15
うわぁ。領主様か!
アグネスのくれた住所に到着して、そうがっくりうな垂れた。アグネスのメモには、領主様の名前はなかったけれど、住所はここだ。そもそもこの領主街一帶で、口入屋を使ってまで、人を雇える有力者など、所詮限りがある。ここで間違いないだろう。
領主の館は、大きくはないが、いくつかの建物に分かれて成り立っており、その建物すべてを取り囲むように堅固な壁と壁に沿ってぐるっと流れている堀によって、外部からは遮られている。
こりゃダメだ。忍び込めない。
夜風に撫でられて、ブルっと震えた。比較的温暖な国だけれど、やはり冬が近づくと一気に気温が下がる。
隣に佇むヴァンが寒さを感じていないか、と、見下ろした。
「ヴァン、取り敢えず引きさがろう?私たち二人だけじゃあ、手に負えないよ。そろそろ女将さんたちも口入屋が世話した女の人たちの行方を調べ始めてるだろうし、そのうち手助けが期待できるだろうさ。
それまで、新たに女の人が雇われないよう、この辺で見張りしてようね?」
ヴァンは私の方を一切見ない。
「女将さんがどこまでやれるかわかんないよね。調べても時間がかかだろうし。そんな当てにならない話、待っていられない。先輩があそこにいるか、僕は知らなきゃならない。
先輩が血を欲しているなら、もう女の人たちは館の中に取り込まれているはずだよね。今までの先輩なら、女の人たちを手放さないなんてありえない。解放してくれるはずだよ。そうせず、ひたすら女性を餌食にしてるなら、僕がケリをつけなきゃいけないんだ。」
タークイン先輩がここにいる・・・か。そうだとしたら本当によいのだけれど。私にはとうていそうだと思えない。むしろタークイン先輩を利用して女性を脅かしているものがこの館に隠れていると思うのだけれど。
ヴァンが先輩を消さなきゃいけない可能性が限りなく低いだけでもよしとすべきなのか。
私もヴァンと目を合わせることなく言った。
「誰が主犯なのか知らないけど、先輩にすべて罪をなすりつけようとして口入屋が動いていることはわかるよね?
だとしたら・・・私は・・・先輩は、もうそのことに文句を言えないような状態じゃないかと思うんだけれどね。」
それ以上は憶測では言えなかった。横目でチラッと、ヴァンを見る。
ヴァンもそのことはずっと考えていたのだろう。青白い顔には、なんの表情も浮かべていない。
「それならそれで、決着をつけなきゃいけないことに変わりはないよ。」
そう言うと、ヴァンは、暗闇の中にひっそりと立つお屋敷を睨んだ。
何か考えないと。この子を止められそうにない。
この館のどこにそのような隙があるのか・・・眉間にシワを寄せていると、ヴァンの明るい声が響いた。
「閃いた!」
彼の指差す先を見ると、月明かりにほのかに煙が上がっていた。
いやあ、それは、うーん。
+ + +
長かった。イライラしたが、ようやく事態が動き出した。
領主の住む街には、数軒しか薪を扱う店がなかったのが幸いした。しっかり水分を含ませたナラの木の薪をいたるところに忍ばせた。各店の薪の管理が屋外だったのも幸いした。昼に用意した煙がたっぷり出る薪を、ヴァンが闇夜に紛れて忍び込んでは置いてきた。
こんなにまどろっこしい手を使いたくはなかったけれど、これしかない。領主館に下働きの口がないか、何度訪れても、剣もほろろの扱いだった。
「紹介状もなく来るんじゃない!常識ってものを知らんのか!」
と、言われ、通用口の門番に、追い返されただけだった。
それでも、若い娘さんが仕事に来るようだったら止めなければと、何度か通ったが、結局門番に顔を覚えられて、近くに寄ることも叶わなくなった。
結果、煙突掃除作戦にすべてを賭けた。
薪を買うのは結構なお屋敷ばかり。庶民は森で拾ったりして、自給自足だ。
自然と、大きなお屋敷から煙突掃除を頼まれるようになった。
暖炉の火を落として、煙突から完全に熱が冷める真夜中。それが私たちの仕事の時間だ。
本来煙突掃除は、暖炉を使わない夏の間の商売なので、競争相手もいない。 ヴァンとヴァンを使役して過酷な煙突掃除をさせる鬼のような母親は、結構な引っ張りだことなった。
「金のために、我が子にあんなことをさせるなんて!」
と、唾を吐きかけられたことも二、三度ある。
ヴァンは煤や灰では死なないだろうけれど、(そんな吸血鬼の退治法、聞いたこともない)念には念を入れて、目の周りしか空いていない、マスクを作った。髪の毛も、もったいないが、短く刈り込んだ。帽子があっても、いつの間にか煤が入り込んでくる。輝くような金髪が黒ずんできた。
「灰かぶり姫じゃなくて、灰かぶり王子だね。」
と、ヴァンが笑う。
ジリジリと待ち続ける中、遂に、領主様の館から仕事の依頼がやってきた。