ともにイきたい
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雷でも鳴りそうな厚い雲に、昼間の日差しは閉ざされていた。蔦だらけの古びた洋館は、風が出入りするたび唸り声をあげている。
ようやくここまで辿り着いたと、俺はルフィアと顔を見合わせた。
「ハイノ」
俺を促すルフィアの語調は強く、グッと最後の思いを断ち切る。
八年もの間、この復讐のために生きてきたのだ。死ぬ覚悟も、ルフィアはできているのだろう。
そして、俺も。
「行こう、ルフィア」
ともに足を進めた瞬間、空から金色の目をした少女がスーッと舞い降りてくる。
「帰レ」
呟く少女の耳には、俺と同じ十字のイヤリングが鈍く光っていた。
※
俺が生まれたのは、畑ばかりのサンスという小さな村だ。
時折ゴブリンが攻めてくることもあるが、村人はそれを撃退するだけの剣技を身につけている。
俺は農業の傍ら、有事の際には村人を取りまとめて戦う、自警団の隊長でもあった。
「ハイノ、今日は街に行くのよね?」
朝早く起きて畑の収穫を済ませて家に帰ると、お腹の大きくなったラーラが尋ねてくる。
ラーラと結婚して五年、ようやく授かった待望の第一子が生まれるのは、来月の予定だ。
家族が増えるのだから、この慎しすぎる家を増築したいと思いながら、ラーラの問いに答える。
「おう、ルフィアが街に連れて行って欲しいんだと」
「明日はルフィアちゃんの結婚式だものね。色々と欲しいものもあるんでしょう」
「まったく、直前になって慌てる奴がいるか」
「ふふ、ルフィアちゃんらしいじゃない」
明日は、俺の弟のユトスと、その恋人ルフィアの結婚式だ。
この村では誰しもが兄弟のように過ごしていて、七つ年下のユトスとルフィアの結婚は、喜ばしい出来事だ。二人とも十七歳だが、都会と違って若く結婚する者が多いので、珍しくはない。
俺はラーラの作ってくれた弁当を持つと、ルフィアの家へと迎えに行った。
「兄さん!」
「ユトス、来てたのか」
ルフィアの家に着くと、弟のユトスが来ていた。
その隣にはいつも元気いっぱいのルフィアの姿がある。
「おはよー、ハイノ!」
「おう、準備は出来てるか?」
「うん! じゃあユトス、後はお願いね」
「気をつけて行っておいでよ。ルフィアはおっちょこちょいなんだから」
ユトスに髪をクシャクシャにされるルフィアは、口を尖らせながらも嬉しそうだ。
明日の準備をユトスに任せて、俺たちは馬とともに街を目指す。
「晴れて良かったな。これなら明日の結婚式も大丈夫そうだ」
「うんっ! ふふ、これからハイノは、私のお義兄ちゃんなんだよね。なーんか不思議!」
「今までとなんも変わらねーさ」
「そうだね!」
ルフィアは俺にとって妹のような存在で、実際に明日からは義妹となる。
そんな嬉しそうに笑うルフィアを見ているだけで、心が温まるというものだ。
広い草原を走らせると、心地の良い風がサラサラと流れていく。
日の高いうちは滅多に魔物も出ないが、一人で出掛けるのは危険だ。村の女はある程度戦えるが、誰かが護衛につくことになっている。
ルフィアの短剣の扱いは一級品で、そんじょそこらの魔物じゃびくともしないおてんば娘だが。
三時間かけてガトマークという街に着くと、午後二時に会う約束をして一旦ルフィアと別れた。
収穫したばかりの野菜を売り捌いていくらかのお金を手に入れると、俺は赤ちゃん専門の用品店に入る。
むさい男一人で入ったせいか、チラチラと客の視線が刺さって居心地は最悪だ。
「なにかお探しでしょうか?」
そんな俺に、女の店員がにこやかに近づいてきた。
「いや、実は嫁が来月に出産なんだ。必要なものは揃えているんだが、何か記念になるものでもと思ってな」
「それはおめでとうございます。でしたらこちらはいかがでしょうか」
そう店員が案内してくれたのは、赤ちゃん用品店には不釣り合いなイヤリングが置かれたコーナーだった。
「イヤリング?」
「はい、こちらは今流行りの贈り物なんです」
「でも生まれてくんのは、男かもしれねぇしなぁ」
「魔除け効果がありますから、男のお子さんだったとしてもお守りになりますよ。ピアスにもできますし」
「じゃあ……まあ記念だしな」
俺は俺なりに吟味して、シルバーの十字のイヤリングを一組買った。片方を親が付け、もう片方は子供が大きくなるまで白いハンカチで包み布団の下に置くらしい。ラーラにも良い記念になるだろう。
プレゼントなんて、結婚してからずっとしていなかったから少し照れるが……喜んでくれるかな思うと、勝手に顔が緩んでしまう。
ルフィアと約束した二時になり、馬を預けた厩舎前で待つも、なかなか戻ってこない。女の買い物は長いと相場が決まっているし、俺は適当に町の人と話しながらルフィアを待った。
