312話 憎悪に塗れた乱心するヘビ
周囲から耳をつんざくような叫びが聞こえてくる。
危ない、やめろ、バロウ――さまざまな声が向けられているのに、考えすぎて気付くのが遅れる。
視界の情報が全て遅れて見えた。
残酷な笑みを浮かべ、魔法を放つウシャス。
もう遅いのに俺を助けようと駆けだすケンタ。
泣き出しそうになるカナリ、タナテル。
満身創痍のアミス、シンセリードも心配する表情を浮かべている。
全員が俺がやられるような姿を思い浮かべ、なんとかしなければと向かってくるのには違和感を覚えた。
――なんで?
なぜそう思うのか。
いや、そう思わない俺の方がおかしいのかもしれない。これだけのピンチを前にして、恐れも死の予感もない。ピンチとも思えない。
危機感が足りない。そう思われるかもしれないが、違う。
明確に、絶対的に感じるんだ。俺は、死なない。
戦っている時、あと何発攻撃を受ければ重症になる。そう計算することがあるが、それに似たような感覚だ。
この攻撃を受けても大丈夫だ、という確かな感覚が俺を楽観視させている要因だ――。
ウシャスより放たれる膨大なエネルギー波。地面を削り、凄惨な風景をより壊すように着弾する。
呆然としたバロウにはあまりにも不可避の至近距離からの魔法攻撃。
全員が、頭を下へ向けた。
膝から崩れ、四つん這いになるカナリ。拳を地面に叩きつけるタナテル。前に出した足が震えて倒れるケンタ。
そんな彼等が可笑しく、アレンは吹き出し、涙が出るほど笑った。
「ぷふっ……あはははは!」
「お、お前、なに笑ってんだ!! あいつはお前の弟なんだろうが!!」
眉間に皴を寄せ、タナテルがアレンにつかみかかる。
彼は半笑いしながら続けた。
「いや、おめえら、なに奴が死んだみたいに勘違いしてんのかってさ! あいつはきっと思ってるだろうぜ。勝手に殺すなってよ」
「なん……!?」
ウシャスがたたらを踏んでいた。
魔法が消えると、そこにはなにもなかったかのように座るバロウがいた。
なにかあったのかわかるのは、髪が少し後ろに流れている程度で、怪我もなければ汚れもない。
「あいつが今、なんなのか教えてやろうか。あいつが使っているのは神核だぜ。いくら相手がゾオラキュールファングのナンバーツーだとしても、それは良くて結局人にできる限界値程度。
――神になった『バロウ』に、効くわけがないだろ」
「――嘘だ!!」
信じられないようにウシャスは魔法を連発する。力の限り魔法をバロウに撃ちまくった。
「俺の――僕の、魔法が効かないわけがないっ!! ミューだろ、お前はミューだろ!! 一番ちっこくて弱くて、最底辺のゴミ虫じゃないか! さっさと消えろよ、漸く消せると思ったのに、こんな時に僕の現実を拒絶するなッ!!!」
「うるせェッ!!!」
エネルギー波の強力な波を押し切ってバロウがウシャスを殴る。
「くっ……!??」
「いい加減にしろよウシャス。てめェは過去の記憶に縋って思い違いをしてんだ。過去のことを全部思い出せたわけじゃねェけど、てめェの言うそれは昔のことだ。今と昔じゃかけ離れすぎて比較の対象にはなりえねェよ!
俺がどんなで、てめェがどんなだったかは定かじゃねえが――いつまでも記憶の中の俺とたたかってんじゃねェッ!!
うぉおおおおおおッ!!!」
バロウは再びウシャスを殴り始めた。
先程はまったく攻撃とも思えなかった拳。しかし、突けば突くほどに火が燃え上がるように威力が増していく。
気付けば、ウシャスは足を引き、身体を揺らされていた。
なんだ!? ミューの身体に、なにが起きてるっていうんだ!?
「最初は弱い虫でも、やがてさなぎになり、成虫になれば――その姿は見る者の見方を変える。てめェが見てたのは、さなぎにもなっていない弱虫だったかもしれねえ。でももう今の俺は、その時とはまったく違う。俺はミューじゃない、バロウ・テラネイアだッ!!!」
体を開き、溜めに溜めた威力を収束して拳を放つ。
胸に当ると、ウシャスの体は鈍痛に塗れながら吹き飛んで行った。
「ッッ!!!?」
尻もちをつき、目を見開くウシャスは言葉が無かった。
「よぉし! 準備運動完了だぜ!!」
「なにが準備運動だ! 冷や冷やさせやがって!!」
調子づくバロウに、ケンタが食って掛かるように叱咤する。
「あはは……悪い悪い。エンジン掛かんのが遅めなのかね?」
「うるせえよ! さっさとそいつをぶっとばしてこの領域なんとかしろよ!? 時間稼いでくれたポロちゃんに申し訳ないとは思わいのか――!!」
「わかってる、そんなどやすなよ。
――決着つけようぜウシャス。もうてめェが俺に、いつの誰を見ているのか知らねェが、俺が勝つ」
ウシャスが土埃を払いながら歩いてくる。
その歩き姿は静かで、なにを考えているのか読めなかった。
怪訝に思うも、バロウの中での決意は固まっている。
戦闘態勢へと移行しようとした刹那、ウシャスから小さい独白が漏れて止まった。
「はあ……これだから恵まれた奴等ってのは嫌なんだ。僕だって君のように彼の息子として生まれたかったさ。じゃなければ、こんな人生を歩まずに済んだのに……」
「?」
「親も親だよ、どうして子供を墓場に放り出せる? 僕達に愛はなかったの? どうでもよかった? 世界が救われれば、僕達なんかどうだってよかったのか?
