邪竜リクルーティング
就活の嵐に揉まれる中で、偶然にも異世界の邪竜へと転生を果たしたクロノアルド。就活から解放されたかに思えたが、仕えている魔王軍の労働環境は最悪で、クロノアは転職を決意する。
魔王の魔力が満ちる魔王城から飛び出したことで、力を失って仔竜の姿になってしまったクロノアは、生きるための食糧と「怒り」のエネルギーを稼ぐために、そしてより良い労働環境を目指すために、異世界を巡る就職活動を始める。
ふと気が付いた時、俺は人間を頬張っていた。
自分でも訳が分からないが、口の中に広がる芳醇な血の風味に、柔らかな肉に牙が食い込む感触。
そして俺の足元には、暗い青色のレンガでできた地面の上で怯える残りの人間たち。
「うっ……」
咄嗟に吐き出してしまいそうになったが、なんとか我慢する。
流石にこの頬張っているモノを出したりしたら、いろいろとマズい……いや、味は美味しいのだが、そうじゃなくて、ビジュアル的な問題だ。
俺は顔を上に向けるように身体を反らすと、中身を無理やり腹へと流し込んだ。
「ふぅ……な、何が起こっているんだ」
「クロノアルド様、いかがなさいましたか? もしや人間がお口に会いませんでしたか?」
混乱する俺の目の前に、ぼうっと炎を上げて現れたのは、赤く燃え盛る身体を持ったトカゲのような生き物。
俺は彼を知っている。彼はランダと呼ばれる、俺の側近のサラマンダーだ。
「いや、少し考え事をしていた。ランダ、ここがどこだか分かるか?」
「クロノアルド様……また寝ぼけておられるのですね? ここは魔王様の城、四天王それぞれに与えられる大広間ですよ」
ランダは呆れたように頭を抱えながら、それでも律儀に答えてくれる。
そうだ、それも知っている。俺は魔王軍四天王、「怒り」を司る邪竜のクロノアルドで、ここ魔王城を根城として勇者を待ち構えているのだ。
しかし、どうもおかしい。
俺は確か、普通の人間の、大学四年生の男だった。それから、内定を貰っていた会社の経営が傾き、内定を取り消されて、急いで就活を再開しても思い通りにいかなくて……。
それから俺はどうなった?
俺は自分の身体を見下ろす。黒い鱗に覆われた前足から伸びる、黒く鋭い鉤爪は簡単に人間を両断できそうだ。そして白っぽい甲殻に覆われた腹に、しなやかで自在に動かせる尻尾。視界の端には、遮光カーテンのように黒い翼も見え隠れしている。
いったい何があったらこうなるって言うんだ。
思い出して間もない記憶と、邪竜としての記憶が混じってしまって、良く分からない。
「ちょっと、用事を思い出した。外に出て確認したいことがある」
「クロノアルド様! お待ちください、貴方は魔王城から出るのを禁じられています。お忘れですか? また魔王様にお叱りを頂くことになりますよ!」
地面の人間たちを踏まないようにしながら、大広間の出口である大きな扉に向かう俺に、ラルドが必至に声を掛けてくる。
ふむ、確かに魔王城から出ようとしてこっぴどく叱られた記憶があるな。
「我々は魔王様にお仕えしている身。クロノアルド様のご意思を尊重したいのですが、魔王様の命ですのでどうか外出は控えて頂けると」
「なるほど、俺は魔王に仕えている身。つまり就職しているということか」
「しゅうしょく……? とにかく、クロノアルド様の目的はいずれ来る勇者を屠り、魔王様の悲願である世界の征服に貢献することにあります。そのために、我々はここ魔王城で、魔王様の濃い魔力の恩恵を十分に受け、力を蓄えているのです」
良く分かった。つまり魔王軍の事業目標は世界征服であり、その方法として勇者の討伐がある。そして、社員の俺たち魔物は、魔王からの魔力により力を得て、それを使って勇者を倒す、と。
「あれ、じゃあ俺らは何のメリットがあって働いているんだ?」
「えっと、メリット? それは、魔王様の魔力の恩恵を得て、力を得られる――」
「それは勇者を倒すためだろ? まさか、それとは別に何か無いのか?」
「ちょっと、私めでは理解が……とりあえず、もう一度お昼寝されてみては?」
ランダはまだ俺が寝ぼけていると勘違いしているようで、俺の言葉の理解に相当苦心している様子だった。
しかし、よく考えてみて欲しい。
例えば大工として働いている時には、家を作るという目標がある。家を作るための材料は会社が用意して、それとは別に給料が発生する。当たり前の話だろう?
