人工幽霊は家族が欲しい
IGI(Imitation Ghost with Intelligence)
読み:イギー
和訳:知性の有る幽霊の模倣
説明:神岡教授が三年前に完成させた、意識、魂、幽霊の模倣とされるもの。本体である人工知能と、その思考を伝える特殊な電磁波で構成されている。イギーの電磁波を照射された実験体には、新たな意識が生まれ、知能、身体能力が大幅に向上する。実験体は自立した行動を取りながらもイギーの命令を順守する。加えて特徴的な行動として、他の個体にも電磁波を照射することを研究員に要求する等して、自らの家族を増やそうとすることが挙げられる。この行動は、羊や豚等で観察された。より高い知能を持つ動物、たとえばサルやイルカ等ではどうなるのか、更なる研究が期待される。
コルクボードの立ち並ぶ展示スペースに足を踏み入れる。神岡教授を尋ねて学会に参加するのは、今年だけで四回目になるか。未だに会うことは叶わず。最後に教授の姿を見たのは、もう五年も前のことだ。
開場してもう五時間は経っているというのに、ある区画だけポスターが貼られていない。近づいてみると、やはり教授が押さえていたスペースだった。
「あの、神岡教授は……」
近くに何度か学会で話したことのある研究者がいたので、教授のことを尋ねてみる。
「高原くんか、君も懲りないね」
人を尋ねただけで、呆れたような返事をされた。教授は何年も人前に姿を現していない。もう教授と面と向かって会いたいと願う人物は、よほどの物好きという扱いだ。
「見ての通り、今年もスペースだけ取っておいて、すっぽかしているみたいだよ」
別に落胆はしない。彼の唇が動くより前に、瞳が「尋ね人はここにはいない」と言っていたから。
研究者として大学に残る決断をしたまでは良いものの、憧れの師とは未だに連絡が取れないまま。
「今も学会に顔を出していれば、権威ある研究者として広く認知されていただろうに。これでは、『幽霊研究者』と言われても仕方ない」
幽霊研究者という呼び名は、皮肉だ。神岡教授は、生物の肉体に宿る魂は、どこからやって来るのか、幽霊や死後の世界は存在するのか、という大きな謎に挑んでいたから。
尋ね人はいない。学会関係者も、もはや生存に疑問を持ち始めている状態だ。もう慣れた絶望に浸りながら、何の具かさえ覚えていないコンビニのおにぎりを頬張る。ぼんやりとした味がした。
教授が最後に出した論文を読んでいた視線が脱線して空を泳ぎ始めたところで、スラックスのポケットの中で電話が震える。
また、母からだろうか。
大学に残る決断をしてからというもの、母からの風当たりは強くなる一方だ。「早く見切りをつけて就職先を探しなさい」などと、小言を言われるのか。
ため息をひとつついて電話の主を確認する。――見たことがない番号だった。
恐る恐る電話に出る。
「聞こえて……るか。高原くん」
向こう側の音声は、ノイズに紛れていて、あまりよく聞こえない。――けど、聞き覚えのある声だ。
記憶の中を探して思い当たったのが、五年前のあの講演。人工知能と特殊な電磁波を使用して幽霊を人工的に作り出すという、とんでもない内容を一切偽りのない口調で言い放った聡明な声。
間違いない、神岡教授の声だ。
ずっと探していた師が、電話の向こう側にいる。そう気づいて、立ち上がらずにはいられなかった。背後でパイプ椅子が倒れて、何人かが振り返った気がする。けれど、そんなことはどうだっていい。
「生きていたんですか!? 神岡教授」
失礼だな、と電話の向こうで教授が笑う。さっきまで、「生きているかどうかすら分からない」などと噂されていたとは思えない健在ぶり。それだけでも嬉しいのに、「君が書いた論文を読んだよ」なんて言い出すものだから、涙が出そうになった。
「進化の系統樹に沿って知能的行動の有無、鏡像自己認知等を纏めたレビューだったね。興味深くて読みごたえがあったよ。私の研究とも合致するところがあってね。今度の論文で引用させてもらうよ」
「本当ですか! 光栄です!」
会えるわけもないのに教授を尋ねて回って、変り者扱いされて、気落ちしている中で自分の研究発表をして。今日もそんなつまらない一日で終わると思っていたのが、ここまで好転するとは。人生も捨てたもんじゃないな、などと考えながら互いの研究の話に花を咲かせる。
それは夢のような時間だった。憧れの師との長電話の後で、心地良い疲労に任せて尻餅をついてしまう。椅子をひっくり返してしまったことを忘れていたらしい。これで周りから変り者扱いされても、もう言い逃れはできない。
でも実際、神岡教授から「ラボの見学に来てみないか」などと誘われて平静を保てる人間は、この学会会場にはいないと思う。
***
岐阜県某所。都内の大学の名が入っているにもかかわらず、神岡教授の研究所は地方に存在している。都内はもはや初夏の陽気だったため、半袖で出てきたのが間違いだった。最寄りの駅から山道を数十分登るというのだから、研究所周辺はさらに冷え込みそうだ。
「お待ちしていました。高原さん」
