306話 重度100%のシチュエーション
暁紅神――セイラの屋敷に忍び込んでファミィに呪いを掛け、ハルフテールにてバロウを操り、右腕を切断。更にはセイラを騙し、ここラルクアンシエル公国に兵器の魔力エネルギーを放つように細工した張本人。
元ゾオラキュールの牙の月神だった――カカシの逆鱗に触れ、戦っていた、はずだった。
膨大な魔力と圧力がラルクアンシエルにまで届いており、壮絶な戦いが繰り広げられていたというのはバロウも知る所だったが。
彼は右手に灰色の髪を掴み、頭から血を流したその少年を持ってきた。先程までとは別人のような姿をして。
顔面左側は皮が剥がれ、見るも無残なものと化していた。髪は血が固まったまま逆立ち、風にあおられてるかのにように浮き上がっている。外套は無く、傷の多い上半身が多くの戦った痕を物がッ立っているが、肩から先の腕が黒い紙を捻じったような異様なものとなっており、その先に大きな黒い鋭い爪のある手がぶら下がっている。
「…………ウシャス、なのか……!?」
異様なまでの変貌に驚嘆の息を漏らす。
血解――デーバがゾオラキュールファングの神達は皆、このパワーアップ手段を使えるようなことを言っていた……。俺との戦闘では見せなかったその厚かましい壁を脱ぎ払ってきたのか。
ウシャスはカカシを放り投げて着地する。今度は物々しい殺意をむき出しにして、バロウと対峙した。
これまではまるでそこにいるようでいないと思えるほど殺意どころか存在感すら皆無だった。だが、今ではそれすら子供騙しだったと吐き捨てるように、圧倒的存在感を殺意のみで満たす彼は、無自覚に民衆に再び焦燥感を煽る。
「まあ――チャンドラは、自滅したようなものだったけれどね。君ももう知るところだろ? 血解は俺達だけに許された神を冒涜する血の変化によって引き起こされる事象そのものだ。凄まじく強力だけれど、それには慣れが必要。天才肌には関係ないのかもしれないけれどね、俺やチャンドラには無理だった。今回、チャンドラは初めてみたいだったし。案の定、数分と持たずに倒れちゃったよ。おかげでこっちはこの姿にまでなったのに、不完全燃焼……どこかに相手してくれる心優しい子はいないかな~?」
「望むところだ!! ――《真紅の閃》!!!」
「ダメだよ」
バロウが真紅のオーラを纏おうと力んだ瞬間、ウシャスは手と指を素早く印を結ぶように動かした。そして、両手の平を合わせパチンと音が鳴る。
すると――紋章の力が弾かれるようにして遮断された。
「なっ……!?」
「今後一切、俺の前で魔法やその神から預かっている力含め、あらゆる事象の伴うものが使えない……ここにいる全員ね。
領域展開――《悪魔王の御手付》》」
公国全体が冷え切ったなにかに包まれ、いっきに辺りが薄暗くなる。
「ほ、ほんとだ……ホプの声が聞こえないし、湧き上がるものがねえ……」
「嘘……どうして……」
「っ……魔法も本当に使えないのですね……」
彼の言い放った一言を確認したケンタ、ロゼ、カナリが眉を顰める。
魔力すら感じられなくなってしまったこの空間は異様で、カナリはよろめいた。普段から魔力を絶えず体中に満たしていたカナリにとって、魔力とは自身の生活における一種の感覚となっていた。それが消えたことで、立っていることも辛く、頭を押さえる。ティラにしなだれかかり、顔が青ざめる。
アミスとシンセリードも同様で、震える手からはなにも感じられず、アミスは舌打ちする。
ウシャスは埃を払うようにして手をぱんっぱんっと叩く。
「さあて――君が遊んでくれるってことで、いいんだよねえ?」
バロウを睨むウシャスの口角がつり上がる。
泥沼に沈み込むかのような錯覚を見た。幻ではなく、バロウが思い描いた現状のイメージだった。
ウシャスが動き出すのを感覚で捉える。しかし、体が思うように動かない。紋章の力が伴わないことで、運動能力が激しく低下していた。それはまるで勇者を解雇された時と同じ感覚であり、心臓が縮こまった。
肩をウシャスの指に貫かれる。
血が飛び散る中、横目にウシャスと目が合った。ギロリと睨み付けるウシャスの瞳は、獲物を狩る獣のようで、バロウは思う。
背中を蹴られ、地面を転がる。
ああ……思い出した。こうなるんじゃないかって、ずっと怖かった。
背後から魔王軍が、アミス達が、誰かが、俺を追って殺しに来るんじゃないかって不安で不安でたまらなかった。あの時見ていた錯覚を、今になって現実にされちまうなんてな……。
力を失った時、俺は絶望した。紋章の力が無ければ、俺にはなにもできない。メノアを守るとかいきっていたくせに、力を失えば俺の方がメノアを頼ってた。情けない自分が恥ずかしかったけれど、孤独になる方が嫌だった。絶えず自分の周りをなにかで覆いたかったんだ。隠れたかった。なにからも見つからないようにって……。だけど、そんなことできないって分かった。戦わなければ、隠れていたって大切な人を失うだけだって分かったんだ!
