145話 恨み拳
境界の森の中にある他の木々と比べ二回りほど大きい大樹の側面に何かをぶつけたような痕が残っていた。
そして、その大樹に持たれかけるようにして楽に座り込む者がいた。
目先より現れ歩いてくる青年を見てニヤリと笑う上裸で赤黒い汗で濡れた長髪を垂れさせた男。
エルフ狩りという暴挙をことごとく成功させ、【ゾオラキュールの牙】という組織で竜の名を持った男。
果てにその者を追撃するべく立ったのはバロウ・テラネイア。
勇者として魔王軍と戦い実績も挙げて来たものの、その過去には義理の親を殺されており、
その犯人の片割れこそ、目の前に堂々と座り不気味な舌なめずりをしている男だった。
バロウは、冷静にも憎悪を秘めながら情報を訊きだす為に口を開く。
「もう一人はどこだ……?」
「あん?」
「――あの日のッ! あの時いた――もう一人の仮面の男!
俺達を崩壊させたあの日! もう一人! お前以外に組織の野郎がいただろうがッ!!」
と思ったのも束の間であり、ナーガの声を聞いた途端に冷静さを欠き、体を揺らし拳を握り締め、紋章のものではない赤黒いオーラを目に見える形で放出する。
「あ〰〰〰〰今ので繋がったわ。
テラネイア家――数年前、七つの秘宝を隠し持っているっつー噂があって探しに行った男爵家だったか?」
ナーガは立ち上がり、首を音を鳴らしながら傾け、また肩を鳴らしながら腕を回す。
「十年前だ」
「もうそんなに経つか。
じゃあお前が言っているのは烏のことだなぁ……。
あいつは、その数年後に剣聖野郎に殺されたぜ? そん時は、俺は別任務でなぁ……いつの間にか死んでた」
「――そうか。アイツが……。
けど良かった…………お前は生きていてくれた」
「良かった? 頭大丈夫か?
俺がいるせいでここは殺戮現場になることが決定付けられてんだぜ?
良かったっつーのは見当違いなんじゃねーか?」
「ああ……さっきのフラウやエルゼルダのことを言ってんのか? 心配する必要はねーよ。こっちにはもの凄い回復術を持つ奴がいるからな。
それより、俺が言ってんのは――お前が生きていてくれたおかげで俺の復讐もやっと終わりに近づいたみたいで喜でるってことさ」
「それこそ頭が逝ってるねぇ。
俺は、誰にも殺されない。殺されていない。
俺は、ゾオラキュールファング設立以前からの古参でね。その前の【ゾオラキュールの頭】からいんのよ。
あれからずっと度重なる強者と戦ったことがあるが――俺を殺せた者は誰一人いやしない」
穏やかな笑みをするバロウに対しナーガは不気味な笑みを零した。
◇◇◇
「おかしい……」
「何がおかしいんだ!?」
アモーラとタナテルは、限変の大樹内にある暗い一室に閉じこもっていた。
暗い中でも中央の台座の上に置かれた翡翠色の水晶が光っており、その内部には現在戦っている者達の戦況が窺えた。
アモーラもそれで各々の戦いを見守っていたが、バロウの目の前に立ちはだかるナーガを見て神妙な面持ちとなる。
「確かにこの者は【ゾオラキュールの頭】時代からいましたが……」
「そんなの当たり前なんじゃねーか? ただ組織の名前が変わっただけなんだろ?」
「いいえ……ゾオラキュールの頭が活動できなくなったのはもう八十年以上も前、もしかしたらもっと前の話です。
なのに、この者は容姿も変わらず生き続けている。
百年やそこらが寿命という人族にとって、それは有り得ない。
――もしかして!」
「え? ん? え?」
アモーラは何か心当たりがあるように水晶を食い入るように見始めたが、タナテルはそれを理解できずに終始眉を狭めながら首を傾げていた。
◇◇◇
「もういい…………もういい。お前の戯言を聞くのはもうたくさんだ。
俺はただ――親の仇を撃てればそれでいい」
「俺を殺すことはできねェって言ってんだろッ!」
ナーガは背中から生えた蛇が銜えて来た大鎌を手に持ち、空中に飛び出たかと思うと全身から蛇を生やしバロウへと斬り掛かって行った。
「蛇蛇帯纏!!
ハァ――ッ!!」
ナーガから出る蛇は宙を自由自在に蠢き、先端の頭部は目を光らせ一斉にバロウへと襲い掛かっていく。
バロウはこれを二歩下がるだけで躱し、狂気増した嘲笑を浮かべるナーガと目を合わせていた。
「人間に恨まれるのもまた一興! 来い! 俺を楽しませろッ!!」
続けてもの凄い速さで大鎌を振るいバロウを脅かそうとする。
しかしバロウは、冷静さを欠いている様子ではなかったが徐々に鎌を食らい始めていた。
体にこそ傷は入らないが、服は縦の切り傷で一杯となっていった。
「どうした、どうした!? 怖気づいて何もできねーか!!
