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有閑貴族の夜想曲 ~ルーザン・ミロクの憶測~


 音楽家の母を持つルーザンは飼い殺しにされていた。

 趣味は楽器を弾くことと平民時代から関わりのあるアンと話すことだけ。

 そんな彼は以前から『平民堕ち計画』というものを立てていた。


 最高の幸せを手に入れるためには、暇を持て余した貴族生活ではなく忙しない平民生活に戻るべきだ。

 そんな思想からか、彼は現在侍女を務めているアンを秘密裏に巻き込んで逃亡しようと考えている。


 しかし、アンは彼の考えを毎夜に鈍らせてくる。

 彼女はルーザンに曲を弾くことを強請るのだ。

 そのうえ、リクエストする曲はルーザンの母が死んだ夜に弾いていた曲。


「アニー、もうその曲は弾きたくないんだ」


 ルーザンがそう拒否しても、アンはリクエストを辞めることはないのだろう。

 ピンと張られた弦に骨張った手でそっと触れ、離す。今日は雨が降っているせいかあまり調子が良くない。

 鍵盤を軽く弾くと、いつも通りに滑らかな音が奏でられる。

 けれども微かな、本当に微かな違和感があった。


「今日はやめとこう。アン、直せる?」

「灯りさえあれば可能かと」

「そうか。今日は……駄目そうかな。明日、よろしく頼むね」

「承知しました」


 丁度、遠くの学園の塔から午後の六つの鐘が鳴る。

 地に雫が落ちる音と混じり聞こえが悪い。たまに聞こえる雷からして、どうにもイヤな予感がする。

 灯りがなければ、いくらアンであろうとも調律を上手くできるとも思えない。

 魔術を使えれば良いが、あいにく私には才能が無い。

 あとひとつ、方法があるとすれば。


「いや、夕餉の後、八つの鐘が鳴った頃ならば良さそうだ。

 できる?」

「それは いつもの能力によるものですか?」

「違うよ。ただの憶測」


 呆れ混じりのため息を聞きながら、私はアンの返答を待つ。

 何かを思案するように顎に手を当ててから、数分後にようやく声が返ってきた。


「……承知しました。夕餉は今、召し上がりますか?」

「お、いつにも増して早いね。せっかくだから頂くよ」

「はい。本日の食材は——」


 アンの料理のうんちくを聞くフリをしながら、横目で私のピアノを眺める。

 母のただ一つ遺した物。いや、私が遺させた唯一の宝物。

 別邸に住まう私からしたら、とても高価で私室に置くことなど不可能な代物だ。

 貴族といえど庶子である肩身の狭い私には、不相応で。


「ルーザン様。考え事もその辺に致してください。夕餉が冷めてしまいます」

「あ、あぁごめん。聞き流していたことは謝るよ」


 声を掛けられ、やっと厳しい顔をしたアンに気が付いた。

 参ったな。こういう時のアンは怖いんだ。

 ただでさえ鋭い目が吊り上がって、さらに鋭くなって。そもそも彼女は勘がよく働くから、隠し事もできない。

 本当に、困ったな。


「取り敢えず、行きますよ。早く行かないと、冷めるどころか捨てられてしまいます」

「え、今のどういうこと!? ちょ、待って待って!」

「そのままの意味です」


 私を置いて廊下に出ていくアンを慌てて追いかける。

 貴族の所作などかなぐり捨てて子どもの頃のように走ったからか、折角のセットした髪が変になってしまった。

 振り向くことなく歩くアンの前に躍り出て、直して欲しいと主張をするも無視をされる。


 これは、相当怒らせたのではないか。

 内心ビクビクしながらも、私はやっていく内に少し面白くなってしまった。

 次は大胆に真ん中で道を塞いでみよう。


「はぁ……ほら、屈んでください」


 ため息を付きながらも、アンも面白くなったのか口元が緩んでいる。

 何だか、母の生きている頃を思い出してしまった。

 暖かい笑顔の母と、少々ドジっ子だったアン。

 そして甘えん坊な私も。


「ふふっ、アニーお姉ちゃんは優しいね」

使()()()()()()当然のことです。ほら、行きますよ」

「はーい」


 ◇


 無言でナイフとフォークを動かす。

 カチャカチャとした音が重なり、奏でられるのは非常に耳障りの悪い不協和音。

 そして、切られたステーキを一口。

 うん。充分美味しいけれど、この辛めのソースはあまり好みではない。自分的にはもう少し甘めの方が良いんだけどな。


「ルーザン。お前の婚約者が決まった」

「そうですか。お相手は?」

「伯爵家のナナッサ令嬢だ」

「……それはそれは、嬉しい限りですね」


 会話が終わり、再び不協和音が訪れる。

 表面的には和やかな家族の風景でも、冷え切った空気は誤魔化せない。

 慣れたものだ。

 私の意向全てを無視して、権力の道具として使う人に元から期待などしていない。


「……メアリーも、この話には同意している」

「何故、ここでメアリー夫人のお話を?」

「いや、何でもない」

「そうですか」


 歯切れの悪い会話と、誤魔化し癖のある子爵。

 これも、いつも通りの光景だ。


 私はメアリー夫人には会ったことが無い。初めてこの場に連れてこられた時には、子育ての為に既に離れに移られておられたから。

