8話 強制された実験台
『魔力切れ』を起こしたメノアは、その反動により暫く動くことができないでいた。
ミノタウロスの猛攻を受けたシロは早く治療しないと死んでしまう可能性があった。だからなんとしても早々にここを出ないといけなかったのだ。
「やれやれ……まさかこんなところに子供が紛れ込むとはね」
――誰?
メノアが咄嗟に声がするほうを振り向くと、白衣を着たボサボサの黒い長髪をした研究員のような姿をした男がタティエラの傍に立っているのを確認する。
「あ、あなた……誰!?」
なんとか力を振り絞って起き上がるメノア。
メノアはこの男が話すまで、近くにいることに気付くことができなかったのだった。
魔力切れを起こしているとはいえ、感覚自体が鈍るわけではない。幼少の頃は野生のような環境で育ち、一年前まではほぼ最前線で生活していたメノアがこの存在に気付くことができなかったことに不気味さを感じずにはいられなかった。
「しかも、まさかワタシの強化プログラムを受けた牛がその子供にやられるなんてね……。クフフフッ、想像していなかったよ。これが想定外の出来事というやつなのだろうね。久しぶりにこういうことが起きると、なんとも実験をしている時と似たような感情になってしまって昂るな」
メノアの質問に返答しない男は真顔でタティエラの襟を掴んで持ち上げる。
「タティ!」
その男は謎だらけだった。
何故装備も無くダンジョン内にいるのか、何故タティエラに対してそんな行動をとるのか、いつこの場に現れたのか。
この人……誰? 街でも見たことがない。いったい…………?
「ふむふむ。そこのお前、このガキの仲間か?」
「だったらなんですか……その子を下ろして!」
「このガキを殺されたら、どうする?」
「っ!!?」
狂気を滲ませた笑みを浮かべ、男はメノアにタティエラを見せるように掲げる。しかし、そんなことをしていてもタティエラは目覚めず、ただ苦しそうに息をしているだけだった。
「――本気? どうしてそんなことを……」
動けば、直ぐにでもタティエラを殺されてしまいそうな雰囲気。
だからといって何もしなくても、自分もろとも殺される気がしてならないメノア。
だが、魔力切れによる弊害からどうすることもできそうになかった。体が硬直して痺れ、起き上がる事はできても立ち上がることはできなかった。
最前線で戦った実績を持っているメノアでも、魔力も立ち上がる力も無ければ只々(ただただ)無力を感じずにはいられずに不安な表情で見守っている。
そんな中で手を使い、這って少しずつ二人に近づいていった。
「ふむ、見れば……さっきのあの牛との戦いでもう戦うことができそうにないようだ。まさかワタシが待っていた者がこんな弱弱しい『弱者』だったとは思わなかったよ」
「どういう意味?」
「……質問が多いな、どうやら今お前が置かれている状況を理解していないようだ」
メノアは図星を突かれたように動くのを止める。
「もちろんワタシがこのガキを人質に取っていることではなく、この場所についてだ。
ここは、まぁ……私も今はどこだか把握しているわけではないが、どこかのダンジョンと繋がったダンジョンということだ。ややこしいだろう?
まぁ聞け、お前がいると思っているダンジョンと私がいるダンジョンのフロアが今リンクしているのだ。それは時間が経てば場所ごと、また別のダンジョンとリンクし、ここのダンジョンフロアとはおさらばになるというわけだよ。ではこの利点を教えてやろう。
一つ、ワタシはこのダンジョンフロアにいることで何処かしらのダンジョンから外へでることができる為、瞬間移動まがいのことが可能になる。
二つ、ワタシは追われている立場でね……。まぁ、今も終われているかは定かではないが、逃げやすい。ダンジョン内に入られたとしてもここには数十のフロアがあり、それらのフロアに入ってしまえば、フロアの切り離しが可能だ。それと、逃げた場合にどこへ行ってもダンジョンへ入ればここへ戻ってくることができる。
三つ、ワタシは研究をしている者でね。ダンジョン経由でその立地の情報が集め放題となる。
偶にはダンジョンから出て外の空気を吸うがてら文献を漁ったり、逆に文献を残したりもしたが――ワタシはもう何年も他人と口を聞いていなくてね。つい喋りすぎてしまっているが……まぁいいだろう」
男は手を離すとタティエラは当然地面に落ちるが、それでもタティエラは目を覚まさず人形のように崩れる。
メノアはそれを見送り、自分がタティエラに気が行っていると思われたくなく、話を続けることにした。
「…………リンク? ここが、別のダンジョンと?」
「これが事実ならば、ここにミノタウロスというBクラスの魔物がいることも不思議ではないだろう?
