酒席
「次は何にしますか?」
隣に座った男にそう訊かれて、沙季子はカクテルが注がれたグラスを一瞥すると、それは確認するまでもなくまだ三口ほどは残っているし、これからまた氷が溶けていって炭酸もやわらいだところをゆっくり楽しみたいと思っているわけで、だからむろん、自分としては『次』を急かされる時機ではないのだし、それにさっきからちょっぴり酔いがまわってもきて、あなたもそれを察してくれてもいいじゃないと、つい文句を言いたいような気分に陥りかけたのをふと抑えて、
「あ、わたしはまだこれで、大丈夫です」
と、いつものお愛想をしながら男の顔を盗み見しつつ先程の声を思い出すと、最初のお店を移動してかれこれ一時間、自分よりもだいぶ酒杯を進めているはずなのに、うっすら赤みが差してきているだけで、目がとろんとしているわけでもないし、言葉にももたつきがない。ただ一次会で盛り上げ役を買っていたのとは打って変わって、今では取次役に転じているらしく、今彼女にお代わりを訊いてきた時もそうだけれども、メニューを自分の手もとに寄せてきょろきょろと他人のグラスや料理の皿を検分しているらしいのが、一次会の役回りも相俟って、ふと雑用をいいつけられた下っ端に見えてしまい、沙季子はちょっと不憫にもなってきて、つい、
「浩太さんは飲まれないんですか?」
訊くと、彼は一応自分の持ったメニューを眺める振りだけして、
「僕はこれにします」
と空になったハイボールのグラスを指し示す。
──自分が頼みたいだけかな。
ふっと意地の悪い考えが浮かんだ目で辺りを見渡すと、女子は二人がそれぞれカクテルを両手につつんでいたり口につけたりはしているものの、まだだいぶグラスに残しているなか綾香ひとりだけ、空けたハイボールのグラスをテーブルに放り出したまま持て余している様子で、沙季子はそれを見て浩太の肩をたたき指で彼女をさし示すと、彼はすぐにうなずいて一拍おき、隣の男に顔をむけている綾香へ声をかけてハイボールのお代わりを確かにうけたまわると、注文用のタブレットを操作して二人分の注文を完了する間際に、
「沙季子さんはほんとにいいの?」
「はい、まだこれあるし」
グラスに手を添えて答えるとすぐに、
「わたしもやっぱり何か飲もうかな」
つぶやくと、横からすっとタブレットが差し出された。沙季子は画面に顔を寄せてのぞきながら人差し指を左右に動かし、カクテルのページを進みつつ、これ美味しいんですよ、これも好き。隣にだけやっと聞こえるほどにつぶやくうち、わたしもそれにします、と浩太のグラスを示して言った。
「これですか? 無理しないで」
「無理ってなんですか。わたしにも飲ませてください。それ」
「でも、沙季子さん飲んだことないでしょ、ハイボール」
「ありますよ、わたしだってハイボールくらい、飲んだこと。だから飲ませてください」
「駄目です」
え、なんでですか、と、なおも笑って駄々をこねながらタブレットを引っ張って奪おうとすると、彼は強く握っていた機器からしだいに力をゆるめてそれを彼女にゆだねた。沙季子はふんと言いながら画面の前で人差し指をくるくるさせてハイボールを一つ追加し、ぽちっと注文を完了させて彼をふり向くと、瞳があってすぐに向き直り、タブレットをももに投げ出してきゅっと右手首を握りしめた。
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