16 ナサニエル・フォークナー子爵(2)
「2000!」
「5000!」
「8000!」
あちこちから上がった手を振り回しながら、競りの値段が告げられる。
5000と言ったのは、私の隣にいた男で、声が震えているだけではなく、握った拳にもプルプルと力が入っている。
危ないなこいつ。
「1万!」
両手でアントンの注意を引きながら、1万の声をあげた奴の口元が緩んでいる。暗くてよく見えないが、涎が垂れていたとしても、私は驚かない。
リディアはすでにトレーごと舞台の上に降ろされている。退屈しないように人形を与えられ、トレーに座ったまま、人形で遊んでいる。
こんな子供をねじ伏せるために、こいつらは皆、普通の娼婦の相場の20倍の金を出す訳だ。官憲め!早く踏み込んでこい!
それまで誰も声をあげなかったところから、いきなり入札の声がした。
「5万。」
おい、正気か?
会場が水を打ったように静かになった。
「・・・5万が出ましたぁ。他にいらっしゃいますかぁ?」
リディアの横でオークションを仕切っていたアントンが、弱々しい声をあげながら辺りを見回すが、誰も動こうともしない。
「では、5万で、そちらの紳士に、リディアの初夜権をご購入いただきましたぁ!」
前から打ち合わせがしてあったのだろう。従業員たちが、盛んに拍手をする。しかし、会場の大半を占める客は微動だにしない。拍手の音は疎らに、虚しく響いている。
リディアを買った男が舞台に進み出た。
瘦せぎすで、背が高い。だが、濃い髪の毛にちらほら混じる白髪を見ても、40は越えているのじゃないか、と、思った。
舞台に到達した男は、アントンの差し出す手を無視して、リディアの方に屈み込んだ。リディアの顎を掴んで上を向かせる。そのまま左右に動かして、自分の購入した商品を矯めつ眇めつチェックしている。
私は、そろそろと舞台の方に移動した。こいつが、ダイアナたちの言っていたターゲットに違いない。
「旦那様・・・」
アントンが、男に声をかける。男は、アントンの方を見もせずに、
「この子を買い取ろう。」
と、言った。
アントンが驚きの声をあげている。
「旦那様、競売にかけたのは、リディアの初夜権でございます。」
男はゆっくりと顔をあげた。
「一晩私が買ってしまえば、あとはこいつに商品として価値はなくなる。だから私がその後の面倒を見ると言っているのだ。」
アントンの顔が赤くなる。
「いえ、旦那様、そのような・・・」
ピーッ!
鋭いホイッスルの音がした。
「手入れだ!逃げろ!」
「こっちだ!」
「お客様、こちらへ!」
悲鳴と共に、あちこちで声が上がる。だが、私は、男がリディアの腕を掴んだのを見逃さなかた。
させるか!
男にむかって走り、後ろから体当たりする。予期せぬ攻撃に、男が吹っ飛んだ。
やった、リディアの手を離したぞ。
リディアはと見ると、立ち上がって、アントンを見上げている。
アントンがリディアを抱き上げた。
そうだ。まだ金をもらってないんだからな。大事な商品をしっかり守れよ。
私はそのまま後も見ずに走り出した。
なだれ込んでくる警官たちの怒りの声がする。
「愚か者め!この国では奴隷売買など認められておらんわ!」
なにやらアントンがブツブツ言っているようだが、聞いている暇はなかった。逃げ惑う客に混じって、押し合いへし合いしながら外へ出ると、そっとマスクを外した。
つけられていないか、何度も振り返りながら、私は夜の闇の中へ隠れようと足早に歩いた。