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新撰組の白狐さん  作者: 天音 るな
2/12

狐の噂

 

「びゃっこ?」


 女は、聞き慣れない単語を辿々しく復唱した。手に持つみたらし団子を頬に詰め込みながら、疑問の色をその顔に浮かべる。

 あどけなさを残した無垢な瞳が、目の前にいる男を捉えた。

 眼前の男は彼女の疑問に答えようと、軽く頷いた。


「そう、(しろ)(きつね)と書いて、白狐(びゃっこ)。人殺しだよ」

「辻斬りということですか?」

「いや、辻斬りとは違う。辻斬りは自分の力を試したり、刀の切れ味を試すためのものだから」

「何故白狐が辻斬りではないと分かるのです?」

「アレが殺しているのは、不逞浪士や幕府の大役ばかりでね、民間人は殺された試しがない。誰でもいいというわけではないんだろう。

 それに、斬り方も一太刀ではなく態々急所を避けて何箇所も斬っている。時間のかかる殺し方をしているのには、何か理由があるのだろうね」

「理由?」

「例えばだけど、その人間に恨みを持っていたとか、何らかの情報を聞き出すためとか」

「へぇ……、すごいですね」


 女は感心したような眼差しを男に向ける。その言葉がどういう意味を持つのか、男には分からなかった。しかし、聞く気にもなれなかった。

 純粋にその慧眼を讃えているのかもしれないし、あるいは自身の普段の行動を見ている彼女にとって、まともに仕事をしているなんて珍しいですね、なんて意味なのかもしれない。

 後者だったとしたら、いや、後者の可能性の方が高いのだからここは触れるべきではないのだろう。


 幸いなことに彼女の興味も直ぐに、男の手元にあるみたらし団子へと移った。程よい甘さのみたらしと、こんがり焼き目のついた団子は食欲をそそる。“甘味処 菊之屋”の看板商品である。



「……百合、もう三本も食べたでしょう? これは僕の分だからね」

「三本じゃ足りません」

「……わかったよ、あげる」


 女───百合は、今日一番の嬉しそうな表情を見せた。


「ありがとうございます、沖田さん」

「まぁ、いつも女中の仕事頑張ってくれているからね。いつもありがとう」


 沖田と呼ばれた男は、百合の幸せそうに団子を頬張る姿を見て苦笑した。

 彼にしては珍しく感謝の言葉を述べてみたのだが、すでに意識は団子に刈り取られ聞こえてはいないらしかった。


「百合、夜は出歩かないようにね。白狐が捕まるまでは特に」


 口いっぱいに頬張った団子のせいで話すことのできない百合は、コクコクと大きく頷く。まるで栗鼠(りす)のようだ、と胸中で呟いた沖田は、呆れたようにお茶を啜ったのだった。