――ふざけるなよ。ふざけるな……ッッ!!!」
ウシャスの圧が跳ねあがる。
怒りが肌に伝わってくるようだった。
「自分がこういう目に遭う訳じゃないから。他人事だから! そんな楽観的な思考で、こんな仕打ちができる親をどう思う!? 有り得ないよね。そう……有り得ないよ!!
君はいいさ。代わりの親の下に送られて、何不自由なく殺伐とした世界を見ずに過ごす時間があったんだろう。でも僕達は違う! それぞれ暗い世界、それこそ治安の悪い不良共に搾取され、自分の身は自分でしか守れない掃き溜めのような場所に放置された! この差はなんだ!? 才能!? 運!? 違う、違う……違う違う違う違う、違う!! 親だよ、君はあの人の子供だから!! そんなの、認められるわけがないッ!!!
僕達は被害者だァ!! 君達、そして僕達以外の誰かじゃない。僕こそが、僕こそが……!!!」
アレンは、ウシャスに怖い目を向けていた。狂気的な視線、ウシャスはそれに気が付く。
「っ――あはぁ? リーダーじゃないか、久しぶりぃ。こんなところでなにをしているんだい?」
「おい、てめェ誰と話して――」
バロウもようやくその存在に気が付いた。
あ、あいつ――カナリと行った腕相撲大会の時の飲んだくれ……。こいつと知り合い? 仲間なのか?
「聞いてくれよリーダー! こいつ底辺のくせに僕に歯向かってくるんだ。おかしいだろ? 君もそう思うよね。だって君はなにかとミューにつけ狙われていたんだもんね!
そうだ、君も親についてどう思う? ホントにふざけるなって感じだよ。なに自分勝手に僕達の人生決めてんのかって。君だってそう思うよね!」
「……昔となにも変わっていないのな」
「へ? なんて言ったの。聞こえないよ~」
「恨みたいなら勝手に恨めばいいだろ。だが、それを俺に強要すんじゃねェよ。自分が思ってるからって他の連中全員が同じこと思うわけじゃねェんだ」
「……は? じゃ、じゃあ君は恨んでいないっていうのかい!? っ――そうか。君は知っているんだ、僕達が知らないことを! 君もなんだね、君も……君も特別扱いをされていたんだ。あいつの子供だからッ!!」
憤ったウシャスは、標的をアレンへと変える。
しかし、その進行方向を阻むようにバロウが割って入る。するとウシャスも足を止めた。
「なにがどうなってんのかわかんねェけど、てめェの相手は俺だろ!!」
「っ……ああ……そうだった。じゃあ君から先に殺そ♪」
軽快な調子から始まる初動は緩急が鋭く、虚を突かれる形となる。
出し抜けの超低い低姿勢。されど攻撃的な構えは絶えずそこにある。
バロウは拳を振るおうとして躊躇う。
体勢が低すぎる……間に合わねェ!
「ざーんねん、ザァコミュー♪」
足払いを受けるが、空中で体勢を直す。ウシャスの後頭部に踵落とししようとするが、掌が顔面近くに伸びてきた。
「魔力波だよん!」
「っ!」
身体を仰け反って回避しながら空中を後転して着地する。
その間、ウシャスは蛇のようにくねくねとした素早い動きで迫ってくる。
相変わらずの低い姿勢。
ケンタはその動作一つ一つに思い当たる節があった。
「ま、まるでスケートの選手みたいだ……だけど、それ以上に滑らかで速い!」
バロウはウシャスが来るのを待ちながら拳を固く握りしめる。
ずっとてめェには手を焼かされてきた。自由気ままに見えて、そこにはあらゆる計算が乗っかった掴めない言動。
だが、今のてめェは赤ん坊がそのまんま大人になっちまったみたいだぜ。
「――そんなてめェに、俺は負けねェ……ッ!!」
右拳に火が灯ると爆発するように燃え上がる。
ウシャスの両肩から黒くねじ縒れた腕が魔力によって生成される。その腕の先には大きな爪を持った黒光りした手があった。
「その名前と共に、僕の現実から消えろ――バロウォオオオオオッ!!
――《殺人鬼の坩堝》!!!」
「《焔魔撃》!!!」
バロウが拳を突き出す。
ウシャスの肩先にある手と衝突した。
硬い金属のような音が鳴り、バロウの拳が止まる。
「ふはっ♪」
勝利を確信したようにウシャスがけたけたと笑うと、もう一方の手がバロウに襲い掛かろうとした。
その瞬間、バロウの拳が爆発する。ウシャスの生成された腕を粉砕し、そのまま顔面へと行き届く。
ウシャスの目とかち合った。
殺意、または喜び、もしくはその両方がバロウには在るのだと思った。しかし、バロウの赤い瞳はどこか寂し気で、憂さ晴らしをするかのようだった。そのことに気付いたウシャスは疑問に思ったが――
「――へ?」
ダンッ!!!
全身が地面に打ち付けられる。
震える身体、火傷するように熱い肌、折れそうなほどに細く思える骨、痙攣を鳴らす脳と心臓。それらすべての情報が押し寄せる。
だがそれよりも、ウシャスはバロウの表情の理由を考えていた。
脆く欠けていく身体よりも思考全てを掠め取られた。どうしてもその理由を知らなければならない、そう誰かが叫ぶかのように。
ウシャスはいつがしかの記憶を探り、バロウの思考はそれに干渉する。




