僕と契約して魔法少女になってよ!こんなセリフ言うやつは信じたら負け
人の形をした風が駆け抜けた。
「わぁ、今日はこの街の魔法少女だったんだ。」
頭上の更に少し上、電線と同じくらいの高さを1人の少女が駆け抜けてゆく。
アイドルのような装飾過多な服に結ばれた長いリボンが桃色の軌跡を描いて、人間ではありえない距離を跳ねて軽やかに朝の住宅街を駆け抜けていく。
桃乃未琴。駆け抜けていった少女は魔法少女だ。国民的なアイドルであり、人間なのに人間を逸脱した存在。
定期的に世界を襲うモンスターから私たちを守り、自分の願いを叶えるために戦う強くてかっこいい、全世界の女の子の憧れ。
「頑張れー!負けるなー!応援してるよー!」
あっという間に小さくなっていく背中を見送りながら声援をかける。
「いけない、もう遅刻だ。走れ走れ!」
東堂 百合香、15歳。
私も魔法少女に憧れている。
『東堂百合香ちゃん。僕と契約して魔法少女になってよ!』
そんなことを言ってくれる妖精をずっとずっと待っていたんだ。
その後、なんとかチャイムがなり追える寸前に教室に駆け込むことが出来た。
「東堂、遅刻だぞ」
「え、先生いいじゃん!魔法少女見てたらつい足が止まっちゃったんだよ」
やる気のない数学教師と同じくらいやる気のない言い返しをしながら席に座る。きっと遅刻と書かれた。ケチ。
「あんたまた遅刻してんの?15歳の遅刻魔とか普通にヤバいよ?」
「だってぇ……魔法少女だよ?」
「でた、百合香の魔法少女オタク。戦闘中継面白いけどさぁ……」
気のいい友人と、いつもと変わらない会話を続ける。そう、いつも変わらないんだ。
いつも同じ通学路を通って、いつも同じ友人といつも同じようにだべって過ごす。
「──つまんないなぁ」
「へ?なんか言った?」
「ううん、なんでもない」
愛すべき、同じなつまらない日常。やっぱりちょっとした刺激が欲しい。
『ぱんぱかぱぁん!東堂百合香ちゃん!魔法少女、君は魔法少女に選ばれたんだ。ねえ、メルルと契約して魔法少女になって欲しいメル!』
本当に、ちょっとした、ほんのちょっとの刺激が欲しかっただけなんだ。
眠くなる5時間目の古文の時間。突然目の前に現れた2頭身の羊のぬいぐるみのような生き物。ムチムチと動くからだに、特徴的な語尾。
教室が静まり返る。寝ていた生徒たちが飛び起きた。視線が突き刺さるのを感じる。
口の中が乾く。息が止まる。思考も止まる。
『あれ?固まっちゃったメル?』
羊のようなぬいぐるみが首を傾げた。
うそだ、こんな。こんな。だって刺激が欲しいとは思っていたけどそれは、この街の魔法少女に話しかけられるとか仲が良くなるとかそんなちょっとした刺激だったのにそんな。
狼狽える私の肩をガタガタと友人が揺する。強めの力で頭がガクガクと揺れて視界がぶれる。やめてって三半規管弱いんだって。
「百合香!ゆり!ちょっと、早く答えなよ!!!なりたがってたじゃん魔法少女!」
「え、あ……」
『とにかく!魔法少女になって欲しいメル!』
「は、はい!」
契約成立!と羊のぬいぐるみが叫ぶ。周りがザワつく。いや、いまのはいは返事じゃなくて相槌だったんだけど。契約成立か、契約書はどこだ。こういう契約に契約書に無粋すぎるのか。ないのか、ないのね。ここになければ無いですね。
『このリボンに最初の願いを願うメル!』
「へ、えっ……えっと、し、刺激的な日常を送りたい!」
胸元に押し付けられたリボンにセクハラと叫びそうになった。誰が貧乳だ誰が。ぶっ飛ばすぞ。
