112話 様変わりする帝国軍長官
さっきも速いと感じたが、それを超えるスピードでゴウマは突っ込んでくる。
次の瞬間、俺の体勢が沈んでいる事を確認するゴウマは、その時初めて自分が足を止めている事に気付き、目を見開いていた。
俺の拳がゴウマの腹へと向けられていたが、腹に直撃しているわけではなく、ある程度ゴウマの腹と俺の拳との間には間隔があった。
ゴウマの体が少しばかり起き上がると、直ぐにゴウマは俺の前で膝を付き、右手で腹を抑えた。
「……な、何をした…………?」
苦しそうなゴウマの声を聞き、俺はゴウマを見下ろす形で返す。
「別に、俺は特別な事は何もしていない。ただ、お前が予想していた速度より大幅に実際の速度が速かっただけだと思うぞ」
俺は拳を腹に入れてゴウマの動きを止め、一歩下がっただけに過ぎない。しかし、ゴウマはそれを死角と予想した感覚と実際の感覚の差異が相まって気付くのが遅れたのだ。
「…………」
「お前と会う前から、色々体験して気づいたんだ。仲間を守る為に俺はもっと強くならなくちゃいけないってな。だから、俺はお前に負けてはいられないんだよ」
それを聞いて立ち上がるゴウマは肩を揺らしながら笑い出す。
「ククククク……フハハハハハッ!
いちいち貴様は俺を笑わせてくれる! 貴様の意志が、今のこの場に何の関わりがあるというのだ。いつ俺が目の前で貴様の自分語りを許した?」
かと思えば、いきなり頭の血管をブチ切ってもの凄い形相で怒りだす。
「これは殺し合い、闘いなのだ! 俺が膝を付いたからといって、余裕ぶるのも大概にしろ!!
たかが速度を大幅に上昇させたとはいえ、俺には効いちゃいない!
そのいけ好かない面をもう二度と俺の目の前に晒させないよう圧倒的なまでの力で一瞬で終わらせてやるッ!!!」
ゴウマは胸を張って俺を見下ろし、眼圧から放たれているとも感じる殺気が辺り一面を包んでいった。さっきの俺の真似だろうか、それでも冷たささえ感じられるそれに俺の肌は確かな狂気を受けていた。
俺はそれに対抗してゴウマを見上げて自身の殺気を解き放つ。それは何かのエネルギーとして俺とゴウマの間で衝突し、歪みを生じさせる。
殺気は覇気となり、周辺の壁や裁判所の席を地震にでもあったかのように崩壊させ、大風に吹かれたかのように勢いよく見えなくなるまで飛んでいく。
「…………!!」
「…………!!」
互いに同じタイミングで瞬間的に殺気を消失させると、空いた間隔を消すようにぶつかり合う。ゴウマの左腕と俺の右腕が互いの覇気を放出させて視界に入ってくるものの、俺とゴウマはその間で本気の目を合わせる。
その目にあてられたのか、知らず知らずの内に近距離戦となっていた。ゴウマの拳に合わせるようにこちらも拳を突き出し、何度も何度もぶつかり合っては覇気を生む事が続く。
たとえリーチの長いゴウマの左腕でも、俺の今の目にとっては合わせるのは難しくなかった。しかし、そのリーチ故に客観的に見れば押されているのは俺の方だろう。ゴウマの左腕に合わせる為に俺とゴウマとの間に間隔が空き、俺の拳が届いたとしても決定打にならないからだ。
この集中を途切れさせてはいけない戦闘の中で、この距離を縮めるのは難しい。一端立て直しを図りたいが、それをしようとすれば隙になる。今は耐えるしかねえ……!
すると、ゴウマがいきなり左腕を出すテンポを変える。それに気づいた俺の体は拳を突きだす事を躊躇った。振りかぶったまま止まったゴウマの機械の拳は先の方から熱を帯びたかのように赤く染まり、湯気を出し始めていく。
「っ!!」
炎系統魔法か! しまった、時間作っちまった!!
「ヒート・ブレット!!!」
それを振り下ろされ、俺は瞬間的に思考を回す。この拳を受ければ、火傷だけで済みそうにないと感じた俺は、咄嗟に後ろへ跳ねた。
ゴウマの拳は空を切るが、咄嗟の事で俺の体がその後を考えていなかった。不意に投げ出した俺の体をゴウマは一歩で距離を詰める。
くそ……。
ゴウマの右拳が俺の顔面を捉えるまでの瞬間をスローモーションにさえ感じながら空中を浮遊する。
「がっ!!」
ゴウマの拳は完全な形で俺の顔面に直撃し、俺は血を吐きながらごつごつした地面を無造作に跳ねながら転がっていく。
まだ魔法の影響を受けた左拳で受けなくて良かったと思うものの、それでもゴウマの拳は大きく、俺の脳を揺らしたので体が瓦礫で引っ掛かって止まった後すぐに立ちあがる事ができなくなっていた。
はは……こんな所を師匠に見られてたら、どんだけ怒られるか想像できねえや。やっぱ、自分の得意をぶつけて、それを貫き通さねえとダメだな。色々考えるより、俺はそっちの方が性に合ってるみたいだ。
そんな事を考えている間に座る形で立てずにいる俺へ向かって巨体のゴウマの体が左腕を掲げながら殺すと言わんばかりの表情で飛んでくるのが見える。
「仕方ない、出し惜しみ無しでいくぞ」
「うらぁあああ!!」
ゴウマの大きい左拳が俺へ直撃した直後、俺には何も影響を及ぼさず、反対にゴウマが俺へ与える衝撃が反発するように吹き飛んでいった。
「うっ!!?」
地面に突き刺さるように落ちるゴウマを追いかけるように歩み寄る俺は、何が起こったのか理解できないような顔をしているゴウマに説明する。
