16
「お願いしましたように、暖炉の火は1日落としておいていただけましたか?」
私は迎えてくれた執事さんに、そう尋ねた。
随分年配の執事さんだ。目をしょぼしょぼしながら、私たちを居間らしき場所に案内し、頷いた。
「大丈夫です。居間と応接の間、それに書斎。それぞれ今日1日火を入れていません。」
歩くのもゆっくりなら、言い方も穏やかで、領主館を仕切るしっかり者を予想していた私には、ちょっと意外だった。
「寝室はどうしましょう?」
私も丁寧にお伺いをたてる。
「寝室はいいんです。奥様は、乾燥を嫌って暖炉をお使いにならないし、旦那様は・・・お体の調子を崩されて、お休みになっていらっしゃることが多くてね。寝具がしっかりしているから火はいらないとおっしゃいます。」
へぇ。
執事さんは、そのまま、後の二箇所の場所に私を案内し、二人で居間に戻ってくる。随分人気のないお屋敷だ。
「静かですねぇ。」
人っ子一人いない廊下をゆっくり歩きながら、執事さんにそう話しかけると、
「我々使用人は、旦那様たちの夜のお食事が住んだら、皆、別棟に引き上げております。今夜は皆もうさがってます。」
と、答えが返ってきた。
やった!内心の喜びを隠しながら、
「あら、ご主人様、ご不自由じゃないですか?」
そう聞くと、執事さんは何事もないように、
「奥様付きの侍女と旦那様付きの下男はそれぞれこちらに残っているから、大丈夫です。」
と答えた。ということは、侍女と下男に注意すればよいのね。
居間に戻ると、早速作業を始める。暖炉の周りの家具を動かし、汚れそうな敷物を移動する。
「うちの子はすでに屋根に上がっております。まずはここから声をかけますので。」
私は膝をついてしゃがみこむと、暖炉から上の方へ向かって声をあげた。
「ヴァン!準備はいいかい?」
しばらくして、煙突を伝って声がする。
「準備オッケー。ここから始めるの?」
「そうだよ!」
立ち上がって、私も暖炉から少し離れる。口の周りをスカーフで覆った。
再びの沈黙の後、ドサッと、煤が落ちてきた。暖炉に溜まった灰の上に落ちたので、もうもうと灰煙が立つ。近くで見守っていた執事さんが老人にできる限りの素早さで飛び退いた。
「うわっ。こりゃすごい。」
執事さんは、煙の焦げ臭い匂いにむせている。
「朝までかかりますけど、どうします?」
私はくぐもった声で執事さんに問う。執事さんは
「後は任せていいですか?私は明日早朝戻りますから。家具や敷物はそのままでいいですから、明日私が外に連れ出すまでいてください。その時にこの家の物を持ち出していないか、ちゃんと調べますからね。いいですね。」
問題ございません。
執事さんが出て言った後、再び暖炉に近寄って、煙突に話しかけた。
「降りといで!」
ごそごそと音がしていたかと思うと、ヴァンが、灰の中に降り立った。
私はスカーフを外すと、
「旦那さんと奥さんの寝室にそれぞれ暖炉があるんだってさ。おそらくこの居間からずっと右のほうにあるはずよ。まずそっちから調べようか。ヴァンは煙突から行って。
下男と侍女がいるそうだから、気をつけてね。私は台所とどっかに地下がないか調べるから。」
ヴァンは外へ出て、再びハシゴを登って屋根に上がるようだ。私は台所と思しき場所へと向かう。
台所は、特に変わったところもなく、食料品倉庫はあったが、半地下で、奥行きも狭く、隠し戸棚や隠し部屋があるようには見えない。
次に書斎に向かう。普通だな。どっかの本を動かすと棚がいきない開いたりするんだろうか。それを念入りに調べている暇はない。書斎の隣は居間だし、壁と壁の間に人を押し込めておけるような隙間があるとも思えない。地下だろうか?地下だとしたらどこに入り口があるのだろう?
再び廊下に出ると、ちょうど寝室から忍び出てくるヴァンと出会った。
「おじさんが寝てた。」
「先輩じゃないんだよね?吸血鬼ってことはないかい?」
「夜寝てる吸血鬼?人間だと思うよ。ガリガリで顔色悪いし、なんか病気っぽかったけど。」
「病気?」
「うん。おまるがあった。」
起きてトイレに行けないのか。となると執事さんのいうように、重い病気なのかも。
全く手がかりなしだ。
「夜が明けるギリギリまで調べ続けるしかないね。私は大広間を調べるから、あとは奥さんの寝室か。大丈夫かい?」
「うん。」
ヴァンは、再び外へ出て行く。私は他の使用人たちが暮らす棟になんらかの手がかりがある可能性を考えながら大広間に向かった。
そんなに多くの使用人たちを巻き込んで悪事を行うということがありうるだろうか。ここにはアグネスはいない?女の子たちは一旦ここに呼び寄せられて、他のところに売り飛ばされているのだろうか?それとも住所だけを使われている?
頭の中をぐるぐると考えが巡る。
大広間にも特に不思議なところはない。暖炉の周りの家具を移動させて、仕事をしたように見せかけた。
撤退する方法を考えなきゃ。日が昇らないうちに執事は戻ってくるだろう。そうでなければ、ヴァンだけでも・・・
廊下に出て、ヴァンを探す。撤退する時間を決めよう。
寝室の方に向かうと、声がした。
「ごめんなさい!煙突を間違えたんだよ!」
血の気が引いた。