303話 プリンセスの決断 ~何者にも負けぬ覚悟~
バロウは駆けだそうと起き上がるが、ナーガが見せつけるように八人へ向けて手を翳すことで足を止める。
焦燥に塗れた表情で、脅すように叫ぶ。
「っ……俺をやればいいだろうが!!」
「何度も言わせるな。お前は俺がなにをしようが、なにもできない、しちゃあいけないんだよ。じゃねーと、お前のお仲間がこれだけじゃ済まなくなる」
「ふっ、フフフフ……」
ロゼが苦しいのを押し殺すような表情で笑っていた。
「ほら、バロウ。お前の仲間が体に穴開けられておかしくなってんぞ」
「バカね、アンタ。わたしは、アンタがバカだから笑ってんのよ」
「……はあ? 誰が、なんだと?」
「だってそうじゃない。バロウに勝てないからってわたし達を使って、自分が弱いって自覚しているようなものでしょ」
「当然なのです。マスターがあなたのような弱虫に勝つのに、片手のみで十分なのです!」
「そいつはもう無意味な問題だな。力の上下を決めようとして、拒んだのはバロウの方なんだぜ? なあ、バロウ」
「くっ……」
ああそうだ……。ナーガくらいなら問題じゃないとデーバを優先し、長引かせた結果だ。まさか仲間が捕らえられていただなんて……。
「……まさかバロウ……」
「あいつはそういう奴だってわかってんだろ。偽善勇者の偽善事業に、ウチ等は巻き込まれなくちゃならないのさ」
「ヴィスカ!」
バロウが手出しできなかった理由を直ぐに察した八人は、ナーガを睨み付けるだけで言葉を失くす。
ナーガはやれやれ、と手を仰いだ。
「まあ、本気でやったところで、今の俺の方が強いことを証明するだけだが。今は復讐という御遊びに興じようじゃねえか」
バロウへ近づくナーガは、手出しできないのをいいことに彼の体を再び痛みつける。
腹部、顔面、肘、膝、胸と至る箇所を殴り続け、末には足を掴み、地面に叩きつける。
鈍痛が生じ、嗚咽を漏らす。脳内で後悔と苦痛の連鎖を噛み締める。
「クハハハハハハ!! 見ろ、見ろ、見ろォ!! これがお前等が縋ってる、勇者という名の化けの皮を剥がされた臆病者の真の姿だ!! 身勝手に周囲の人間に希望を与えたかと思えば、それを裏切り、自分勝手な正義を振りまく利己的な加害者に他ならないッ!!」
狂気的な殺意が振り下ろされる中、絶えずザイファとポロはやめるよう訴えた。
「やめてください! ポロが! 代わりにポロがこの身で受けるのです! マスターをこれ以上痛みつけるのはやめてくださいっ!!」
「あなた本当に許さないわよ! わたしの弟君に手を出したことを地獄の底で後悔させてやるんだから!!」
「ギャーギャーピーピーうるせえぞ! お前等を痛みつけるのは後に回してやってんだろ、感謝しながらあの世行きのその時まで静かに待ってやがれ」
民衆の目にバロウの情けない土下座した姿が映り、絶望を煽られれる。
すると――一人一人から黒い靄のようなものが現れ、ナーガへと吸い寄せられるように飛んだ。
「お前が俺に教えてくれたんだバロウ。復讐心こそが、怨念こそが、俺の力の源だ。お前等が俺を恨めば恨むほどに俺は大きく力を付けることができる。これが、俺の領域――。
限定領域展開――《怨差渦巻く祭壇》」
体から出る黒い靄を吸い取られた者達は気を絶って崩れ倒れた。
ナーガは自身の上着を引き千切り、黒い靄が入っていく体の増幅を肌と目で感じる。
ハリネズミのように刺々しい髪が更に刺々しく。体中に拘束するかのような黒い線が入り乱れて浮き上がり、獣に似た赤い眼光が暗闇の中でギロリと開いた。
腰からは竜の鱗を持った尾が生えだし、爪が鋭利に伸び、頭からは角が、背中からは黒い翼、牙はギザギザとしてガシンと重ねられる。
「――俺が、魔王を除いてこの世で最も恐ろしく強い、最強の竜様だッッ!!!」
ナーガは瞬く間にバロウの下へと移動し、腹を蹴り上げた。
内蔵物が吐出し、宙を舞うバロウ。
地面に落ちると、横になって動かない。ただ顔だけをナーガの奥にいる八人の方へと向けていた。
…………八人……八人か。二人ならギリギリ……でも八人は無理だ、間に合わねェ。せめてもう一人、俺以上に速い奴がいれば。
――そう、お前さえいれば……俺よりも格段に速く、それでいて乱れない魔力コントロールができる、デーバ……お前が……!! デーバ……!!
