平民と貧民の格差
グシグシと目を擦りながら、シオウはある場所に向かった。
それは昨日のような野菜クズなどが捨てられているゴミ捨て場ではなく、表参道と呼ばれるところだ。
貧民区に住んでいる者達にはとても縁遠い場所。
普通の生活すらできない浮浪者からすれば、その表通りに暮らす人々はさぞかし眩しく見えることだろう。
そんなキラキラ眩しい世界にシオウは足を踏み入れると、人の邪魔にならないように、道の端を歩み、目的の場所である家に着くと、扉を叩いた。
「は~い・・あら、シオウ君。久しぶりね。いらっしゃい」
訪れたのは小さな料理屋。
この小料理屋には10日間に一度訪れ、生ごみを捨てる仕事を請け負っていた。
小料理屋の人達からしても、こういった子供にパン一つ与えるだけで、わざわざ生ごみをゴミ捨て場に持っていく手間が省けるので追い返すことは無い。
ただし、追い返さないのは貧民区に住んでいない孤児院で暮らしている子供達に対してだけだ。
基本貧民区の子供では、伝手がない限り追い返されるのが関の山であった。
貧民区の子供が追い返される理由は、仕事をさせようとしても真面目に働かない者が多いからである。
ゴミを渡してもゴミ捨て場まで持っていかずに、適当な場所に捨てたりする。
もっと悪い時は依頼者の見えないすぐ裏手にでも捨てて、浮いた時間で他の仕事をこなし報酬だけ受け取ることもあった。
なんの信用も保証もされておらず、更には悪い噂を耳にする貧民区の人間など誰も雇いたくないと言うのは、仕方がない事だろう。
「おはよぉ」
「はい、おはようございます。・・・シオウ君ちょっと額赤いね」
そう言いながら女性はシオウを心配そうにみつける。
彼女はこの小料理屋のボス!・・ではなくこの店の店主の奥さん。
名前はミラさんと言い、とっても優しい人だ。
「転んだ」
「そうなの? 痛くない? 大丈夫」
いつも貧民区に住むシオウを気にかけてくれる本当に優しい人。
まるでお母さんみたいだから大好きだ。
だけど、そういうこと言うとミラさんが困るだろうから言わない。
お母さんみたいだって言って嫌われたくないから言わない。
誰だって貧民区の汚い子供を我が子にしたいなどと思わないから。
「大丈夫。ぼく強いから」
「そうね。うん、シオウ君強いもんね。だけど気を付けなきゃだめよ」
そう言って、赤くなった額を優しく撫でてくれる。
ぼく汚いから触らない方がいいのに・・。
「うん、気を付ける」
「うん、いい子・・それにしてもまた痩せた? 良かったら何か食べていきなさい。奢ってあげるから」
優しい言葉を掛けてくれるミラさんにシオウは嬉しそうに笑みを浮かべるが、頷くことはしない。
今でも普通は雇わないぼくを雇ってくれているのだから。
「それはダメ。ぼくみたいの入れたら迷惑になる」
「誰にも見られずに裏から入れば問題ないわよ」
甘く優しい誘惑がシオウを誘うが、それにつられることなく、シオウは首を横に振る。
貧民区の子供が一般庶民の集う食堂でご飯を食べている。
それだけで周りの人達はいい顔をしないだろうし、お店にも迷惑がかかる。
そして、貧民区の者でも入ることを許された店がある。などとうわさが広がれば、たちまち素行の悪い貧民区のならず者達や犯罪者達が遠慮なく上がり込んでくるだろう。
たった一度の善意が、多くの悪意を呼び、優しい人々が悪意に晒される。
それを知っているシオウは、ミラの優しさに甘えることはできなかった。
「それでもダメ。ぼくみたいの入れたら変な人が来る。お仕事貰えるだけでいいの」
「・・・・・それならもう少し頻繁に来たらどうかしら? 流石に10日に一度しか来ないのは心配だわ。せめて3日に一度くらいにしない?」
「ダメ。お店に変な噂が流れる。お店潰れるのヤダ」
「そっか・・・わかったわ。それじゃあ、いつも通り裏で待っていてくれる?」
「うん!」
だからシオウは絶対首を縦に振らない。
大好きな人達が苦しむのは見たくないし、その原因にもなりたくないから。
そして、ミラもシオウが意思を曲げないことがわかっている為、仕方が無さそうに肩を落とし、説得を諦めた。
「・・・・・じゅる」
ミラが店に戻っていった後、シオウも店の裏手に回った。
スープでも作っているのか、とてもいい匂いがして思わず涎を啜ってしまう。
シオウはいつもお腹を空かせている。
昨日の夕食はマズイ毒芋の芽で飢えを凌いだが、育ち盛りの子供にとって、あの程度の量では満足できるわけがない。
空腹を紛らわせるために、料理の臭いを嗅ぎながら口をパクパクとさせ少しでも食べたつもりになろうとする。
涙ぐましい行動であるが、お金の無い現状では致し方ない。
そうして無意味に時間を潰していると、裏手の扉が開かれた。
「おはようシオウ。待たせたね」
「おはよぉ」
扉を開けて現れたのは、眼鏡をかけた細身の男性。
細身といっても、無駄な脂肪は無くかなり鍛え抜かれている身体である。
現れた男性はこの料理屋の店主で名はユクラン。
先程シオウに対応したミラの夫である。
「今回はこれくらいだ。いけるか?」
