204話 懇意なカナリを見たい
アルティナ大図書館へ戻ると、カナリは仕事を再開した。まるで今までの外出が休憩だったかのように別のスイッチが入った。
顔には出ていないが、俺はなんとなくカナリが焦っているように感じる。というのも、図書館の整備を手伝っていたリージュとデニスまでもがカナリの手伝いの為にこちらへ降りてきているのだ。集中力も凄まじい。まるで俺たちがいることを気付いていないかのように数時間口を開けず、なにも口にせず、紙と机にのめり込んだ。
そうしている間に外は暗くなっていき、俺も部屋の端でうとうとまどろんでしまう時間になっていた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
体を揺らされたかと思えば、メノアが困った顔をして中腰で見下ろしていた。
「もう……こんな所で寝ちゃったら風邪ひくよ?」
「ん……あ、ああ……」
あくびをしながら立ち上がると、カナリがまだ作業しているのを見つける。
「わたし、一度ホテルに戻るね。ロゼとヴィスカさんを二人だけにしてきちゃったし、ちゃんとご飯食べているか気になるから」
メノアもリージュ達と一緒に仕事の手伝いをしていた。俺だけ資料の出し入れという簡単な仕事しかしていないだけに申し訳ない。
しかし流石はメノアだ。あれだけ忙しくしていたというのに疲れたの一言もなくロゼ達の世話をやきに行くというのだから。働き者だ。
「俺はまだここに残るよ。ティラに任されているしな」
「カナリちゃん凄いね。休むことなくずっとああやって……何度も休んだ方がいいって言ったんだけど、聞く耳もたないって感じだよ。
お兄ちゃん、ちゃんと見てなきゃダメだよ? 今はお兄ちゃんしかいないんだからね!」
「わかってる。
そういえば、リージュ達はどうしたんだ?」
「昨日も遅くまで残ってたってカナリちゃんが帰らせたよ。でも、まだ何人かは残ってるかも。ここの責任者のカナリちゃんがまだ仕事しているから帰るのが申し訳ないんじゃないかな?」
「皆仕事熱心だな。俺はまったくできる気がしないよ」
「最近はまだマシになったのかもしれないけど、お兄ちゃんはこういう細かい事はからっきしだからね……。もう少し色々と目を向けた方が外聞も得られるし、いい機会だよ?」
「手厳しいな……」
「じゃあわたし行くから」
「おう、そっちもヴィスカも頼むぜ」
「はーい!」
メノアは「じゃね」と簡単に手を振ると、笑顔で部屋を出て行った。
こういう時、メノアがいてくれると凄く頼りになる。あいつが俺の妹で本当によかったと思わされるよ。
「カナリ」
俺は向かい合うようにしてカナリの前に立った。すると、カナリは朧げな目をこちらに向けてきた。酷く疲れているようなのにそうとは見せぬよう威圧している。しかし、その手がまだ止まっていないのは凄まじい効率厨だと呆れてしまう。
「そろそろ休め。お前、昼から全然休んでないだろ」
「そういうわけにはいかないのですね。この三カ月、自分の役割を疎かにしたツケはどこかで払わなくちゃいけない。それが今なのですね……!」
「お前、俺が気付いていないとでも思ってんのか? 一週間という期間で終わらせる為に保留にした国王代理問題以外の仕事を超特急で終わらせようとしているだろ」
「……」
図星をつけたらしい。カナリはやっとのこと手を止めてくれた。
「お前が言うように3カ月というツケはデカすぎた。いくらカナリと言えど、3カ月分の仕事を1週間で終わらせるなんてのは無理だろ。今はアルティナ隊の一部を外に出している状態だし、負担が大きすぎる。これじゃあ絶対に無理、それをわかってて諦めきれないって感じだ……」
「でも、わたしにしかできないことなのですね! 邪魔する暇があるなら、もう帰って結構!」
「バーカ!」
「いたっ……???」
俺は、カナリの額に軽くチョップを下ろした。
涙目になりながらも額を押さえて見上げてきた瞳は光りを取り戻している。
「無理なら無理って言えばいいじゃねえか! なに自分一人で済ませようみたいな雰囲気出してんだ!? きついならきついって言えよ!