俺に復讐しにきたとは言ったものの、ただ言ってみただけで自分は何もできない臆病者かぁ!!?
やる気がねーんだったら、端っから俺の前に出て来るんじゃねぇッ! この戦う気のない弱カスがッ!!」
パァ――ン!!
その瞬間、ナーガの大鎌が吹き飛ばされ、後方の木に突き刺さった。
「ああ……悪い。
ちょっとぼうっとしちまってた……」
「フハハハハハ! 噛み付け! 蛇共ォ!!」
ナーガより生える蛇の頭が一斉にバロウの体へと噛みつく。
「こいつらの牙からは毒が出る!
この毒は俺のオリジナル、治すには時間が掛かっから無理だ!
ソッコー全身が麻痺し体が動かなくなるとその数秒後に倒れ、震えながらに俺の顔を見上げながら絶望を感じて死に至るっつー揃物だ……お前ももう終わりだなッ!!」
「鎌が無くなったら毒か。
プライドの欠片もねェクソ野郎だな」
「――何?
強がるなよ! 今この瞬間、お前の死に様は決定したんだ!!
ッ――!!?」
ナーガの笑みが消えた瞬間、ナーガの顔面が酷く歪んだ。
バロウの拳がめりめりと音を立ててめり込み、片目でバロウの素顔を初めて見ることとなる。
血の混じった涎を吐き出しながらナーガは再び背中を大樹にぶつけられる。
なんとか着地し、口元を拭い自分の血を見て驚いた様子でバロウを見た。
嘘だろ……なぜ動ける?
俺の毒を大量に身体にぶち込んだはずだ、なんで今のような威力を出せる?
毒なら確実に体内にある。
もう倒れてもおかしくない時間……。
もう死んでもおかしくない時間……。
なぜコイツはまだ俺の前に立っているんだッ!!?
「だが――安心したぜ。そんくらいのクソ野郎で。
おかげで俺は……俺はッ!!
てめェを殺すことに何のためらいもなくやれるからなッ!!」
怨念ひしめくバロウの色にそこらじゅうが染まっていった。
まるで、この場所に誰も踏み入れるな、とでも言いたいようにバロウの怒りの闘気が周辺一帯を包み込む。
「フハハハハハ! 俺を殺せるものか若造がッ!!
領域展開――」
ナーガは両手を合わせ領域魔法を展開しようとしたが、それは一時の光も見せず拒絶されてしまった。
「――なぜ!?」
「てめェは、売ってはいけない喧嘩を売っちまった……。
てめェは、傷付けちゃいけねェ人達を傷付けちまった……。
てめェは、きちゃいけねェ場所に来ちまった……。
ここがてめェの墓場だ蛇クソ野郎……ッ!!」
「ハッ! 笑わせるなッ!
領域魔法など無くても――」
腰を落としたバロウの右拳が空気を下から抉るように捻じり放たれる。
ナーガの胸に直撃した拳は、そのまま大樹へと体を運ぶとナーガの背中が当たった衝撃で――ビキッ、ビキッ、ビキッ、と音を立て大樹にヒビを入れるとそのまま粉砕した。
「うるせェ…………。
うるせェ――――ッ!!!