「知ってるか、ハイノ。イルの村が、狂人化に遭ったらしい」
「イルの村まで? マジかよ」
狂人化……それは、理性がなくなり凶暴化する現象だ。人が人を襲い、喰らうらしい。何故そんな狂人化が起こるのか、原因はわかっていない。
物騒な世の中だなと話していると、荷物お化けがこちらに駆けてきた。
「ハイノー! 遅れてごめーん!」
「お前、一時間も待たせんなよ」
「そんなに待たせてないでしょー、五十分くらいじゃない!」
「一緒だ、バカ。ほら、貸せ」
俺は山ほどある紙袋を取り上げると、馬にくくりつけた。
「ふふふ、明日が楽しみ!」
「早く帰るぞ。前日までこんなに遊び歩いてる花嫁がいるか」
「遊び歩いてるわけじゃないったら!」
俺は浮かれているルフィアの尻を叩いて、サンス村へと進路をとる。
村に着くころには日も傾いて、辺りは夕焼け色に変わっていた。
「明日から私も人妻かぁ。照れちゃうな」
「そういうのは、ユトスのやつに言ってやれ。喜ぶぞ」
「へへ、そうだね」
照れ笑うルフィア。こんなのでも義妹になるなら、やはり嬉しい。
その時、唐突に馬がぶるんと止まった。状態を確かめようと降りると、ふと漂う鉄の匂い。
ハッと村に目が向かった。
そこには夕日で真っ赤に染まった村に、人が人を喰らうシルエット。
「待て、ルフィア‼︎」
真っ先に駆け出したのはルフィアだった。
止めようと伸ばした手はルフィアに届かず空を切り、どこからか飛んでくる叫び声が耳に障る。
狂人化。
行き着いた答えに、頭が絶望に染まる。
「なんでこの村に……っ」
ルフィアかラーラ、どちらに行こうか迷って俺は妻を選んだ。ルフィアは強い。自分である程度の身は守れるはずだ。
土を蹴って自宅に急ぐ。
ラーラの無事を願っていると、誰かにグイと腕を掴まれた。
振り返ると、そこには顔が半分崩れ落ちた男の姿。
「……にい、さ……」
「ユトス⁉︎」
片方しかないユトスの目から、するりと涙が溢れ落ちる。
「な……何が……っなんで、そんな姿に……‼︎」
「ぼく、を、殺し……襲って、しま……ルフィ、ア、を……」
「何があったんだ、ユトス‼︎」
問い詰めようとした瞬間、ユトスの目が金色に光って俺を喰おうと襲いかかってきた。
俺は間一髪、その裂けた口元をかわす。
「ユトス‼︎」
「ぶぐああぁぁああッ」
言葉はもう、通じなかった。俺を食料の対象としか見ていない。
何度も何度もガチガチと歯を鳴らし、俺はそれを押し留める。
「嘘だろ……やめてくれ……やめてくれ、ユトス! お前は明日、ルフィアと結婚するんだろ……っ」
「があああああっ‼︎」
「やめてくれっ‼︎」
とっさに剣の柄で殴り倒す。その間に距離を取るもすぐに立ち上がり、異常な速度で攻めてきた。
「ユトス……許せ……っ」
人としてはもう生きられない。
そう気づいてしまった俺は、弟の首に剣を挿し込む。
馬とぶつかったような衝撃に耐え、そのまま右に薙いだ。
ユノアはドスンと倒れ、体を少し揺らした後、動かなくなる。
「はぁ、はぁ、はぁ‼︎」
弟を、殺してしまった。ルフィアの、夫となる者を。
泣き叫びたいが、そんな場合じゃない。
俺は即座に家に向かって走り始める。
「ラーラ‼︎」
ドアを開けると、そこにはルフィアが震えながら立っていた。
その足元には、ラーラの体がぐにゃりと人形のように転がっている。
「……ラー……」
「ハイノ……あ……ああ……っ」
ルフィアの手には短剣が握られ、どす黒い血が滴っていた。
ラーラは大きなお腹を上に向けて倒れている。
俺はルフィアを押しのけてラーラに駆け寄る。
「ラーラ‼︎ ラーラぁぁあ‼︎」
その身体に覆い被さると、トンとお腹が揺れ動いた。
お腹の子は……生きている?
俺は腰の短剣を引き抜くと、ラーラのお腹をにグッと当てがう。
「すまん、ラーラ……我慢してくれ!」
そのまま力を入れると、中から胎児が現れた。
女の子だ。小さい、びっくりするくらい小さな。
「どうすりゃいいんだ……っ泣け、泣いてくれ‼︎」
「ハイノ……ッ」
こんな異常な状況で、どうすればいいのか。
後ろにいるルフィアを見上げるも、首を横に振っている。
だめなのか。妻も、娘すら救えないのか。
俺は十字のイヤリングを取り出すと、小さな耳に飾った。
本当は、喜びの中でこれをつけてやりたかったというのに。
たまらず、目から熱いものがこぼれ落ちる。
「……なにもしてやれなくて……ごめんな……」
「狂人化すれば、まだ生きられますよ?」
ゾワリと粟立つ声。
振り向くと、赤いマントをつけた男が右手を上げている。
パチンという音とともに、生まれたばかりの娘が金色の目を見開き、牙を生やして俺に襲いかかってきた。