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その日は、思いの外早くにやって来た。いや、早くはなかったのかもしれない。だが、何も手立てを思いつかず、ネルを助ける方法も考えつかなかった私にとって、その日が来たのが早く感じられただけだ。
真夜中、陣痛が始まり、破水したネルの元に、ロバータとロバータの推薦する医師が、助手付きでやってきた。
医者は産婦人科ということだったが、助手の人が抱えていた大きなカバンからは、次から次へと見たこともない刃物やら器具が出てきて、驚かされた。
陣痛の痛みで声をあげ続けているネルの横で、助手さんが、淡々と準備をしている。
診察を終えた医師が、ロバータに、
「ダメだ。産道がまったく広がっていない。君の言う通り、産道を使っての普通分娩は無理だな。」
と、言った。そのまま私を睨みつけて、
「こんな子供に出産させれば、どうなるかわかっていただろう!」
と、低い声で詰った。
ロバータが、
「ここの女の子じゃありませんよ。この店ではこんな幼い女の子は使いません。逃げきたのをかくまってるだけですよ。」
と、言い訳してくれた。
恥じ入る様子も見せずに、医師は
「そうか。」
とだけ言った。どうでもいい。母子ともに助けてくれるなら、私を頭からかじってくれ。
「このまま母親が息をひきとるまで待って、その後切開して胎児を取り出す方法もあるが、それだと胎児が死亡する危険がある。私としては、母親が生きているうちに帝王切開で赤子を取り出すことを勧めるよ。ひょっとして出血がそんなにひどくなければ、子宮を縫い合わせて、母親を助けることもできるかもしれん。」
「赤ん坊の命を優先してくれとネルに頼まれています。でも、 母親が助かる可能性があるのであれば・・・そうしてください。」
たとえ生きながら腹を割かれようとも・・・私は頷いた。
「わかった。すぐに始める。部屋を出ているか?倒れるようであれば、今から出て行っておいて欲しいのだがな。」
私は首を横に振る。
大抵のものは見てきた気がする。今度も大丈夫だろう。
医師は、アヘンと呼ばれる葉っぱのような薬をネルの口に含ませると、ネルが寝入るまで待って、手術を開始した。
私はネルの枕元にたち、ひたすら彼女の寝顔を見続けている。ネルの下半身は、助手さんが立てた衝立とカーテンでよく見えない。
しばらくしてロバータから声がかかった。
「男の子ですね。」
元気な鳴き声が始まった。そうか、トッド君。やっぱり君だったか。
私はまだ、ネルの顔をみている。まだ息をしている。
医師の声がした。
「タフなお嬢さんだ。縫合して出血が止まれば・・・」
その時、ネルの瞳が開いた。私の目を捉える。
「戻ってくるわ。」
そうはっきり聞こえた。
次の瞬間、
「畜生!」
という医師の呻きが聞こえ、ネルの目は閉じられた。
そのまま2度とその目が開くことはなかった。ネルは赤ん坊を見ることも叶わなかった。
・・・ああ、戻っておいで。待ってるからね。
+ + +
助手さんの手によって片付けられてゆく部屋をぼんやり眺めていると、私の手に、綺麗にされ、白い布に包まれた赤ん坊が、ロバータから渡された。
白衣を脱いで、手を洗った医師が、
「胎盤を取り出す際の大量出血だ。力及ばずだな。すまん。」
と、言った。
私は首を横に振る。
「ネルも覚悟の上でしたから。」
「赤ん坊はどうする?」
医師が赤ん坊の健康状態を確かめながら聞いてきた。
「トッドですか?ネルに頼まれましたからね。私が面倒みますよ。」
赤ん坊が口に握りこぶしを当てた。
「トッドか。うん。健康な良い子だ。貴方は子育ての経験はあるのか?」
私は笑いだす。
十二分にありますよ。私の人生を通り過ぎていった子供達の顔がふと、頭をよぎった。
この子にも追いつかれ、追い越されるだろう。それでも私は子育てを諦めるつもりはないのだ。
もう朝やけの光が窓から差し込んできている。医師と助手、ロバータを送りだすと、私は早番の下働きに、この時にそなえて、リストアップしていた乳母に早速来てもらうように手配を頼んだ。
部屋に用意してい産着を赤ん坊に着せ、寝ているトッドの顔を覗き込む。未だ目も開かないが、ネルの面影がある。
あの鬼畜に似ませんように、と、願いながら、トッドを籠の中に入れた。
とりあえず乳母が来た時にすぐに渡せるよう、階下で待とうと、籠の中のトッドとともに部屋を出た。
他に何を用意すればよいかな、と考え考え歩いていると、廊下に人影がたった。
うちの三妃、ラヴィニア、ダイアナ、パトリシアだ。