「ああ、てめェの相手はこの俺だ!!!」
逃げねェ! もう後ろは振り返らない。前に進む。じゃなけりゃ、俺がここに戻ってきた意味がねェだろうが!!!
バロウは立ち上がり、拳を握った。
「やっぱり威勢がいいね君は。それが勇者の資質ってやつなのかな? ならどっちみち俺には無理だったってことか。まあ今更興味もないけど、粋がるだけでなんの足しにもならないってことを分かっていないのかなァ!!」
バロウとウシャスが同時に地面を蹴った。
紋章の力の無いバロウは、ウシャスよりも遅い。自分の想像より景色が遅く移動するのにまだ慣れていないようだった。
先に到着したウシャス、それに合わせてバロウは拳を振り抜くが、その時にはもうバロウの腹にウシャスの大きな拳がめり込んでいた。
「ぐふっつ゛!!」
軽々と後方数十メートルを飛ぶバロウ。それを追撃するウシャスによって、雨のように降る攻撃を浴びせられる。
全方位から反撃することのできない素早い攻撃と移動。バロウは防御に徹するしかなかった。
すると、バロウとの間に割って入る者がいた。
バロウ達の中で一番の速力と機動力を初めから兼ね備えていた人物――。
それは彼女の他にいなかった。
ウシャスの拳に対し、胸の前でクロスした腕で受け止める小さな体。不意を突かれたが、反撃することのない彼女に距離を取る。
「なんだ?」
バロウは、目の前で自分と同じような格好で佇む少女の背中を見る。華奢でどうしようもなく直ぐに折れてしまいそうな小さな体に安堵する。
そうだった……諦めないと決めた時、いつもお前が俺を支えてくれた。俺は、お前は、互いの為に在る。
彼女――ポロは風圧で切れた唇を拭い、勇ましく構える。
「もうマスターには手を出させません! ポロが相手をするのです!!」
「はあん? なんだい、この小動物……君の子供かなにかかな? 父親が不甲斐無くて出てきちゃったのかな? どきなよ、そいつは俺の相手は自分だって大見栄張ったんだからね」
「魔法が無くても、紋章が無くても、ポロはポロなのです! あなたの好き勝手にはさせないのですっ!!」
出し抜けにポロの頭突きがウシャスの胸を押し出した。
初速の素早さが凄まじく、咄嗟に対応することのできなかったウシャスは、吹き飛ばされる。
体を宙で回転させ、体勢を立て直した。
「くっ……なんだこいつは!? 魔法は使えないはず。どうやってそれほどまで……まさか、人間じゃないのか!?」
「マスターはポロが守るのです!!」
「ただのバカだろ。どきなよ、俺のお遊びの邪魔をするなッ!!」
ウシャスの鋭い爪がポロへと向けられる。下から空気を抉るように楕円を描いて頭へと進んだ。