じゃあ、ここ魔王軍はどうだ。
勇者を倒すための魔力、これは俺たちが得て当然のものだ。業務に必要な物品だからな。
ただ、それ以外に何もないのは無給と一緒なのでは? さらに、住み込みで働いていて外出も出来ないときた。
これはあれか、勇者を待っているこの時間は、業務時間に含まれていないというやつか。
業務の準備時間は業務時間に計上しない、ブラック企業あるあるだな。
「なあ、ランダ」
「いかがしましたか?」
「魔王城から出るとどうなるんだ?」
「そうですね……おそらく戻った時に前以上にお叱りを頂くかと。それに、貴方は元々仔竜だったそうですが、魔王様の御力により成長した姿になられているとお聞きしたことがございます。故に魔王城から出られますと、お姿が元に戻ってしまわれる可能性がございます」
「なるほど……ありがとうランダ」
「いえ、それでは私は余った人間の保管を行いますので、失礼します」
俺が大広間の中央で佇んでいると、ランダは怯えて縮こまっていた人間たちを連れて、再びぼふっと炎になって消えてしまった。
なるほど、身体が小さくなってしまうのか。
しかし、このままここで一生魔王の元でタダ働きするのは正直あり得ない。
200社以上企業を見てきたが、ここの労働環境は間違いなく最悪。物理的にも風通しが良くないし、アットホームの「あ」の字も無い。福利厚生なんてその辺のゴミ箱に捨てられていそうだ。
「よし、退職しよう」
大量の求人票の中から不必要な企業を切り捨てるように、俺はきっぱりと|魔王軍(この会社)からの退職を決意していた。
何かの偶然で、せっかくドラゴンへと魂の再就職を果たしたのだ。こうしちゃいられない、もっと良い労働環境で自身のスキルアップが出来る企業を探しに行かなければ。
「……ただ、魔王に直接言ってもきっと聞く耳を持たないだろうな」
ブラック企業あるある、退職届を受け取ってくれない。
郵送できればいいんだが、ドラゴンやサラマンダーのいるこの世界、ましてや魔王城に郵便は無さそうだ。
退職の意思が伝われば良い、と考えると、魔力で地面に刻印でも刻んでみるか?
俺は爪の先に魔力を集中させて、地面のレンガにガリガリと指を走らせる。
“一身上の都合により、本日をもちまして魔王軍を退職いたします”
気が付けば、日本語ではない言葉で文字を刻んでいた。しかし、読める。不思議な感覚だ。
「とりあえず、これで良し。あとは脱出方法だけど、前に使った方法で行くか」
ランダも言っていた、過去に俺が魔王城から脱出した事件。あの時、俺は魔王城の結界を突破するために、テレポートの魔術を使ったのだ。
相当練習したが、当時はとにかく空が見たくてやった記憶がある。当然、今でもその方法は身体に染みついている。
俺は溜め込んでいた魔力を活性化させて、身体全体に行き渡らせていく。
次第に淡い紫色のオーラが飛び交うようになり、足元には複雑な模様の魔法陣が浮かび上がってきた。
このテレポートの魔法は、移動先を明確に指定することが出来ない。ただ、込めた魔力量に応じて、発動場所からの距離が決定される。
今回は、前回よりも多くの魔力を込めよう。魔王城からもっと離れて、追手が来られないくらい遠くに出られるように。
「よし、じゃあ行きますか。魔王軍御中、本日をもって退職とさせていただきます!」
ガオオ! と天井に向かって吼えると、俺の身体が光の粒となって蒸発していくのが分かった。
△ ▽ △
「いてて……」
白く冷たい地面に、湿った土と水の匂い。聞いたことのない小鳥のさえずり。
天然の目覚ましの数々に、俺は額を抑えながら立ち上がった。
「ここは、山の中か? 少し、寒いな」
後ろ足で立ち上がった俺は、ザクザクと雪を踏みしめながら、自分の身体を確認する。
どうやらテレポートは無事に成功したようだが、ランダの言っていた通り、身体が全体的にずんぐりしていて、翼もずいぶん小さくなってしまった。
周囲の木々が、俺の知っているサイズ感の木だとすれば、今の俺の大きさは人間より少しだけ小さいくらい。
「さて、これからどうしようかな」
鋭い葉っぱを持つ木の隙間から山の頂上の方に目を向けると、暗い青色の魔王城が聳え立っているのが遠くに見えた。
「とりあえず、あそこから離れるように進んでいこう。それから、人間かドラゴンの住む場所を見つけて、働かないと」
俺のエネルギー源は、魔力や他の生き物の「怒り」だ。
魔王からの魔力供給がなくなった今、残った僅かな魔力を使う以外に、自分で魔力や「怒り」を調達しなければならない。
そのためには、他の生き物がたくさんいる場所、お金を稼いで食べ物を食べられる場所に行く必要がある。
「よし、別の世界でドラゴンになっちゃったけど、就活がんばんなきゃ」
俺は小さくなった身体で、てくてくと山を下りる方向に歩みを進め始めた。