バ美肉おじさん、リ美肉する
Vtuer水城晶。彼女の中の人は男性であり、いわゆるバ美肉と呼ばれるタイプだった。
特別凄い人気があるわけではないものの、のんびり楽しく活動をしていたのだが──活動1周年の日、目が覚めたら現実の身体が少女になっていた!
戸籍も仕事もなくなってしまったからには、日々の生活費を賄うために配信して人気になるしかない!
「っと、気づいたらもうかなりいい時間だ。それじゃ、そろそろ終わりますか」
マイクに向けてそう呟く。流れる『お疲れ様』や『いかないで』などのコメントを眺めながら手をひらひらと振って頭を左右に動かすと、それに合わせて画面上の少女も同じように身体を揺らし、手を振っていた。長いポニーテールが翻る。
「そうだ、告知……というほどでもないんだけど。明日でVtuber活動一周年になるから、二十二時から記念配信するよ。まぁ特別な企画とかは用意してないし、普段通りの配信になるとは思うけど」
Vtuber。それはバーチャルの世界の住人……なんてカッコつけた言い方をしてみたけど、要はピンからキリまでいる、二次元のガワを被った動画制作者や配信者のことだ。
そして俺は、その中のキリの一人である。
「『凸待ち期待』? なんだ嫌味か? ボクの配信で凸待ちとかできるほど人が来るわけないだろ。そーゆーのはもっと人気がある人にやってもらいなさい」
視聴者数に目を向けると、138という数字が踊っている。個人勢としてはかなり多い方ではあるし、素人の雑談を三桁もの人が聞いてくれると考えれば破格だとも思う。それでもこの界隈うん万とかの同接が付く人もけっこう居るわけで。
まぁ上を見てもしょうがない。それにこのくらいの方が気負わなくていいし、身の丈にもあっている。
「ま、わざわざ見に来てくれる奇特な皆にささやかに祝ってもらえればそれで大満足だよ。ってなわけで告知終わり! 配信も終わるよ。んじゃ、またね」
再び笑顔で手を振ると、カメラがとらえたその動きが反映され、画面に表示されている水色の髪の少女も微笑みながら左手を振る。その動作のまま、右手で配信を終了させた。ついでにパソコンをスリープモードに切り替える。
カメラもオフになっていることを確認し、背もたれに身体を預けながら背伸びをする。真っ黒の画面に反射して映るのは、さっきまで俺と同じ動きをしていた可愛らしい少女とは似ても似つかない、というか性別からして違う俺本来の姿。
そう、俺はバ美肉なんて言われているタイプのVtuberだ。バーチャル美少女受肉、略してバ美肉。男が女の子のモデルを使って活動している、というわけだ。
ボイスチェンジャーは使っていないから、自分の配信を見返すと可愛い女の子が平然と男の声を発しているわけで、我ながら変な感覚になったりする。流石にもう慣れたけども。
本当の女じゃないから遠慮なくガチ恋できるとか、よくよく考えれば変な文化だ。自分でやっておいて言うことでもないけどね。
『水城晶』という名前と、水色の髪と瞳を持つ女子高生のガワでVtuber活動を始めたのが昨年の明日。といってもあと三十分もすれば日付が変わるから、もうほとんど一年だ。
たまたま知ったVtuberという文化に感銘を受け、勢いで2Dのモデル作成を依頼した。バ美肉を選んだのは、イケメンにするのもなんか気恥ずかしくて、かと言ってわざとブサイクにするのも需要なんてないしで、だったらいっそ振り切ったほうが開き直れるからというのと、せっかくなら本来の自分とはかけ離れたものにしたかったから。
「これから活動頻度も増やせるし、目指せ登録者数一万の大台! ……なんて、今から十倍近く増えるとか、どんなバズり方したらそんなことになるのやら」
自分の発言に自分でツッコミをいれていると、ふわぁ、と大きなあくびが出てきた。そして急激に襲い掛かってきた、とてつもない睡魔を自覚する。
もう少しやるべきことがあるのに、この感覚だと持ちそうにない。瞼がとてつもなく重くて、そのまま力なく机に突っ伏してしまう。
寝るならせまてベッドに戻って、とか、ちゃんとパソコンを落としてから、という理性も、身体を起こす動力にはなりえなかった。
「あれ……そんなに……つかれて、いあっけ……?」
いや、体調は万全だ。眠剤を飲んだ記憶もない。なにより、一切の予兆もなく一気にここまで眠くなるなんて、普通そんなことはあり得ないのに。
目を開けていられない。舌が回らない。思考に靄がかかっている。
抵抗の意思もあえなく塗りつぶされて、俺の意識はブラックアウトした。
◇
……寝起きの気分は、存外に悪くなかった。
机で寝堕ちるなんて、身体の節々が痛んでもおかしくないのに、違和感が全くない。むしろ色々と軽いくらいで、目をつむったままゆっくり首と肩を回してみても滞りはなく、昨日まではあったコリが消えてすらいた。
壁掛けの時計に寝ぼけまなこを向ける。指し示す時刻は十時を回ったところ。どうもずいぶんとがっつり寝てしまっていたらしい。
仕事をしていた時なら大遅刻だと慌てていただろうけど、先週末をもって退職しているから問題ないのだ。無敵の気分である。
「……うん?」
そこで気づいた。スリープにしていたパソコンが起動している。というか、配信を始めている。
なんでだ。目を擦って再確認しても現実は変わらない。間違いなく配信が始まっているし、『待機』『遅刻とか珍しい』などといったコメントが寄せられている。
「……あ」
配信タイトルと、表示されるデジタルの時刻でようやく理解した。さっき十時過ぎだと思ったのが実際には二十二時過ぎであり、配信予約を設定していたものが自動的に開始されたのだ。
……ちょっと待て、ほぼ一日ずっと寝ていたのか!?
