無題
私は、この物語につける題名を未だ持たない。
私が書かなければならないと感じている物語はしかし、どのような帰結を迎えるか当の私にも分かっていないのだから。
祖父は、私のことだけは覚えていた。
祖母や母を差置いて、なぜ私だったのかは分からないが、今にして思えば私が小説を書くようになったのはきっとこの体験が根底にあるからなのだと思う。
祖父は戦前の生まれで、どこぞの戦地へ赴いたと何度か聞かされたことがあるが詳しくは分からなかった。話す日によって国やら隊やらが違ったからだ。祖父は、認知症だった。
いやに白い建物の、何もかもを薄いクリーム色に無理やり統一させたような部屋に祖父はいた。私は当時まだ中学生で、半ば見舞いのような感覚で祖父のいる介護施設に数日おきに足を運んでいた。ちょっとした小物や祖父の趣味であったパイプ煙草など、勝手に付け足されたような生活感の断片には、いつまで経っても慣れなかった。いっそ、清々しく空虚な空間であった方がよかった。余計な生活感が、その場所がどうしようもなく日常の空間でないことを私に意識させた。
「さき、学校は終わったんか」
「終わったよ」
「よう勉強せんならんぞ。来年は高校生か」
「うん。夏休みになったら、来る回数が減るかも」
「ええともええとも。がんばれ」
身内との会話が認知症の進行を遅らせるのに良いと言われたので、家族の中で唯一存在を認識されている私に白羽の矢が突き刺さるのは当然だった。両親の期待に応え、少しばかり良い子でありたいと祖父を訪ねている手前、受験を言い訳にして来訪を減らしてしまう事に微かに心苦しさというものがあったのだろう。ちくりとしたものが私の胸を内側から刺した。
「ほうやぁ、どんぐりを拾いに行こうと約束しとったろう」
「……うん、したね」
「秋になったら連れていってやろう。虫の喰いよるやつはよけてやろうかい」
「ありがとう。楽しみにしてる」
祖父の記憶では、すべての時間が、時間軸というものが、ないまぜになっていた。実際、一緒にどんぐりを拾いにいったのは小学校に上がる前だったし、小さなポケットいっぱいに拾ったどんぐりをこれ見よがしに家に持ち帰り、後日ぽろりと虫が湧いて這い出てきたそれを見て私は大泣きしたのだ。その時に、「今度はじいちゃんが大丈夫なんを選んでやる」と穏やかに祖父は笑っていた。きっと、その時の約束のことを言っていたのだろう。
同じ空間の中に散らばった、矛盾する祖父の時間。それを、殊更指摘するつもりはなかった。父や母に、できるだけ否定はしないようにと言い含められていたこともあるが、祖父の時間の流れを止めたくなかった。祖父には祖父の時間の流れが、いや、流れずにどぷんと湛えられた湖のような時間があったのだ。
□
施設内の祖父の部屋には、介護のために職員たちがやってきては軽い運動だとか食事だとか、なにくれとよくしてくれた。その介護の隙間に、よく祖父に顔を見せにやってくる人がいた。祖父と同年代の女性で、彼女が来ると祖父はいつも少し困った顔をした。
「こんにちは。あら、お孫さんもいらっしゃるのね」
「また来たんか」
「ええ、会いたくなってしまって」
穏やかに、にこやかに話す彼女にどう接していいか分からず、決まって私は俯いて視線を逸らしていた。私も、和やかな会話に参加するべきだったのだろうか。いや、何を言えばいいか分からなくなって結局は沈黙することになっただろう。
「好いてくれよるんは光栄じゃけんども、おいには心に決めた人がおる」
「まあ、どんな人?」
嬉しくて仕方がないといった様子で、女性は先を促す。何度このやりとりを聞いたことか。
「お国のために戦って、無事に故郷に帰ったら迎えに行くと約束したんや」
「そう。きっと待ってるわね、その人」
「ほうやの。やけ、ここを出たら、迎えに行く」
祖父の時間はとても不思議で、戦前の記憶もまるで昨日のことのように認識しているらしかった。水面に揺蕩う葉のように、大切な記憶だけがゆらいでいるのか。彼女は慣れた手つきで祖父の肌着や身の回りの生活用品を整えて、ついでに部屋の掃除もしていく。これも、いつもの流れだった。そしてその後に言うのだ。
「それじゃあ、また来ますね」
「見返りもないのにようやるもんよ。おいは、絆されたりはせんぞ」
「ええ、よく知っていますよ。見返りはもうじゅうぶん。それじゃあ、また」
祖父は一つ嘆息して、私に言う。
「さき、見送ってやり」
