20 エピローグ:ランス・ウエスコット卿の独白
来客で忙しくなり、人目につきやすくなるだろうという時間の前を選び、夕方近くに娼館を訪れた。リディアがここにいると聞いたからだ。
前回の店より多少品のよい玄関口で女主人を待っている間、2階の階段の側で鞠を追いかけているリディアの姿が、ちらっと見えた。
ああ、美しい。あの無垢な姿が、汚され、痛みに涙するところを早く見たいものだ。このまますぐに領地に連れ帰ってもよいな。領地の館なら、色々楽しめる用意がある。
口数の少ない男の雇い人が、女主人のところに案内するらしく、私に向かってついてくるよう身振りで示した。失礼だ。だが、騒ぎを起こして女主人を怒らせるのも馬鹿馬鹿しい。静かに男の後をついて、2階に上がった。
案内された場所は、妙に薄暗く、狭い部屋だった。鎧戸も全て閉めて、机の上のランプだけで部屋全体が照らされている。
「どうぞこちらへ。」
と、女主人に案内された肘掛け椅子に座った。女主人は、なんの特徴もない、ただの中年女だ。後日町ですれ違っても、思い出せる自信がない。まあ、どうせこれっきりの関係だ。サッサと済ましてしまおう。
女主人は、もう一方の肘掛け椅子に座る。椅子はくっつかんばかりに近くに置かれている。
「近いな。」
思わず声に出てしまった。女主人がふふっ、と、笑う。
「内密の話をしにいらっしゃったのでは?」
まあ、その通りだ。ある程度のことは、娼婦仲間で噂にでもなっているんだろう。ラ・ロッシは貴族の出入りする娼館だ。いまいましいことに、貴族の間で、私が捕まったことが話題になっている。だが、人の噂など、どうせ長くは持たない。リディアが使えなくなった頃には落ち着いているだろう。それまで、領地でのんびりするつもりだ。
私は足元を見られないよう、椅子に深々と腰掛け直した。
「ああ。さすがに察しがいいな。ここに、リディアがいると聞いてきた。率直に言おう。いくら出せばあの子を譲ってもらえるかな?」
なに、金を出せば動くだろう。5万からのスタートか。
女主人は、目を伏せながら、
「ご趣味のよろしいこと。」
と、囁いた。そのまま、テーブルに手を伸ばすと、
「タバコを吸っても?」
と、私に聞いてきた。こういうところの女は、タバコを吸って、格好を付けたがる。実にくだらん。
「ご自由に。」
そう返事をすると、女主人は、ゆっくりキセルに火を点けた。妙に酸っぱい匂いがする。安いタバコに違いない。
フーッ。
「なっ!」
思い切り煙を吹きかけられた。
こいつ!どういうつもりだ。失礼にも程が・・・
フーッ。
まあ、あまり事を急いでもな。あの可愛いリディアが待っているんだ。
フーッ。
そうさ。心配することなんか何もない。この煙、女主人に独占させておくのはもったいないな。
「・・・お吸いになりますか?」
キセルを渡された。ああ、これは私のものだ。私だけのものだ。
スーゥー。
煙を吐き出すなど、バカな奴だ。こんなに素晴らしいのに。
スーゥー。
おや、女主人は、もう寝てしまったか。椅子の中で崩折れている。ははっ。このキセルは返してやらないぞ。
スーゥー。
戸が開いて、人が入ってきた。ぼんやりして誰かよくわからん。なんで皆、口をマスクで塞いでいるんだろう。くぐもって何を言っているのかよく聞き取れないじゃないか。まあいいか。どうせそんな重要なことは言ってはいないだろう。
「お母さん、瞳孔が完全に開いちゃってるわ。こりゃダメだわ。」
「常習者にならないよう、一回殺してくれって言ってたから、マニー!頼むわ。」
「おい!大丈夫なのか?」
「ネイト、いいのよ。お母さんは死なないっていったでしょう?」
「いや、しかし。本当なのか?」
「ダメだったとしたら、返って喜ぶわね。死ねるから。」
ゴリッ、ゴキッ!
なんでこいつら女主人の首の骨をへし折ってるんだ?まあ、いいか。これでキセルは私のものだ。
「マニー、その死体はお母さんの寝室で寝かせといて。ラヴィニア、窓を開けてちょうだい。煙を吸わないようにしないと。」
大丈夫だよぅ。こんな素晴らしいもの、吐き出してなんか上げないよう。ああ、横になりたいなあ。
「さあ、ウエスコット様、この書類にご署名いただけますか?」
めんどくさいよう。
「あら、ご署名いただけましたら、この太いパイプを差し上げますわよ。ほーら、こうやってこの下に火を付けると、芳しい煙が登ってきますの。余す事なく煙を楽しめるんですよ。」
そりゃあ素晴らしい。そうさ、こんな細いキセルじゃダメだ。それをくれ。それが欲しい!
私は目の前に置かれた書類に、次々とサインした。ちょっと手が震えたか。
「じゃあ、これを、他の証言書類とともに、王室に提出してくるよ。」
「王室に提出する前に、内務省の推薦状ももらっておいてね。せっかくアレンジしたんだから。」
「大丈夫だよ、パット。ちゃんと貰っておく。他にも補足用の書類は揃っているんだ。こいつがネルとその赤ん坊を探し回っていたことは何人も証言してくれたし、お腹の大きいネルを領地から一緒に連れてきたことも書類にしてまとめてある。
だが、本人の証言を求められるかもしれん。ダイアナ、あまりアヘンをやりすぎないようにしてくれ。」
いやだね。こんな凄いもの、やめられるもんか。ああ、太いパイプっていいなぁ。
「大丈夫。トッドの地位が安定するまで、生かさず殺さずよ。まあ、3年もあれば私が周りを納得させるわ。」
チュッ。
「私たちがだろう?」
「そうね。」
「そこのお二人さん、この男を長椅子に寝かすの手伝ってよ。」
やった!寝られるぞ。
ガタン。ゴトン。
「しばらくこうしておきましょう。少し意識がはっきりしたら、私とネイトがウエスコットの屋敷まで送っていくわ。私はそのまま住み着いてウエスコットの面倒をみるわね。」
「じゃあ、これが残りのアヘンよ。足りなくなったら言って。マニーに心当たりがあるようだから、買っとくわ。」
「了解。」
「明日、お母さんが、トッドを連れて屋敷に行くから。そのままトッドの乳母として、お屋敷で暮らせるようにしといてね。」
「了解。」
皆出て行った。ああ、幸せだ。これで心置きなく煙を楽しめる。
スーゥーッ。
キラキラ光る銀髪の女の子が、鞠をついているところが目に浮かぶ。ひらひら翻る白いドレスの下で、裸足の足が踊るように跳ねている。なんだったけ?誰だったっけ?
ああ、もう、どうでもよい。考えることなど、何一つないのだ。全てが煙のように消えてゆくのだから。
第4章、終了いたしました。お読みいただき、ありがとうございます。第4章の登場人物たちの行方は、次の章で判明する事となります。第5章は、同じ国、同じ背景で、20数年後という設定ですので、幾ばくか登場人物が重なります。よろしくお願いいたします。