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お迎えが来るまで  作者: 大島周防
吸血王子
54/92

18

言葉を失った。どのくらい吊り下げられた女性の裸体を見つめていたのだろうか。きっと周りのことに全く意識が行っていなかったのだろう。ヴァンを抱えたまま、ジョージが近づいていることも認識していなかった。


ガツ!


いきなり右膝に衝撃を受けた。あまりの痛みに、地面を転げ回った。息ができない。


ガッツ!


反対側の膝も蹴られた。


「ああっ!」


反射的に出てくる涙で、視界がぼやけてくる。それでも黙々と清掃作業を続ける侍女の姿が目に入った。


「こっちに連れてらっしゃい。」


寝室の方から奥様の声がする。


ジョージが歩けない私の腕を引っ張って、床の上を引きずった。ヴァンはジョージのもう一方の腕のなかで、小さく萎縮している。


ジョージが私とヴァンを部屋の真ん中に放り投げた。


奥様は、顎をあげ、頭をゆっくり左右に振り、鏡の中の自分の姿の点検に余念がない。シミ一つない肌に満足したのだろうか、


「テレサ、まだ終わらないの?先に髪を梳いてちょうだいな。」


と、浴室の方に声をかけた。


テレサが笑みを浮かべて浴室から出てくる。


そして奥様の髪を下ろし、丹念にブラッシングを始める。


この隙になんとかヴァンだけでも逃さなくては。私は必死に考えを巡らせるが、なんのアイディアも浮かばない。


ヴァンが先に喋り始めた。


「何のために生き血を使ってるの?」


私は、必死にヴァンに向かって手を伸ばしながら囁く。


「黙んなさい!」


ヴァンは、私の方は見ず、 両手をあげると、そっと抑えるような身振りをした。そして、再度奥様に問いかけた。


「ねえ、なんで?」


奥様は目を瞑って、気持ち良さそうに髪をブラシングされていたけれど、ヴァンの問いに答えるように、うっすら目を開けた。


「あの子たちには、私の美しさを保つ、その一部になってもらったのよ。」


そして、右手を伸ばすと、ローブから覗く白い手首を見せびらかすようにこちらに向けた。


「御覧なさい。この肌を。皺一つ、傷一つ、シミひとつない、この肌を。あの子たちの血で、私は、1日たりとも、老いを重ねていないのよ。」


そう言うと、奥様はふふっと笑った。


私はその言葉に衝撃を受けた。老い?不老?そのためなの?そんな馬鹿馬鹿しいことのためなの?バカなの?そんなことに一体何の価値があるの?


テレサが一層笑みを深め、うっとりと、


「本当にお美しい。」


と、呟いた。


吐き気がする。喉の奥から酸っぱいものが上がってくる。必死で口を押さえた。


ヴァンがにっこりする。


「そうか。いつまでも永遠に美しくいたいんだ。」


その声を聞いて、ヴァンが何を考えているか、悟った。


「ヴァン!」


口を抑える手の間から、声を振り絞ったが、その声はヴァンに届いたのだろうか。


倒れている私の背中に、痛みが走り、我慢していたものが口から出てきた。


ゲエッ。


僅かに顔を上げると、肩越しにジョージが私の背中を踏みつけているのが見えた。


私に気を取られる様子もなく、ヴァンは奥様に向かって話続ける。


「僕なら、その願いを叶えてあげられるよ?僕が貴方を吸血鬼にしてあげる。ねっ?僕が血を吸えば、永遠にその姿のまま、不老不死さ。」


奥様は面白そうに、私たちの方を振り返る。


「あら、随分小さな吸血鬼さんねぇ。」


奥様はちょっと考えると、人差し指をくいくいっと動かして、


「こっちへいらっしゃい。」


と、ヴァンを呼び寄せた。


「ヴァ・・・」


声を上げようとした私の背中に一層の重さがかかり、背骨を踏みにじられているのを感じる。


ゲホ、ゲホッ。


ヴァンがそろそろと鏡台の前にいる奥様の方へ移動する。


鏡台の椅子に腰掛けたままの奥様の前に、ヴァンが立つ。奥様が、ローブの胸元を緩めながら、ヴァンに向かって屈み込んだ。奥様の冷たく白い肌が、躊躇なくヴァンの前に晒されている。


ヴァンが一つ大きく息を吸った。ヴァンの口が開く。彼の手がジャケットのポケットにそっと伸ばされた。


ヴァンの牙が奥様に到達する直前、奥様の手がヴァンの手を木の杭ごと絡め取った。


グサッ。


杭の鋭い切っ先がヴァンの胸に突き刺さる。そのままグリグリと容赦なく杭がヴァンの胸に押し込まれた。


驚いたようなヴァンの瞳が、まず杭を見つめ、次に私の方を振り返る。


「先に・・・逝くね・・・」


囁き声とともに、ヴァンが灰となる。


パラ、パラ、パラ。さら、さら、さら。


パサッ。


床にヴァンの煤だらけの服が落ちた。


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