頭を抱えたくなるけど、そんな暇はない。急いでモデルを用意し、カメラとマイクを起動する。
「ごめん皆! 思いっきり寝てて──あれ?」
とてつもない違和感。具体的には、今自分が発した声。こんなに高い、甘い声を出せるわけがないのに。
視聴者も驚いたようで、コメント欄は驚愕を示す『!?』が続いている。
咄嗟に咳払いをしながら喉元に指を持っていく。俺の触覚が伝えてくるのは、硬い喉仏がなくなっているということと、二の腕に当たる柔らかい感触で。
視線を落とす。そこにあったのは、男にはありえない双丘。どうして今まで気付かなかったのかと思うほどの、明確な変化。
「……は? なにこれ」
呆然と呟く。それもマイクに拾われていたようで、コメントは『声かわいい』『ボイチェン導入したの?』『あきらおじをかえして』などと大盛り上がり。
「ご、ごめん! ちょっと離れる!」
慌てて立ち上がって洗面所へ。目線の低さに戸惑い、ブカブカの衣類を邪魔だと思いながら、自分の現状を確認するために走る。
そして、辿り着いた鏡には、知らない少女が写り込んでいた。
ややツリ目がちだけどぱっちりとした大きな瞳。スッと通った鼻筋。日焼け知らずのような白い肌は鏡越しでもハリと柔らかさを両立しているのが分かるほどで、肩より少し長く伸びた鳶色の髪が送風機によって揺れる。街で見かけたら目で追ってしまいそうな、見惚れてしまいそうな、そんな美少女。
「嘘だろ? なんだよ、これ……」
喋るのに合わせて鏡の少女も口を開く。腕を持ち上げれば、それまた同様に。
モーションキャプチャーには慣れているけれど、現実に少女の身体を動かしている違和感が凄まじい。
……そう、現実だ。試しに頬をはたいてみても、明確な疼痛が夢などではないと示してくる。
顔が強張る。口元がひくつく。ひどい表情になっているけれど、どこか第三者的な目線で、それでも可愛いなこの娘、と他人事のように考えてしまう。それが自分のものであると否応なく理解はしていても、認識が追い付かなかった。
「はは。仕事、辞めといてよかった」
こんな姿で職場に行けるはずがない。無断で出勤しなければいずれ失踪扱いで厄介なことになるだろうし、連絡を入れるとしても説明が必要となる。でも、起きたら女になってました、なんてどう言えば良いのだ。
性転換手術を受けたと強弁するにしても、結局は男の俺との同一性を証明する手段がない。こんな尋常ならざる変貌を起こした身で、以前と同じDNAである自信もなかった。三十路男の身分を名乗る中高生くらいの女の子が現れたら、俺だったら即行で警察か病院に連絡する。
というか俺の頭がおかしくなって幻覚を見ているのかもしれないし、今から精神科に行くのもありかも。
それは現実逃避のための思考だったと思う。でも同時に、その考えによって現実的な問題に思い至ってしまった。
「……これからの生活費、どうすっか」
貯金はそれなり程度にはある。切り詰めれば数年くらいなら生きていけるだろう。でもこれから一生生きていく上で十分な額には程遠い。これが一過性の現象であるのなら良いが、ずっとこのままの可能性は否定しきれない訳で。
そもそも辞職をしたのは、持っている国家資格のおかげで復職しようと思えばいつでも仕事が見つかるからだ。でもこの身体で本来の俺との同一性を証明できそうにない以上、資格は効力を無くす。一瞬にして仕事のアテが消え去ってしまった。
というかそもそも戸籍がない。身寄りもない。両親は幼い頃に亡くなっているし、歳の離れた弟は去年大学を卒業した新社会人だ。色々大変な最中に余計な心労をかけたくない。
そんな状態ではアルバイトすらろくに探せない訳で。
……あれ、これもしかして詰んだのでは?
そうやって悲嘆に暮れていると、ピコンという通知音が足元で響く。もはやズリ落ちていたズボンのポケットからスマホを取り出してみると、数少ないVtuber友達から心配のメッセージだった。心配しないでと返事をしようとして、思い付く。
配信であれば、身分証明ができなくても稼げるのでは? と。