そうでなくてもお前は何考えてんのかよくわからないんだ。ちゃんと小さくてもいいから言葉にしてもらわなくちゃ困ってんのか喜んでんのか気付けねえんだよ!」
「…………」
「俺はまだ、お前にとって悩みも葛藤も打ち明けることができないほど離れたところにいんのか? 俺はカナリにとって声を出す気にもなれないほど遠くに居んのか!?
俺は――俺は、カナリのこともっと知りたい。思っていることも、どうしたいのかも、どうして欲しいのかも……対話してもっとお互いのこと知っていけたらちゃんと助け合えるって思ってる。じゃなきゃ俺は、どうやってお前を助ければいいのか判らないんだ……!
助けたい奴を助けられずに置いてきぼりにするのは、もう二度とごめんなんだ……。カナリ、俺にお前を助けさせてくれないか?」
「……………………――無理。
1週間じゃあどうやっても間に合わない。最悪、わたしを置いていくことも視野に入れて欲しいので――」
「はは!」
俺はカナリの頭を撫でた。そっぽを向いて悔しそうに吐露してはいるが。
れっきとした言葉で、対話で、カナリが俺に本音を言ってくれたことが嬉しい。最初はずっと拒絶ばかりで、俺に何かを伝えることを嫌悪していたあのカナリが、不安と素直さを表してくれたのだ。笑ってしまうのも許して欲しい。
「にゃ、にゃにをするのですね!!?」
顔を真っ赤にして耳を垂れ下げる。恥ずかしいのか耳まで赤く染めているのはちょっとおもしろかった。
「ちゃんと言ってくれてありがとな! 嬉しいぜ!」
「……言えと言われれば…………隠すつもりもないのですね……」
「よしっ、決めた! 発つのを1週間遅らせる!!」
「へ!?」
「俺が決めた期間で無理をさせるなんてバカげてる。そんなもん遅らせたってかまいやしねえよ! その分準備もしやくすくなるだろうし、最初から1週間だなんて期間は破綻してたんだ。
悪かった。無理させっちまったのは、俺のせいだったな。もしもう1週間でも足りなければ更に1週間追加すればいい、焦る必要なんてきっとないさ」
「で、でも……ポロとか……」
「あいつなら大丈夫。カナリだってそう思うだろ? ちょっと再会の日付がずれるくらいなんでもない。それにここに居る間にひょっこり顔を出すかもしれないしな!」
「いいの? 本当にそれで……」
「当たり前だろ! 俺たちにはお前が必要なんだ。置いていくなんて選択肢は初めから有り得ないし、心置きなくここを出て貰わねーと今後の旅に支障をきたしかねない。そんなのは誰の望むところでもない。
改めて言うぜカナリ。俺に、俺たちに遠慮なんかするな! 自分のやりたいこと、やって欲しいことを言うのは何も言わないよりも信頼されてるって感じられる事なんだ。自分の中で解決案模索するより皆で探した方が賢明だろ!
