7話 わたしとお兄ちゃん
シロは起き上がり、まだ立ち向かう意思を示すようにミノタウロスへ威嚇している。
シロの説得は無理みたい……。それなら協力してあのミノタウロスを倒すしかないけど、魔力はほとんど切れてる。今は魔法しか使えないわたしは、一発も魔法を無駄に撃てない。
攻撃を避けつつ確実に当てていかないと、後手に回って二度とお兄ちゃんに会えなくなっちゃう。
「……シロ、協力してあげる。さっさと片付けちゃお!」
シロがなんでこのミノタウロスにキレているかは分からないけど、シロが引かない以上はわたしも手を尽くすしかない。全員生きて街へ帰る為に。
シロはメノアの意志が伝わったようで、メノアを見て頷いた。
「理解が早くて助かるけど、もうこれ以上の我儘は許せないからね」
メノアは腕を捲り、気合を入ると足元にある手ごろな石を手に取った。
地形を利用するにもここは広すぎるし、やっぱり感に頼るしかない。でも――
「わたしは感がいいのよ!」
メノアはタティエラから離れるように走り、シロを警戒しているミノタウロスに石を投げつける。
「わたしが相手よ! さあ来なさい!!」
「ウゥウウウッ!!」
ミノタウロスは怒ったようでメノアに突進していく。
さぁ、シロは背後を取って! できるだけ注意を引くから!
メノアは魔力を右手に込めるのに対し、ミノタウロスは棍棒を振り上げていく。
わたしの魔法をそれで防ぐ気? なめられてるじゃん、こっちには素早さであなたに勝るシロがいるんだよ!
シロは咆哮と共に背後からミノタウロスの肩へかぶりつく。その目は獣そのものであり子供達と遊んでいた姿とは全く違うものだった。
「ガァアッ!」
「グルルルルッ!!?」
ミノタウロスの苦痛の叫びが響く。自身の肩から離れようとしないシロを振り払おうと暴れるが、シロはめげずにかぶりつき続けている。
「ふりほどこうたって、そうはさせない!」
メノアはその隙に懐へと潜り込み、右手に込めていた魔法をミノタウロスの腹目掛けて叩き込む。
「シャイニング・チャージ!!」
「ブモォオオオオオッ!!!」
メノアの光を帯びた右拳はミノタウロスの虚を突き、波打つ波動を受けて仰け反らせながら弾き飛ばすと、地面を転がり、膝を付かせる。
メノアは魔法を撃った直後、身を引いて逃げる場所を確保する。シロもメノアの魔法が当たった後に牙を離し、ミノタウロスから降りて距離を取っていた。
しかし、ミノタウロスは傷一つ付いていないようで、なんともなく起き上がってくる。まるで「そんなものか」とでも言いたげに。
「ダメ、全然効いてないみたい……」
魔力切れを恐れてあまり魔力を込められなかった! 次はもっと威力のある魔法で片付けるしかない!
「次行くよシロ!」
しかし、ミノタウロスの動きは思ったより速く、メノアが取った距離をすぐになかったものにする。予想を超える動きに反応出来なかったメノアはただ立ち尽くすだけだった。
「嘘……!」
「ガァアアアアア!!」
ミノタウロスの叫びと共に横殴りの棍棒がメノアの腹にめり込む。
「うっ……カハッ!!」
鉛のような痛みがメノアの全身へと行き渡り、後方へと飛ばされる。
地面を転がり、やがて動きを止めると口から内蔵の液体が息をできない中で出てくる。装備を着けていない故に腹に直撃を受けて鈍痛が響き、立ち上がる事ができない。
やっちゃった……アイツ、意外と速かった。前線を離れたツケがここに来てやってきたんだ。
これまでお兄ちゃんに追いつこうと努力してきたのに……これじゃあ上手く魔力が練れない。
それでも、速く立たないと!
メノアがなんとか苦痛に耐えながらも立ち上がろうとしている中、ミノタウロスはメノアに向かって歩いている。
止めを刺しに来てるんだ……。
ハッキリ言って大ピンチ、絶体絶命だよ。ははは……。
その進路を阻むようにシロが根性の意思でミノタウロスの足に噛みついた。
シ、シロ……!!