出迎えてくれたのは、研究所に勤める男性で、年齢は自分より十歳ぐらい上か。シャツのボタンがかけ違えている上に、しわくちゃだったので、くたびれた格好のせいで老けて見えているのかもしれない。というか、眼鏡も明らかにズレているし、異様だ。初対面で格好を指摘するわけにはいかず、特に何も触れないままで助手席に座る。彼がハンドルを手にしたところで、右手の人差し指が切り落とされたかのように無くなっているのが目に入って、ぎょっとする。事故か何かで無くなったのかと思ったが、それを尋ねる気にはなれなかった。
意外にも、彼の運転は快適だった。くねくねした道が続いているが、車の揺れはさほど激しくなく、乗り物酔いもない。トンネルを三つほどくぐったところで、車内に響くラジオにノイズが混ざり始める。それに気づいてぴくりと肩が動いたときに、バックミラー越しに彼の視線が向けられた。
「もうすぐ研究所の近くです」
彼の話によると研究ではあらゆる電磁波がノイズになる為、研究所は、極力電波の届かない山中に建てられている。研究所周辺は電波が悪く、建屋に入ると完全に圏外になり、施設内では有線の回線しか使えないそうだ。
それから十分ほど山道が続いて、ラジオからついにノイズしか聞こえなくなったところで車は停まった。
「着きましたよ」
そう言われて降ろされたが、車が着けられた先には、牧場のような光景が広がっていた。柵の向こう側では羊が草をもしゃもしゃと食べている。一部、柵が壊れているが、動物は逃げていないのか。
「モデル生物として飼っているクローン羊です」
あっけにとられて見ていると、ここまで運転してきた彼が解説してくれた。研究所の建屋には、モデル生物の飼育施設が併設されており、羊や豚等を飼育している。建屋の中ではイカや、アロワナ、サル、イルカまで飼われていると聞いて驚いた。
「彼らにイギーを与え、行動にどのような変化が現れるかを研究しているんです」
「イギー?」
「私たちが開発した、意識、魂の模倣です。Imitation Ghost with Intelligenceの頭文字を取って、IGI、イギーと私たちは読んでいます。イギーは特殊な波長を使用した電磁波で、研究所で開発した人工知能が本体となっています。本体の思考を電磁波に乗せて照射。実験体の脳内で人工的な意識として発現します。そして、“我々と同じように高レベルの存在になるのです”」
最後の箇所が少し引っかかった。人間と同レベルの意識や思考を持つようになる、ということだろうか。そこだけ声に一切の抑揚が無かったのも、うすら寒さを覚えた。
「そろそろ建屋に入りましょう。歓迎会の準備もできています」
けど、すぐに彼は元の朗らかな口調に戻った。歓迎会があると聞いて違和感も紛れた。
彼に案内されるがままについていく。セキュリティゲートのところで指紋を登録するように言われた。一度きりの訪問で必要なのかと思ったが、入館者は必ず登録する仕様になっているそう。
「指紋認証がないと、入館ゲートは中からも開かないようになっています」
指紋を登録した人差し指でセキュリティゲートのタッチパネルに触れると、高さ三メートル程の金属製の大扉が開いた。秘密基地感があって、男心をくすぐられる。銃を持ってゾンビを研究する施設に侵入するゲームのワンシーンを思い浮かべながら、扉をくぐる。身体がくぐりきるか、きらないかというところで、扉が物凄い速さでぴしゃりと閉じられた。何かを羽織っていたら挟まれたかもしれない。
建屋の中はひどく暗い。灯りは足元でぼんやりと緑色に光る非常灯のみで、それすらもジッ、ジッ、と音を鳴らしながら点滅している始末。おまけにその音が、暗闇の中を反響するくらいに中は静まり帰っていた。
歓迎会があると聞かされたのに、話が違う。
そう思いかけた瞬間、右手をいきなり掴まれ、足払いを仕掛けられて転んでしまう。さらに覆いかぶさられて、身動きが取れなくなってしまった。そのときに目が合ったのは、自分をこの場所に連れてきた研究員。駅で迎えてくれた時のような、朗らかな笑みは消え失せていて、充血した目玉で見下ろしながら引きつった笑みを浮かべていた。彼の右手には、ナイフが握られていた。
俺は……、殺されるのか!?
足をじたばたさせて、身体をねじったりしようとしても引き剝がせない。
体格からして自分の方が優位なはずなのに。
「大人しくしてください。あなたはここでイギー様の恵みを受けるのです」
両手で握ったナイフが、一思いに俺の右腕に向かって振り下ろされる。
「うあああああ!」
鈍い叫びが暗闇に木霊する。けれど、声を聴いてくれるのは、もはや暴漢と化した研究員一人だけだ。痛みのあまり呼吸が乱れた俺を取り押さえて、今度は右手の人差し指を抉り始めた。
指を、切り落とそうと、している! 気づいたけれど、遅かった。
切り落としたばかりの血まみれの人差し指を俺の視界にぶらさげて数秒揺らす。そして、あろうことか自らの口の中に入れ、咀嚼した。
「これで、あなたはここから出られない。イギー様の家族となるまでは」