まっ、俺はカナリほどの頭は持ってないからそこは許して欲しいけどな!」
「…………やっぱりあなたは昔からなにも変わっていないのですね」
「なんだそれ、褒めてるつもりか?」
「昔からどれだけ壁を作っても関係ないみたいに突き破ってくるバロウのそういう所、わたしは好き」
「…………お、おう……」
やっべえ……不意に言われてドキドキしちまった……。
そういう意味じゃないとわかっていても彼女の澄んだ瞳が綺麗で、そう惑わせられたのかもしれない。
「じゃあ早速頼み事があるのですね」
「ん、なんだ?」
「おんぶ!」
「あはは……」
苦笑を靡かせ、俺たちはこの日の仕事を終わりにさせた。俺は、まだ続いたのだが。
カナリの世話ということで風呂に入れたり、飯を運んだり、寝かせたり。ティラがいつもやっていると言うので言う通りにしたが、あいつもアルティナ隊のリーダーやりながら世話をするのは相当大変だろうと思った。
◇◇◇
スリット王国の貴族達は、カナリの国王代理退任を聞きつけて集会を開いた。
王城の一階にあるフロアに貴族達は集まっていた。縦長のテーブルを囲み、重苦しい面持ちを並べている。
スリット王国は、国王が失踪してからカナリに多くの負担をかけていた。それは貴族達の仕事の重さを軽くするには充分な量と質であり、カナリがスリット王国から消えるということはその穴埋めを他でしなければいけない事を意味する。
この国には今、王族がいない。それが故の混乱も全てカナリが収めていたのもあり、貴族達には自分達をまとめる中核がいなかった。公爵や侯爵はいるが、実際に議会の中心を担っていたのは一度は一線を引いたシニア世代。それももうこの八年で続々と亡くなり、スリット王国は表面とは裏腹に薄氷の上であった。そのツケが今、訪れたのだった。
「う〰〰む…………」
眉間に皴を寄せて唸り声をあげる者達。それが今の貴族の有様である。
「今、アルティナ様に抜けられるのは厳しい……」
「この3カ月もアルティナ様の不在で遅延させていた貿易も数知れない。現在進行形でその遅れも進められてはいるが――我々だけでは回せない契約数だ」
「こうなったのはそもそも国王捜索隊が一向に成果をあげられていないからだ! しかも国王不在を公言せずにここまで上場にしてきたがゆえに、他国との交流が増え国としての業務を増加させてしまった!!」
「いいや……根底を言うなれば、王が自国の政治を放棄したことが最大の問題だ。それ以降、貴族のやる気も損なわれた。先代代理のアルティナ様が救ってくれなければ、この国は既に崩壊していただろう」
「代理契約では、いつでもやめていい事とある。いつか来るであろう時が今来てしまったということだな。
獣人は我々人族と比べて長寿。いつかの想定を長く見積もって対応策を先送りにしていたこちら側にも非がある」
「その通りだな。再び国王代理を立てはするが、これまでとはやはり違うことになるだろう。アルティナ様方は、我々の想像よりも遥かにできたお方達だったということだな」
「私の見立てでは、あと数年で王国は崩壊するだろう。アルティナ様は我々貴族が持つはずの仕事の大半も担っていたがゆえに、貴族全ての日常が圧迫され処理しきれない事業を落とすしかなくなってしまう。それが肥大化していくにつれ、過疎化が始まり民の減少が加速してしまうだろう」
「…………」
現実と向き合い、後悔と共に未来を見据えなければならない。その未来を見つめる度に憂鬱になっていく者達の中で一人、手を上げた。
「ならば、やる事は一つしかないのでは?」
注目を集める金髪をオールバックをした壮年の男。ニヤリと口角をあげたかと思えば、突拍子もない提案をこの場に投げかけた。
「アルティナ様を出て行かせない状況を作ればよいのです!」
「ふん、なにを異端なことを……」
「それができれば苦労しないわ!」
「なあに、簡単な事でしょう。アルティナ様が国を出る最大の要因となっている勇者バロウ・テラネイアを抹殺することです!!」
「な、なにをバカな!! 我々の手を血に染めようというのか!!」
「貴族として有るまじき醜悪だ!!」
「失礼ですが、もはやこれ以上に国を保つ方策があると断言できる者はおられますか?」
「…………」
「……しかし…………」
「そもそも勇者を殺すなど、強制的にアルティナ様を止めるよりも不可能な事だろう! 端から破綻して――」
「方法ならお任せを。私の方で準備致しましょう!」
「ふん、バカバカしい。夢物語で我々が動くとお思いか?」
「いやなに、たとえ彼が亡くなったとしてアルティナ様がこの国に留まることになったあかつきにはこの私めを栄進させて頂ければこれ以上ない褒美だということをお報せしておこうかと」
夢物語と話半分に訊いた者がほとんど。しかし、そうなってくれればこれ以上ないということもまた確信していた。それがゆえにこれ以上皆は反論を述べることを放棄した。