「クハハハハハハ!!! この前の雪辱、今この時を以て晴らす。簡単に死ぬんじゃねーぞ、俺の玩具になってもらうんだからよォ!!」
「そんなに俺をいじめてェんなら、勝手にしろよ。だが、あいつ等は解放しろッ!」
「どの口が言ってんだクソがッ! お前が俺に命令する権利なんかあるわけねえだろうが!!」
ナーガはバロウの顔面を殴った。殴った方向に向く顔が戻って直ぐに逆の手で殴る。バロウの鋭い眼光を消すように何度も、徐々に速くなっていく。
「クハハハハハハ、ハハハハハ! この時を待っていた……この時を! 俺が、お前を滅多打ちにするこの光景を心から待ち侘びたァ!!」
背中に踵落としする。
地面に罅が入り、砕かれると同時にバロウから声ともならない悲鳴が漏れた。
「クハハハハハハ! いいぞ、もっとだ、もっと――俺はこの時の為に地獄から舞い戻ってきたんだからよォッ!!!」
「うわぁあああああああああああああ!!!!」
焦燥煽られたケンタが見ていられずに出ようとするが、冷静な眼差しをしたタナテルによって止められる。
「なんだよ! このままじゃ――」
「ポロ達を殺すつもりか!? 相手は一人じゃないんだぞ!!」
「っ――けどよ、けどよ……っ!」
拳に力が入って頭に血の上ったケンタでは、どの道状況を打開する事はできないと悟っていた。
ケンタじゃ無理だ。少なくともボロボロのままのケンタじゃ……。回復魔法で身体は癒えても、魔力は枯渇し、冷静でもない。勢いだけでどうにかなる問題じゃないんだ。
終始状況の打開を模索し続けてきたタナテルには考えがあった。
「……おれがなんとかする」
「お前が!? どうやって……」
「おれがエルフのプリンスなのを忘れたのか? エルフになら食いつくはずだ……あいつは元々エルフ狩りをしていて、プリンスの血ともなれば放っておけないはず」
「い、いや、それって……」
「身代わりに行くつもりか!?」
アレンが驚愕しながら訊ねると、タナテルは薄ら笑いを浮かべるだけだった。
振り返るといつの間にか傍にいたマンカシャオが、切ない眼差しで見つめ返してきた。身を案じる彼女に、一瞬の戸惑いを見せるも、なにも言わずにいてくれることに感謝する。
「あとは頼むな、シャオ」
「……はい」
神妙な答えを受け、タナテルは壁を乗り越えて一人、更地の中を歩き始める。
「おい、本気なのか!?」
「自殺行為だ……いいのかいキミは!? 彼女はエルフのプリンスなんだろう。護衛なのであれば、むしろ止めるのが――」
「無駄ですよ、ユリン様はもう足を止めることをやめたんです。
サーナタンに魔王軍幹部が攻め込んできた時、ユリン様はご自身の予知能力で絶望的な未来を目の当たりにしたそうです。全員が死ぬ運命のはずでしたが、それは現実の未来とはならなかった……未来が変わったんです。いえ、変えたと言っていいのでしょう。それが誰が、どうやって、とまでは分かりませんが、大切だったのは諦めなかったこと。未来を見て、そこで諦めていたらここに彼女はいなかった。ユリン様は一度諦めようとしましたが、バロウ様に言われたそうです」
『お前はここまで自分で見た未来を変えに来たんだろ? なら、この先の未来もこれから変えていけばいいんじゃないか』
「それが、彼女の勇気の灯を復活させることになりました。それからはもう折れない、と。もしどれだけの困難が待ち受けていようとも、自分がなんとかしてみせると言ってのけました。ですから今回も、必ずどうにかしてみせると思っているはずです。かつての彼のように――」
「ああ。たくっ、バロウに似て面倒な性格してんだあいつは……! クソ、俺にはなにもできないってのか!?」




