装に張り付いている。


わたしはそっと声をかけた。

「どうしたんだ? 宝箱でも埋まっているのか?」


彼女は地面を睨んだまま答えた。

「ここの舗装、なんだかおかしいよ。すごく、光ってる」


なるほど、よく見れば地面そのものがごくわずかに、ぼんやりと輝いている。


あらためて周りを確認すると、ビル、エアカー、電車、すべての輝度が、階層の天井から降り注ぐ光から計算される数値より、少しだけ高い。

さきほど、都市が輝いて見えたのはこのせいだ。

ここの住民は、少しでも世界を綺麗に見せたいのだろうか。


「君の視力で、これほどささやかな違いによく気づけたものだ」


素直に賛辞を送ると、彼女は警官の足元を指差した。


「まだあるよ。あの人の立っている場所だけよく光ってる」


たしかに、警官の動きに合わせて、足元の輝きが移動している。


これはなんだ? わたしは目を凝らした。あの光にはいったい何の意味があるんだ? 街中を確認すると、人々の足元の舗装、それに彼らのすぐそばのビルの壁が、同じように輝きながら、人の動きに沿って動いている。


もう一度、若い警官に視線を戻す。


警官は藪から突き出した小型飛行船の先端部に触れようとしていた。


彼の指がそっと近づきーー飛行船に〝飲み込まれた〟。

指先が飛行船の船体に入り込んでいる。


彼が「うわっ!」と手を引っ込めた。


指はちゃんと付いている。


ナナシがつぶやいた。

「いまのは?」


わたしは視力を限界まで高めて、ようやく何が起きているのかを把握した。


「彼はものに触れることができないんだ」


「警棒を持ってるけど」


警官が、その警棒で船の外殻をもう一度つついた。

手と同じように、警棒の先端が外郭に吸い込まれる。


警官が顔を上げてわたしたちを見た。

「この機体はどうなってるんですか?」


「君が知るべきでないことだ。さあ、ナナシ、先を急ごう」

わたしはナナシの手を取ると、警官から離れようとした。


だが、彼は「待ちなさい!」といいながら、こちらに駆け寄り、わたしの腕を掴もうとした。


手はわたしの体をすり抜けた。


彼の顔が恐怖に引きつる。

「実体がないんだ」


「その通り」


「あなたたちは、封印世界の霊魂か何かということですか?」


「違う。実体がないのは君であり、霊魂的な存在であるのも君だ」


彼が顔を顰めた。

「なにをいってるんですか? ぼくが霊魂?」


「どちらが実体であり、どちらが霊魂的存在なのか、証明は少々手間だ。だから、ここまでにしておこう」


ナナシが割って入った。

「ちょっと、証明してよ!」


「わかった」

わたしは彼女を抱えると、警官の足元にそっと転がした。


地面からの光の投射が遮断され、一瞬だが彼の両腕が〝ブレた〟。


ナナシは警官をまじまじと見つめ、警官も自分の身体を見つめている。


わたしはナナシを引き起こしながらいった。

「補足すると、わたしには君の匂いが感じられない。君は、建築資材に埋め込まれた極小投影機から投射された三次元映像だからな」


ナナシが街中を見回す。

「あそこを歩いてる人たちも?」


「おそらくは。この都市には実体を持って生きている人間は一人もいないのかもしれない。だから、道路はひび割れたままだし、ビルは崩れたままになっている。耐久年数が過ぎているのに、十分な補修がれてないんだ。それに、鳥や虫もいない」


警官はよろめくと、段差につまづき、そのまま座り込んだ。

顔から血の気がひいている。

ぼそりと一言、「思い出した」という。


「そうか。では」と、立ち去ろうとしたが、ナナシは彼の言葉に食い付いた。

やさしい口調でいう。

「何を思い出したの?」


「ぼくはもう死んでるってこと」


「そうなの?」


「ああ、白い彼のいうとおりだ。ぼくは〝故人再生機〟に投影された映像に過ぎない。この世界の建材にはナノサイズの投影機が大量に埋め込まれてる。それがサーバーからのデータを受けて、ぼくを生きていたときそのままに再生してるんだ」


「なんでそんなことするの? 故人再生って、なに?」


警官が手で顔を覆った。

「ぼくたちの世界の人間は寂しがりやなんだ。だから、自分が亡くなったあと、生きてる家族や友人を励ませるよう、まだ健康なうちに人格と外見を保存しておく。そうしたら、生きてたときそのままに、投影機が再生してくれる」


「なるほど、そのシステムが、生者が一人残らず消えたあとも稼働し続けているわけか。そして、死者だけの社会が成立した。しかし、管理コンピュータはなぜ個人の死の認識を削除するんだ?」


「耐えられないからだよ」警官が拳銃を取り出した。「ここにいるぼくは、コンピュータに記録された影みたいなものだ。現実には存在しないんだ。何もかもが幻なんだ。父も、母も、姉も、恋人も、そしてぼく自身も」


彼は銃口をこめかみに押し当てて引き金を引いた。

幻な銃から飛び出した弾丸が、幻の頭蓋を吹き飛ばし、幻の彼の命を絶った。


彼の肉体は道路に倒れ、消えた。


数秒後、拳銃をきちんとホルダーに仕舞い、頭蓋も問題のない彼が、パリッとした制服姿で投影された。


彼は屈託のない笑顔でいった。

「こんにちは。道にでも迷われましたか?」

どうやら記憶の一部が消去されたらしい。


わたしは頷いた。

「エアカーを借りに行きたいのですが」


彼からカーポートへの行き方を聞くと、ナナシを引きずるようにして立ち去った。


彼女は何度も振り返った。

すがるようにいう。

「ねえ、いいの? あのままで」


「なにか問題があるのか?」


「だって、あの人も、その辺を歩いてる人たちも、コンピュータに無理やり生かされてるようなものじゃない」


「それが問題なのか? 見たところ、どの人間も充実した顔をしている。未来への希望に満ちた1日を無限に繰り返しているんだろう。家に帰れば、美味いものを食べ、恋人を抱き、最高の気分で眠りにつく」


「でも、死んでるんだよ?」


「わたしたちが教えなければ、生きてるさ」


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