背後では大樹が壊れれ、瓦礫のように上から残骸が降ってくる中で吐血するナーガを追うようにバロウの拳は再び放たれる。
左拳が同じ胸を捉えると、残骸の先を穿ちながら運び、続けてバロウの右拳がナーガの顔を、左拳が腹を、
今まで内に秘めていた何か全てを吐き出すようにバロウはナーガを殴り続けた。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
もはやバロウの形相は人間のそれではなく、別の何かだった。
涙が零れ、溢れる怒りの吐き出し口として全てを出し尽くそうとしていた。
その拳一発一発にバロウの魔力が吐き出され、遥か遠くまで気付けるほどに上空まで昇っていた。
◇◇◇
今回の作戦、メノアはエルフの里の屋外の一角に設けた治療場で薬作りに励んでいた。
これは、バロウによるアモーラへの命だった。
メノアが今回の作戦指揮の天秤を握るアモーラの言うことに反発できないことを見越して。
メノアは軽症者の魔法を使わずとも済む戦士の手当を行っていたが、その最中に感じることとなる。
それがバロウの憎悪の波動だった。
一時、突風のように吹き荒れるそれに揉まれ、収まったところで驚きを禁じ得ないようだった。
「これは……!」
「何、今の……」
「きっと戦場からだわ。相当な戦いを強いられているようね……」
周囲のエルフたちもそれに悪寒を感じずにはいられず、震えていた。
今のはお兄ちゃんの……。
それだけじゃない。まるで、師匠が抑えた時の勝利飢餓状態のような……嫌な感じ。
「すみません、オコノイさん!」
「え?」
メノアは一緒に軽症者の手当を行っていたぽっちゃりとしたエルフの一人に呼び掛ける。
「わたし、行かなくてはいけない場所ができました。
暫く、ここをお願いします!」
「あ……任せんさい! こんなんあたしがいりゃあ十分よ!」
メノアの真剣な表情に快く受け入れるオコノイはふくよかな胸を叩いて了承する。
メノアは感謝するように微笑み、お辞儀をしてその場を後にした。
「コウちゃん!」
「ウォンッ!」
メノアの足元を掛ける小さな紅狼がいた。
メノアの呼び掛けに応えるように返事をすると、すぐさま爆発するような赤い炎を纏い膨れ上がって出て来たかと思えば紅狼が大きくなっていた。
足には赤い焔を帯び、背中には鬣が、目は鋭くなる。
嫌な予感がする……。
早く行かないと、取り返しのつかないことになってしまうようなそんな感じがする。
◇◇◇
数刻前――。
最後の会議の後にわたしはお兄ちゃんに呼ばれて二人だけで話すことになった。
限変の大樹の窓際の廊下に立ち、口を開くのを待つ。
「メノア……俺、戦うから」
「……知ってるよ」
改めて言われてもわたしは愛想笑いで言う。
お兄ちゃんを止められないことは判っていた。
けれど、いくら強くなって敵に勝てたとしても、無事で帰ってくるとは思えなかった。嫌な予感はずっとあった。
目前になって不安が膨れてしまったんだ。
あの事を消したい思いもあったけれど、それをもう表に出すことはやめた。
「お兄ちゃんは、頑固だから。わたしが説得したくてもできないってわかってたよ。
今更みんなに自分は無理だってことも言えないし、元々そんな気がないのも知ってた」
「――お前がそれを言うかよ……」
「わたしは大丈夫だから――」
言い切る前にわたしはお兄ちゃんに抱き寄せられ、熱が蘇るように顔が赤くなる。
「……どうしたの?」
「俺には、俺にだけは隠さなくていい。
本当は行って欲しくないんだろ。他の奴等のことも心配だけど、兄貴を失うかもしれないから怖いんだろ?」
「――ごめん……お兄ちゃん……。
わたしがもっと強かったら……お兄ちゃんを助けてあげられるのに……!
お兄ちゃんを一人で行かせなくて済むのに……」
この時にはもうわたしは前線に立たないことは決まっていて、お兄ちゃんの肩で泣きながら謝った。
サーナタンでゾオラキュールの牙と戦って、負けて、一番成長しなかったわたしが取り残されるのは判っていたけど、それが何より悔しかった。
本当は、お兄ちゃんが戦場に行くことじゃない。
わたしがお兄ちゃんに付いていけないことが嫌なんだ。
「……俺は、お前が付いてこなくて安心してんだ」
「それは、わたしが弱いからでしょ! わたしが強くないから!
わたしが強ければお兄ちゃんが不安になることもない。わたしが…………!」
「メノアが強くても強くなくても、どっちでも俺はお前を戦場に立たせたくないって思うよ。
だって、メノアは俺の妹だから。妹が戦うところなんて、本当は見たくないんだ。
俺がこんなんじゃなきゃメノアが冒険者になることなんてなかった。
俺は、メノアに普通の生活をしていて欲しかったんだ。だから、謝るのは俺の方だ。
ごめんな、メノア……」
「…………そんなの、ズルい……」
より一層涙が溢れてしまった。
お兄ちゃんの想いが知れたこと、その想い自体が嬉しかった。
わたしのせいじゃないって言ってくれたことに救われた。
お兄ちゃんはわたしを放すと目を合わせて微笑みながら話し始める。
「メノアはいつも俺を助けてくれた。それだけで十分なんだ。
俺に兄貴として、皆の期待としても戦わせてくれないか。
もう後悔しても遅いから、これからはメノアの誇れる兄貴でいたいから戦うよ。
もう前の俺じゃない、本当の意味でメノアの為に絶対生きて胸張って帰ってくるから」
「――仕方ないな。こんなに面とみて言われたんじゃ断れないよ」
こうして、わたしとお兄ちゃんは元の兄妹に戻った。
その後、お兄ちゃんはコウちゃん――ロゼを助ける為にお兄ちゃんが召喚したらしい紅狼を残してくれた。
◇◇◇
納得はしても、お兄ちゃんを待つだけなんてわたしは嫌だから!
「急いでコウちゃんっ!」
「ウォ〰〰〰〰ン!!」
メノアが紅狼へと跨ると、紅狼は速度を上げて森の中へと向かって行くのだった。