「守る勇気。その場から移動すると解除されてしまうが、その間は受けた攻撃全てを威力を倍にして相手に返し、自身が傷付くことは無いという面白い技さ。これなら、お前の左腕も怖くない」
「そんなもの――」
ゴウマは自分の左腕からピキという音を聞き、腕を出して見てみる。すると、ゴウマの機械の腕にヒビが生じていた。更には掌の魔力基幹と思われる丸い水晶から赤い点滅が光り始めている。
「なんだと……?」
さっきのゴウマの一撃は、やっぱり防いでいて正解だったみたいだな。じゃなきゃ、俺が意識を飛ばされていた。まぁ、この腕が自慢みたいだし、このまま終わってくれれば助かるんだが。
「もう止めにするなら、このまま帰ってやってもいいが?」
「はぁっ!!」
ゴウマは引くことを知らず、腕の状態が悪かろうがと俺へ向かって左拳を突き出してきた。俺はそれを予想しており、同じ左手でそれを止める。
「なら、悪いけどこの腕は破壊させてもらう」
俺はゴウマの左拳を掴んだまま腰を落とし、腕を振りかぶって右拳に力を込める。すると俺の拳は赤みを強めていった。
「《赤辣・煉》!!」
俺の拳はゴウマの機械の左腕を鈍い音と共に粉砕し、バラバラとなった破片が地面へと落ちていく。ゴウマはそれを信じられないような顔でただ見ているだけだった。
ゴウマの左腕は機械部分を失くすと中身が無く、途中で切断されたような跡だけが残っている。
腕の粉砕を目撃したゴウマは、右手のみで地面に手を付き、取り乱すようにブツブツと何かを喋り出す。
「そ、そんな…………。俺は……帝国軍長官、ゴウマ・ラゴン、帝国一の軍人のはずだ……それが、こんな……」
割と速く済んで良かった。修行してここまで引っ張った俺も悪いのだが、まだデーバには届かないと思う手前、もっと初めから圧倒したかったところだったけどな。
俺は何の言葉も掛けずにゴウマに背を向けて力を解除する。ゴウマの様子からもう戦意は無いと判断した為だ。
しかし、帝国軍の援護が来る前に裁判所から出ようと暫く歩いた後にゴウマの口から不気味な笑い声が吐き出される。それは先程の余裕の表れから発していたものとは全くの別物、何かよくない者に憑りつかれた感じでゴウマの声と別の者の声が合わさった聞こえの悪い、まさに不協和音だった。
「フフフフフフフフフフ……フハハハハハハハハハハハ…………キャキャキャキャ」
不気味に思った俺は、ゴウマの方を振り返る。すると、ゴウマの体から黒い靄が発生し始めているのを確認した。まるで生きているかのように蠢くそれは、どんどん靄を濃くしてゴウマに纏わりついていく。
「な、なに……してんだ……?」
ゴウマは歯を剝きだしながら出す不気味な笑い声と共にすぅっと立ち上がってこちらを逝った目で振り向く。
「遅いと思ったら、こんな所で道草食っているとはなぁ……」
見当違いの言葉が理解できなく、俺はより奇妙に感じて悪寒が過る。
コイツ、まさか……。
くっ……師匠の言っていた言葉、何となく分かった気がするけど、これなら俺が出だす時に言っておいて欲しかった。まさか帝国の長官が、棲む者を宿しているなんて分かるわけねえだろ!
「フヒ!」
瞬間移動にまで迫る移動で蛇のような黒い靄を纏いながら俺の目の前に現れるゴウマは右の拳で俺の顔面を殴りかかって来る。しかし、ケンタの技を何度も受けた甲斐あって、俺はそれを手の甲で弾く。
「!!」
俺が受けたのが意外だったのか驚いた顔をしていたので、隙だと思った俺は流れのままに蹴りを顔面目掛けて一線を入れるが、体を仰け反らせるだけで避けられてしまった。
最小限の動きで軽々と俺の動きも見切るのかよ!
「ハー!!」
奇声のような叫びを上げながら向かってくるゴウマだったが、その動きは単調なもので楽々と躱していく。それを楽しそうに笑いながら観察し、ゴウマは攻撃を繰り返してきた。
そして、右の大振りが来たので俺はチャンスと思いこれを受けた流れで腹に大きな一撃を入れようと思考を回す。しかし、その大振りを受けると、攻撃を受けたのは俺の方だった。左腕は破壊し、もう使えないと踏んでいた俺の虚をつくようにゴウマの左腕は復活していた。その左腕は肉体として復活しているわけではなく、ゴウマが纏っている黒い靄が腕の形を成し、それで俺の腹を殴ったのだ。
「カハッ!!」
不意打ちすぎたそれをもろに腹に受けた俺は内蔵の液体が口から飛び出し、地面に膝を付く。すぐさっき力を解除してしまい、まだ解除してから直ぐには力の解放ができない俺は、体に対する防御網が薄くなってしまっていた為、腹の鈍痛が収まらない。
くそ……これまでの単調な攻撃がさも今の一撃を入れる為のブラフだったかのようにさえ感じる。それくらいの不気味さと違和感。更にはパワーも下がっていない、むしろ上がっているのではないかと思える程だ。力はもう少し経たねえとまだ使えねえし、距離を取りたいけれど……さっきの動きを見せられれば、あまり距離を離したくないのが本音。一瞬でも目を離したり集中を途切れさせたら、どこから来るか分からなくなっちまう……。
ゴウマは狂気に満ちた笑顔を見せると漆黒に染まった左腕を俺へと向けて来た。