ミノタウロスはその痛みに耐え、自身の拳でシロの身体を殴る。
押し殺すような悲鳴をあげるものの、シロは噛みつくのを止めようとしない。死んでも離すものかと本気の目と牙でミノタウロスの体にめり込ませていく。
「グッ…………ウゥウウウッ!!!」
「止めてシロ……そんな事したら、死んじゃうよ……っ!!」
ミノタウロスは何度も何度もシロを殴っていく。それでもシロは牙を離すことはない。
既にシロの目に生気はなく、口だけが意思を持つようにそこから意地でも離れようとしなかった。
「グルァアアアア!!」
シロの噛みつきは効いているようでミノタウロスは悲鳴を挙げている。
ミノタウロスは、棍棒を大きく振りかぶるとそれを真上から振り下ろしシロの背中を殴った。それに耐えることは敵わずにとうとう口を離した。
吹き飛ばされ、転がり着いた時にはもうほとんど虫の息になっていた。
「シロ!! ……シロ……っ……なんで……なんで、自分を守らないのっ!!」
シロは魔物、普通なら自分を守るのが最善。
でも、わたしはもう見ている。
シロを逃がすために戦ったであろうシロの兄弟の亡骸を。
タティ君を庇っているシロの姿を。
そして――わたしを守ろうと、死ぬ気で耐えたシロの勇姿を。
ミノタウロスはシロに標的を変えた。先程のかみつきがミノタウロスの怒りを買ったのかミノタウロスから出る涎と、眉間の皴が濃くなっているのが分かる。
「殺させない……。わたしがいて、死なせてしまったじゃ子供達に合わせる顔がないっ!!」
◇
お兄ちゃんは実の兄弟じゃない。
最初は知らなかった。ずっとずっと、お兄ちゃんはわたしにとってお兄ちゃんで、ずっとかけがえのない家族。両親が殺されてからは、唯一の家族。
両親は二人の男に殺された。後で分かったことだけど、それは【ゾオラキュールの牙】という組織の者達だった。
『俺の妹に手を出すなぁ!!!』
あの時もわたしを守ってくれたのはお兄ちゃんだった。
多分その時からだろう。お兄ちゃんをただの兄として見なくなったのは。
今までわたしを守ってくれる『兄』は、わたしにとって大切な人。家族であって、相棒のような関係に満足していた。お兄ちゃんと一緒にいられることが本当に嬉しくて、ずっと甘えていた。
両親が亡くなった後は、お兄ちゃんは師匠と稽古したり、外で冒険者として依頼を熟すようになった。
わたしは一人の時間が増えていたから、一緒にいられる時間は本当に嬉しかった。だから、わたしだって師匠に教えを乞いたし、冒険者にもなった。全部お兄ちゃんと一緒にいられる時間を増やすためだった。
最前線で戦っていた時。お兄ちゃんは、わたしを危険に晒したくなくてわたしを少し離れた街へ置いていった。
わたしも戦いたかった。お兄ちゃんと一緒に戦いたかった。それで抵抗した。
これだけはお兄ちゃんの頼みでも、嫌だったんだ。でも、わたしは弱いから、強くないから…………これは当然のことだと結局は頷いた。そうすることがお兄ちゃんの重荷にならない唯一の方法だったから……。
わたしは中途半端だ――。
お兄ちゃんと一緒にいたいのに、一緒にいれるほどの力を持っていない。
悔しくて、悔しくて、わたしは自分で自分を嫌い、嫌いな自分から脱却しようと思って鍛えた。
それを続けていたある日、お兄ちゃんはわたしの前に現れた。
最初は驚きが先行した。あのお兄ちゃんが最前線から逃げるなんて想像していなかったから、戦いから逃げるなんて思わなかったから、戸惑いしかなかった。
逃げる途中で分かった。お兄ちゃんはもう前みたいな力を発揮できなくなっていたこと。だから、その分わたしが戦った。いつの間にかわたしは異名で呼ばれるくらいの出世をしていたけれど、わたしはそんなのは要らなかった。そんな呼び名で呼ばれても、わたしは最前線に行けなかった弱い者であることに変わりないから。
お兄ちゃんは回復すると、まるで昔に戻ったようにわたしのことを見るようになった。心配してくれた。
わたしはまた一緒にいられるようになったことが嬉しくて、これでいいと思った。
また一緒に暮らせる。もう前へ出なくていい。ただ、一緒にいられればそれでいい。今もお兄ちゃんと一緒に暮らせている状況が本当に嬉しい。
わたしの大切に思う人と毎日の日常を送れることがどれだけ嬉しいことか、改めて身に染みた。だから、今ある日常を壊すミノタウロスが許せない。
前まで思っていたこと――お兄ちゃんと一緒に暮らせられて嬉しい。お兄ちゃんが逃げてくれて嬉しい。
でも、それは結局いつまでも続かないことをわたしは知っている。お兄ちゃんはきっと前みたいに最前線へ戻る時が来ると、わたしは判っている。
だから、わたしはもう今の日常に満足してたらダメなんだ!