「大丈夫」
8歳児に持たせるには少し大きな生ごみの入った籠だが、シオウは問題ないと頷く。
一応籠には蓋はされているが、生ごみ特有のなんとも言えない匂いが漂ってきて目に染みる。
だが、シオウは顔を顰めることなく籠を抱え、少しよろけながらもしっかりと抱えて、ゴミ捨て場へと向かった。
よろける姿をユクランは心配そうに眺めながらも、特に声をかけることは無くただ無言で見送る。
貧民区に住む子供に無駄に優しい言葉をかけるべきではない。
本来はミラのように気遣う言葉をかけるべきではないのだ。
どれだけ幼く、無害な子供であったとしても手を差し伸べれば、砂糖に群がってくる蟻を呼び寄せるように、貧民区の心無い者を呼び寄せることになるのだから。
弱弱しい子供が苦労していたとしても、それを見ている事しかできない。
心苦しくはあったが、ユクランは己の家族を守るために心を鬼にして優しい言葉をかけることはなかった。
ただそれでも、小さな子供が必死に生きる姿を見る事しかできないことに歯がゆい思いはしていた。
生ごみをゴミ捨て場に運び終え、街の端っこに流れる小川でゴミが入っていた籠を洗い、報酬である固くて質の低い小麦を使っている最低底のカチカチパンを一つ受け取ったシオウは、ユクランが扉を閉めたと同時に、その場でパンを頬張った。
そしてものの数秒で食べ尽くしてしまう。
あまりにもお腹が空いていた故に我慢できなかったのも理由の一つだが、それ以外にも、誰かに取られるかもと言う危機感がそう行動をさせたのだ。
貧民区に住む子供がパンを一つ持っているだけで、碌な目にあわない。
同じ貧民区に住む者達が奪おうとしてくるだろうし、一市民からは安いとはいえパンを買う金もない貧民の子供と見られているので、どうせ盗んだものだと思われる。
そして、その言葉をどれだけ否定しようとも、弁解しようとも聞き入れてもらえないことを知っている。
故に、シオウは誰にも見つからないように、そして見つかっても証拠を胃袋に押し込むことで証拠隠滅をはかった。
まあ、流石に貧民区の子供がパン一つ持っているだけでそこまで追い立てる者はそうそういないだろうが。
それでも警戒するに越したことはないだろう。
パン一つを胃袋に収めたシオウが次に向かったのは先程籠を洗った小川だった。
ここに来た理由は食料調達と言うよりも、稀に見つけることができる綺麗な石を探しに来たのだ。
何のために必要なのかわからないが綺麗な色の石は商業ギルドで僅かばかりのお金と交換して貰える。
物によっては普通の食事にありつけるほどの価値のある石を見つけることもできる。
それ故シオウはできるだけ小川を散策するようにしている。
そして今日は運がいいことに、掌ほどの大きさの青い綺麗な石を見つけることができた。
これはもしかしたらご馳走が食べられるかもしれないと、ウキウキ気分なシオウであったのだが、
「お前イイの持ってるじゃん」
「・・・・・・・」
同じように金になる石を探していた己よりも年上の男達に見つかってしまった。
「なに黙ってだ。さっさと寄越せってんだ! ぶっ飛ばされてぇのか!」
「そう騒ぐなよ。おらガキ。俺達はお前みたいな貧民区に住むゴミじゃねぇんだ。この街に住むことを許された住民様なんだよ。わかったらそれを渡しな。そうすりゃ痛い目見ることもねぇぞ」
「・・・・・・・」
一対二の状況で、更には太い木の棒を持っている年上の男達。
逆らっても意味ないと判断したシオウはせっかく見つけた綺麗な石を言われるがままに差し出す。
「ぐずぐずしやがって。薄汚い貧民区のガキが!」
「・・・あうっ」
殴られることは無かったが、川へと向かって思い切り蹴飛ばされた。
小川とはいえ大人でも足が付かないほど深い。
そんな川に蹴り飛ばされれば8歳児の子供など溺れるしかないだろう。
助けて! と言わんばかりにバタバタと手を伸ばしながら流されていくが、そんなシオウの姿を男達は助けることなくバカにするように笑うだけだ。
そして流れていくシオウを尻目に男達は、今日は運がいいぜと上機嫌に歩いていってしまった。
そして、しばらくバタバタと暴れながら流されていたシオウは、男達の姿が見えなくなったことを確認すると暴れるのを止め、普通に泳いで岸に上がった。
元々泳ぎは得意であったシオウが溺れる訳もない。
ただ今回は、男達があれ以上ちょっかいをかけて来ないように溺れた振りをしただけだ。
自然と逃げだせて、絡まれない良い判断であり、流石貧民区で一人ぼっちで生き延びて来ただけある。
機転が利く頭の良い子である。
「・・ぐすん」
まあ、褒められた判断だとしても、物を奪われ、無慈悲な暴力をされて悔しがるなと言うのは無理な話だろう。
転んだ時のような痛みではなく、何もできず、抗えない己の無力さにシオウは悔し涙を流した。
それでも、大声で泣くことはせず、鼻水を何度も啜りながら、濡れたボロボロの服を脱ぎ、乾かすために水を絞るのだった。
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