さっきの牛はこの付近の魔物では格が違う強さのはず……。まず出くわすことがないだろう。しかし今ここにいるのは、ワタシが次元を超え、ダンジョン同士をリンクさせているからに他ならないというわけだ。こんな現象はダンジョンの中だけだよ」
「……リンクは一定期間でまた別の場所へリンクする。だからここは、またそのうち別の場所へと行きつく?」
「ほう? 理解が早いようだな、正解だ。まぁ、私の説明が良かったという話だが」
メノアは考察する。さっきのミノタウロスが恐らくシロたち兄弟を襲った張本人である事。
その為に今まで大人しかったシロが血相を変え、この場所へ来て仇を討とうとしていた事を。
「なら早く帰らないとね、リンクがまた切れてしまわない内に。また変な魔物が出てこられたら溜まったもんじゃないし」
「フフフッ、その理解力は自己防衛によるものか? であれば興味深いな。
窮地に陥っているというのにその感の鋭さと分析力、実に面白い……。
その面白さに応えてやりたいが、それは困る。ワタシの実験に協力してもらうためにこうやって別の場所とリンクしているというのに」
「悪いけど、それは無理。わたしもこんなところで死んじゃいけないって決めてるし、死なせないって決めてるから」
「相手をしろというわけではない。ただワタシが開発した魔道具によって消えてくれというだけだ」
「誰がそんなのに了承すると思っているの?」
男は袖から何かの機械を取り出す。
その機械には銃口があり、中に魔力を流し込んでいるように見える。
「君の了解はいらないさ。なぜならこれは強制的実験というやつでね、逃げることなどできはしないのだよ。
……あぁ! これはショットガンと言ってね、ある文献の記述にあった物を再現をしたような物だ。文献はいくつかあってね、ワタシはそれら全てを魔力基幹を内蔵させることで完成に近づけた。君にはこれの実験台第一号になってもらおう」
魔力基幹……聞いたことがあるけど、今はそんなことはどうでもいい。もう魔力がほとんどない。
防御する術もないし、防具も着けていないから当たれば確実に死ぬ。
考えて! 死なない方法、生きる術を!!
メノアは辺りを見渡し、今考えられる行動全てを脳内でシミュレーションする。
しかし、これまでの自分の経験、他人の経験談全てを思い返したが、どれも今は使い物にならない過去に起きた出来事。いきついた結論は自分には何もできないという事だった。
「――ダメだ……もう何も打つ手がないよ、お兄ちゃん。
わたし、もうダメだよ……ごめん、タティ君。ごめん、シロ。ごめん、お兄ちゃん……!」
メノアは抗う事を諦め、ゆっくりと俯き、悔し涙を地面へと向ける。すると――自分の前に暗い影ができていたのにメノアは気が付き、目を開いていく。
「――そしたら俺を頼れ、俺を呼べ。
俺がお前を助けてやるから」
聞いたことのある言葉。昔、お兄ちゃんがわたしによく言っていた言葉でずっと――いつも勇気を貰っていた、魔法以上に効果のある魔法の言葉。
メノアが顔をあげると、目の前に一人の青年が立っていた。
それは、わたしが待っていた、わたしだけの英雄だった――。