「……うん」
祖父を部屋に残し、私は女性と、いや、祖母と共に部屋を出る。祖父は、覚えていないのだ。彼女のことを。祖母のことを。それなのに、にこやかに笑って、忘れられた相手に甲斐々々しく世話を焼いている彼女の姿を見ると、どうしても言葉に詰まってしまうのだった。
介護施設から出て歩く傍ら、その日はどうしても堪えきれなくなって、祖母に聞いた。
「おばあちゃんは辛くないの? おじいちゃんに忘れられて」
「一緒に過ごした日々は忘れてしまっても、おじいさんはおじいさんですよ」
「でも、そんなの――」
なぜ、祖母ではなくて私のことを覚えていたのだろう。祖母のことを覚えてくれていたらよかったのに。戦争が終わった後、迎えに行くと約束をしたのは、間違いなく祖母のことだ。戦地から帰国した祖父は何を置いてもと祖母の元へと帰ってきて、そのまま祝言をあげたのだと、母から聞いたことがあった。その約束のことは覚えていて、肝心の祖母のことを忘れるなんて。私は困惑と憤りをちょうど半分ずつ混ぜた感情を胃の奥に孕みながら絞り出すように言った。
「おばあちゃんがかわいそう……」
祖母はそっと私の頭に手を乗せた。すん、と祖母の匂いがして、気が付けば私は泣いていた。悲しかったのか、怒っていたのか。それとも、何もできない私自身に不甲斐なさを感じていたのか。そのどれもだったろうし、またそのどれでもなかったのかも知れない。
「さきちゃん」
祖母の声が、優しく降った。祖母は二の句を継がずに待っていた。ぐいと涙を拭って、それでもまだ言葉は出ず、けれど上を向いて視線だけはしっかりと祖母に向けた。腑の奥にある言葉は、上がってくるうちに喉に詰まって、唇から放たれることはなく。
「おばあちゃんは、幸せですよ。ほら、おじいちゃんって、頑固だったでしょう」
ただ、こくりと頷く。昔気質の寡黙な人だとよく言われていたが、私はそのように感じたことはなかった。初孫は可愛いのだろうと母が苦笑していたのを思い出す。
「戦争が終わって、おじいちゃんと結婚して、さきちゃんのお母さんが生まれて、そしてさきちゃんが生まれて。一度も、あの人から気持ちを聞いたことがなかったけれど。今は、少し嬉しいの。だからね、おばあちゃんは幸せですよ」
「でもっ!」
つっかえていた言葉が、どぷんとせり上がってきた。口に出すべきではないと呑み込もうとしたが遅かった。
「おじいちゃんが好きなのは、昔のおばあちゃんだもん……!」
祖母の目が、丸くなった。ああ、言うんじゃなかった。こんなこと、こんな分かりきっていることを言ったって、どうしようもないのに。大粒の涙が、一筋の川となった。きっと、祖母を傷つけたに違いない。
言葉も涙も、一度落としたものはもう戻ってはこないのだ。祖母の次の言葉を聞くのが怖かった。けれど、かけられた言葉は叱咤や諫言ではなかった。
「ほんに、優しい子だね」
私は、その時どんな顔をしていたのだろうか。ただただ、何も言えずに祖母に抱き寄せられた記憶は、はっきりとある。祖母は、私の背を静かに撫でてくれた。
□
私が高校に入学して最初の夏休みが来る前に、祖父の時間を湛えた湖は静かに枯れた。それから数年後に、後を追うように祖母も。
祖母の葬式の際、棺の中に年代物の、それでいて新品のパイプが置かれていた。母によると、それは祖父がはじめて祖母に贈ったもので、たばこなど吸わない祖母はそれでも時折パイプを眺めて愛でていたらしい。私が知らない祖父や祖母の姿は、他にも無数にあった。
私はついぞ、祖母に謝る機会を得られないままだ。私は、祖父や祖母を忘れたくなかった。言葉に、文章に遺すことで、祖父や祖母を忘れずにいられると思った。あれから何十年も経った。人の心の機微というものに目を向けて、いつかあの時の祖父や祖母の気持ちが分かるかもしれないと文章を書いているが、あの二人が本当に幸せだったのか、私はまだ答えを出せないでいる。
だから、私はここに記していくと決めた。祖父と祖母の在りし日々の物語を。誰に見せるでもなく、ただ私が私のために答えを求めて書き綴る二人の物語を。
酷い自己満足だと、自分でも思う。祖母への贖罪を言い訳にしながら、それでも書かずにはいられないのだ。
けれども。
けれども。
創作とは、きっとそういうものなのだろうと、私は思う。
物語がどのような帰結を迎えるかは、書きあがった時に初めて分かるだろう。
未だ題名を持たない物語はここから始まるのだ。