また前みたいになるから、わたしはもっと強くならなくちゃダメなんだ!!
お兄ちゃんに甘えて、わたしは何もしなくていいなんて、それじゃ前と同じだ!!!
もう、わたしはお兄ちゃんの後ろに隠れている妹じゃない。これからはわたしが隣にいられるくらい強くなって、傍でお兄ちゃんを支えられる強い者になる!! お兄ちゃんがまた逃げたいって思って、目の前の事から逃げ出したくなっても、わたしが支えられるように。
お兄ちゃんと同じように、誰かを助けられる英雄にわたしはなるから!!
◇
一発だけでいい……。
私の全てをこの一撃に乗せる。多分これを撃てばもう魔法は使えない。
でも、それでもいい。誰かを死なせるより、今を生かす事を考えるのがわたしたちだからっ!
「ねぇ、牛君……こんなのはどう?」
立ち上がったメノアは全身の魔力をかき集めて、掌から魔力そのものを吐き出している。
これをチラつかせるだけで、コイツはわたしに標的を変える。さっきからコイツの標的になるのは敵意がある者だった。
「これはわたしの最大級の魔法で、魔力を流し込むだけパワーが上がるエクストラ魔法で、【震天動地のメノア】の異名の由来となった魔法よ!」
ミノタウロスは、メノアの魔力を感じて再び標的をメノアに戻す。ゆっくりだった足取りが速くなっていき、棍棒を振って自身の戦闘本能を鼓舞しているのが見て取れる。
これを、お兄ちゃんに近づく一歩にする!!
お兄ちゃんに近づくために編み出した、わたしだけの魔法――
「蹴散らせ…………レグレッション・バースト!!!」
ミノタウロスを十分に引き付けると、メノアの手から光線のような光が放たれ、ミノタウロスに直撃する。
「いっけぇ――――!! ハァアアアアアアアッ!!!」
そしていつか、わたしの想いをお兄ちゃんに…………。
ミノタウロスは抵抗としてその場から動かないようにしていた。最初はミノタウロスの根性が勝りその場で踏ん張っていたが、徐々に押し負けていく。
「ブルァアアアアアア!!」
メノアの魔法は、ミノタウロスの抵抗を凌駕する。足で踏ん張れなくなり、宙に浮いたミノタウロスを瞬間的に吹き飛ばした。
ミノタウロスの苦しむ姿が魔法の隙間から垣間見える。
ミノタウロスはやがて壁へ激突すると、灰となって消滅していった。
それを見送り、全力放出して魔力が切れたメノアは、呼吸を荒いままにその場に崩れながら横倒れとなった。
「はぁ……はぁ……はぁ……わたしらしくない戦い方。
だけど、少しはお兄ちゃんに近づけたかな……?」
仰向けになり、天井に手を掲げるメノアは何かを目指して手を伸ばしているようだった。