◆ ◆ ◆


 壬生浪士組の女中の朝は早い。

 七ツ半(5時)頃に起床し、身支度を整え自室と廊下を掃除。


 終わった頃には明六ツ(7時)。大部屋で雑魚寝している隊士たちを起こしに行く時間である。


 大部屋の襖が閉まっている状態でも聞こえる鼾には、いつまで経っても慣れることはなく耳が痛い。襖を開ければ、鼾の音量は二倍に膨れ上がり、百合は顔を顰めた。


 隊士たちはいつでも出動できるよう刀を持って眠るのだが、寝相のせいで刀を手放してしまっている者もちらほらと見受けられる。


「起きてください!朝ですよーっ!」


 肺いっぱいに空気を吸い込み、思い切り声を張り上げる。隊士たちのイビキに負けず劣らずのそれは、女中としての意地だろうか。

 三分の一程度が目覚めたところで、百合は踵を返した。後は起きた隊士たちが、寝ている隊士たちを起こすだろう。


 その後の隊士たちの行動は、いつも同じ。

 布団を畳み、身支度を整える。その後は掃除を始め、終わり次第稽古だ。稽古が終わる時間は昼四ツ(10時)くらいである。

 それまでに百合は、五十人近くの隊士たちの朝餉を一人で作らなくてはならないのだ。一分でも惜しい。


 慣れた手つきで朝餉を作る彼女。壬生浪士組が結成されたばかりの頃、女中として雇ってほしいとやってきたのだ。




 文久3年、3月12日。会津藩預りで壬生浪士組が結成された。

 それから七日ほど経った頃のこと───


『なんでもします。此処に置いてください。行く宛がないんです、お願いします』


 そう言った女の身体には細かい傷や痣が目立ち、着物は土で薄汚れている。手持ちの荷物は殆ど無く、少しばかりの銭と形見だという大小の刀だけ。


 女人禁制の壬生浪士組では当たり前に門前払いをくらう他ない。しかし偶然か必然か、其処に偶々居合わせた筆頭局長・芹沢(せりざわ) (かも)が彼女に興味を持ったのだ。



『お主……名は?』

『───ゆり。百合と申します』


 この時代、苗字がないことは珍しくはない。芹沢は詳しくは問わなかった。


『年は』

『18です』

『そうか。話は中で聞こう』



 本来ならば壬生浪士組に女が入ることなど許されることではなかったが、実質的に一番の権力者である芹沢が百合を気に入り、女中として正式に雇われることとなった。


 何が気に入ったのかは分からない。二十歳にも満たない女子を物騒な世の中に放り出すことを躊躇ったのかもしれない。

 或いはボロボロの身なりで必死に食らいつく姿を自分たちに重ね合わせたのかもしれない。


 それは芹沢のみが知ることである。

 百合が入った当初は、隊員は24名だった。その後隊士の募集をかけ、今では50名余りの大所帯となったのだ。


 その頃は結成当初だということもあり、内部情勢はお世辞にも良いとは言えないものだった。

 同年3月24日には殿内義雄が粛清されることとなり、芹沢鴨を中心とする水戸派と、近藤(こんどう)(いさみ)を中心とする試衛館派で組内が別れるなど───勿論今でもその隔たりが消えたわけではないが、前と比べれば穏やかになった方だろう。



「百合。朝餉の準備は終わったか?」


 ひょっこりと勝手場に顔を出したこの男は、百合の恩人である壬生浪士組の筆頭局長だ。普段は芹沢派の拠点である八木邸から出てこないのだが、たまにふらっとこうして現れるのである。

 百合は特段驚いた様子もなく、愛想の良い笑顔で芹沢を迎えた。


「芹沢さん、お早うございます! 丁度終わったところです。後は運ぶだけです」

「お前の作る食事は美味いからな」

「おだてても何も出ませんよ?」

「茶請けくらい出してくれても良いのだぞ」

「駄目ですよー、出しません」


 芹沢を軽く流して、百合は朝餉を運び始める。

 あと少しもすれば、隊士達が朝稽古を終えて帰ってくる時間であろう。


「儂も運ぶのを手伝おう」

「えっ、良いですよ! 芹沢さんにそんなことはさせられません」

「構わん。どうせ今はやることがない」

「ですが、朝餉を食べ終えればお仕事が待っているのでしょう? 今はゆっくり休んでいてください」

「お前は変な気を遣わなくて良い。他の者も呼んでこよう」


 芹沢は颯爽と去って行った。他の者───水戸派の者を呼びに行ったのだろう。

 百合がお膳を3つ程運び終えたところで、芹沢は宣言通り他の者を連れて戻ってきた。



「皆さん、お早うございます。すみません……」


 女中の仕事を手伝わせるなんて言語道断、許されることではない。百合が申し訳なさそうに頭を下げる姿を見て、局長であり芹沢の腹心でもあら新見(にいみ)(にしき)は気にするな、とぶっきらぼうに呟いた。


「えっ?」


 聞き取れなかったらしい百合は聞き返すが、新見は何も答えずにお膳を運び始める。


「気を悪くさせてしまったでしょうか……」

「気にすんな、百合ちゃん」

「そうそう、新見さん照れてるだけだから」


 百合が新見の態度を見て少し落ち込んでいるのを察し、平山(ひらやま)五郎(ごろう)野口(のぐち)健司(けんじ)は百合に声を掛けた。態と新見に聞こえるよう、大きな声で。

 ピクリと新見の肩が反応したが、そのまま新見は聞こえなかったフリをしてお膳を運び続けるのだった。


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