『もちろん!任せてほしいメル。ボクたちは君たちのおねがいをなんでも叶えてあげたいんだ!』
その時、羊の妖精が確かに笑った気がした。
そして、それから1週間。特に私の生活は変わらなかった。
「メルル、何か面白いことないの?」
「ないメル、魔物たちの反応も無いし……魔法少女たちと戦うにはまだまだ百合香じゃ経験は足りないメル」
羊みたいな謎の生き物、メルルは1日角砂糖3つを食べて生きてる。口うるさく、真面目な性格。
「そもそも、百合香は変身出来ないじゃないか」
呆れの混じった視線に言葉が詰まる。
あの日、変身の言葉を教えられてクラスのみんなの前で叫んだが、結局何度叫んで変身出来なかったのだ。
「分かってるよう。でも変身できないなんてこの魔法石、壊れてるんじゃないの?」
「壊れてなんかないメル!」
もちもち怒るメルルのお腹をつつく、意外とぷにぷにしていて本当に動くマスコットのようだ。
「メルルだって百合香がこんなに変身できないなんて思ってなかったメル!」
「ひっどい!」
べぇ、と舌を出してからかうメルルを捕まえようとしてそのまま、パタパタと追いかけっこが始まる。
たった1人加わってちょっとだけ変わったけど私の愛すべき日常は余り変わらない。変わらないとずっと思ってた。
「捕まえた!」
「うぐぐっ、メル!百合香、百合香!魔物メル!魔物がきたメル!」
「そう嘘ついても誤魔化されないからね!」
「嘘じゃないメル!あっちの方向!駅の方向メル!」
ようやく捕まえたメルルの悲鳴を聞き流して、どういじめてやろうかと考えを巡らせているとメルルの指さした方向、駅の方から爆発音と悲鳴が聞こえてきた。
「メル!行くメル!みんなを助けるメル!」
「わかった!」
メルルをカバンに突っ込んで走り出す。魔法少女を目指して早15年。ずっとずっと走り込みをしてきた瞬脚は韋駄天と呼ばれても過言では無い。
「がんばれメル!急ぐメル!」
「分かってる!」
息が上がるのが分かる。メルルはいいな。カバンの中で応援してればいいだけだもん。
そんなことを思いながら鉄の味がする歯をかみ締めながら15分。現場に着いた。
「なにこれ」
目の前に広がるのは阿鼻叫喚だった。魔物が出た時はニュースになることも多い。だいたい魔物はすぐに倒されていて、救助活動や、すぐに街の復旧作業に走ってる姿だ。
戦闘の時もカメラが追いつけなくてぶれてたりそれこそ倒される直前の姿で、目の前にいる元気いっぱいな魔物は見た事なかったのだ。
「なにこれ」
目の前で悲鳴が上がる。自分のすぐ横を魔物が投げた瓦礫がすごい音を立てて通り過ぎる。少し離れたところで魔物に食べられてる子供がいる。ガリガリゴリゴリ。何の音だろう。
「なに、これ」
地面に黒っぽい赤い水たまりがいくつかある。耳が壊れそうなほどのサイレンの音。悲鳴、魔物の叫び声。
クマとドラゴンが混じったような、おかしいくらいに腕が長いクマ。それが時折かめはめ波のような光線を出しながら人を襲っている。
「百合香!百合香!今こそ変身するメル!」
「へ、え…?」
「この場に魔法少女は百合香しか居ないんだ、早く変身してあの魔物を倒すメル!」
私が?あの化け物を?メルルと魔物を交互に見る。あ、また人が駅から落ちた。え、これを倒すの?私が?
「中学生だよ、わたし」
「そんなことどうでもいいメル!君は魔法少女なんだ!」
そんなこと。そんなこと。確かに人が死んでる今はそんなことかもしれない。でも、私まだ変身出来ないんだよ?
憧れの魔法少女が、憧れの非日常が、そんなに素敵なものじゃないと私は今日イヤになるほど思い知らされた。