 だから、二人と使用人のみの空間での食事は慣れたもの。


 日は暮れ、窓からのオレンジの光が消えかかる時間帯。

 その頃、私の別邸では使えない灯りが次々と点され始めた。机上のランプにも、暖かな明かりが点った。


 揺れる熱源には、もう羨ましさを感じることはない。

 冷えた視線同士も、一生交わることはない。


「アン、戻りますよ」

「承知しました」


 背を向け、部屋を後にする。

 子爵は声をかけずに出ていく私を咎めない。違和感など微塵も感じない。


 だが、そんなことはどうでもいい。

 八つの鐘が、私を待っているから。


 ◇


 外では豪雨が鳴り響き、止む気配すらない。

 暗闇になった自室。アンの姿も薄らとしか見ることはできない。ましてや、ピアノの弦など以ての外だ。

 常人ならば、ここで諦めてしまうのだろう。

 そうだ。だから、この憶測は楽しいんだ。どんなに些細なことでも。


 『常人にはできないことができると、それは大きなアドバンテージになる』


 母に教わった言葉を思い出し、口元が緩む。

 このアドバンテージを生かすも殺すも自分自身だ。

 最大限生かすことができるのならば、人は何者にだってなれる。


「普通の平民にだって、なれるはずだ」

「ルーザン様、何かおっしゃいました?」

「いや、何でもないよ」


 アンに拾われた独り言を誤魔化して、冷静を装う。

 こんなところが似ているだなんて、腐っても親子であることが嫌でも実感させられる。

 何故か、頭に捨て去ったはずの親近感と嫌悪感が湧き上がる。


 早いところ平民に堕ちて、最高のアンと日々に戻ってしまおう。

 逃げていては、永遠に飼い殺し貴族のままだから。

 やるべきことは山ほどある。けれども、急いて行動をしてもボロを出すだけだ。

 今はまだ動けないことが、非常にもどかしい。落ち着かなければ。


 考え込んでいる間に、ふと手に優しげな温もりが加わった。

 無意識に握り締めていた拳が、自然と解かれる。

 まるで母と同じような、懐かしい感覚が蘇ってくる。

 正体は振り返らずとも、一人しかいない。


「ルーザン……いえ、()()。落ち着いて」

「えっと、ごめん、アニー」

「謝らないで。まずは一旦深呼吸、ね?」

「分かった」


 手を握られながら、優しく声を掛けられ、まるで子ども扱いだ。

 思考を整理しながら深呼吸。

 そうすると、よく分かる。雨音と暗闇という鬱の景色に惑わされていたことに。


「ははは、やっぱりアンには一生敵わないよ」

「はいはい。そんなことより、婚約者の話は大丈夫なの?」

「それは問題ないよ。どうにかする算段は付いてる」

「なら、いいけど」


 アンには平民に堕ちる計画は話していない。彼女なら絶対に反対するだろうから。

 適当な作り話を聞かせて、誤魔化している段階である。

 それに、婚約者はどうとでもなる。嫌われることができればいい話だ。

 問題は子爵と伯爵だけど……。


「そろそろあの時間よ、落ち着いた?」

「大丈夫だよ。()()丁度思い出したところだから」

「……では、準備いたします」


 子爵子息ルーザンとただの侍女アンに戻り、気を取り直す。

 ここは別邸と言えど、ここは貴族の屋敷。男貴族と女平民が親しげに会話して良いものではない。

 どこで誰が見ているのか、分からないのだから。


 アンが鍵盤前に座り、窓を見つめる。私もその隣に控え、同じ方向を眺める。

 いつもの主従関係とは真逆の立ち位置だ。

 この光景も見られてはいけないなと思いつつも、アンも私も動くことはない。


 午後の八つの鐘が鳴り響く。

 その音色を合図に曇天は明け、神の道を通るように満月が現れる。

 先程まで降っていた豪雨はピタリと止まり、光が窓から降り込んでくる。


「流石、ルーザン様の憶測ですね。

 予定通り、調律を開始いたします」

「うん、後はよろしくね」


 アンは立ち上がり、目を金色に光らせて弦を見つめる。

 私には何をやっているのかは分からないため、ここから先は手持ち無沙汰なのだ。

 黙って適当に過ごすことが最善策。私はそう学んでいる。


 今日は散歩でもしてこよう。夜道から見る月は部屋からとは全く別物だろうから。

 内開きの扉を開けようと目を向けた時、青い瞳と視線が交わった。

 ただし、私の腰ぐらいの高さから。


「アン。調律は中断してもらえる?」

「どうかいたしましたか?」

「……小さなお客様だよ」


 本当にどこで誰が見ているのか、分かったものじゃないね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ルーザンの能力はいったい何なのか気になりました。 憶測、というにはずいぶん正確だったので、もしかしたら何かしらの力があるのではないかと(魔術の才能はないという記述から、魔術自体は存在する…
[良い点] いろんな音楽的なことが入っているのが雰囲気を持たせてくださいますね。今日みたいな雨の日は確かにくぐもった音になります。音って面白い。 こちらの主人公たちはまだまだ冒頭なので音楽を楽しむ事…
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