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コンコン。
窓が家の内側から、そっと叩かれる。大人の身長よりもやや高いところにある小さな小窓だ。大きさも30センチ四方ぐらいしかない。台所の竃の上にある、換気用の窓だ。
待機していた私と奥さんは、窓が開かれるのを待って、手を伸ばした。
そっと開かれた窓の隙間から、一冊の本が手渡された。
素早く本を掴むと、窓の中に声を掛ける。
「汚れを残さないように、綺麗に拭き取るんだよ。暖炉もね、煤が目立たないようにね。」
「うん。」
ヴァンの囁き声とともに、窓が閉まる。本を抱えて、奥さんと一緒に宿に駆け戻った。
+ + +
宿の部屋の明かりで、ようやく本を確認する。予想通り、ちょっと煤がついている。煤を広げないように、そっと息を吹きかけ、煤を直接叩かないよう気をつけて、綺麗にした。
本を広げて覗き込む。
私の肩越しに一緒に覗き込んでいた奥さんは、残念そうに、
「誰が雇ったかは書いてありませんね。」
と、言った。私はまあ、あればいいかな、とは思ってはいたが、当てにはしていなかった。口入屋も幾ら何でもそこまで間抜けではないだろう。
「写しましょう。こっちのページは私がこちら側は奥さんが書き取ってください。この程度なら、2時間もあれば終わるでしょう。」
そういうと、二人で手分けして日付と名前、そして住所(といっても村や街の名前だけだが)を書き写し始めた。
奥さんも言われた通り、反対側のページの名前を必死に紙に書いている。
数ページ進んだところで、私は息を飲んだ。
「アグネス・・・」
予想できないことではなかった。彼女の名前もここにあるかもしれない、とは薄々感じていた。
頭を振って、とにかく作業を進める。アグネスを救い出す方法はまた考えよう。
奥さんは、そこに自分の娘の名前を見つけて、しばらく手を止めたが、またペンを持ち直した。
数を数えている暇はなかったが、50人は下らないだろう。下手をすると100人近い。その大半が女性の名前だ。男性は数えるほどしかいない。
男性を世話したのは、怪しまれないための隠れ蓑だろうな。
書き終わると直ぐに本を持って、口入屋に戻る。
深夜を過ぎて、人通りもほぼない。念には念を入れて、辺りを十分注意したうえて、窓に忍びよる。
コンコン。
今度は外から窓を叩く。窓が開いて中から手が出てきた。
本を渡すと手が消える。
しばらくして今度は窓がやや大きく開き、ヴァンが出てきた。乗り出した体を奥さんと私が両手を伸ばして支え、静かに下ろしてやる。
窓は閉められたが、外から鍵はかけられない。台所の窓だ、どうか鍵がかかっていないことに気付かれませんように、と心の中で祈って、素早く三人でその場を離れた。
宿に戻って、ヴァンを見る。
顔は煤で真っ黒だ。無理もない。煙突を通って忍び混んでもらったんだから。
ヴァンがゆっくり被っていた帽子と口の周りに巻いていたスカーフを取り、そこだけ真っ白な肌をのぞかせた。
通常ヴァンの年では煙突を通るにはちょっと体が大き過ぎるのだが、ヴァンの小柄な体型が幸いした。
「煤の汚れは全部綺麗にしたかい?」
「うん。」
「机の周りは特に念入りに?」
「ちゃんと見たよ。」
奥さんが驚いたように声を上げた。
「あの暗がりで?」
ヴァンは夜目が利きます。
「じゃあ、顔を洗っておいで。擦るとひどくなるからね。擦らず、洗い流すんだよ。」
だが、ヴァンは動かなかった。
「なんかわかった?」
ちょっとためらったが隠してはおけない。
「アグネスの名前があったよ。」
少し目を見開いたが、ヴァンも予想していたようだ。
「リスト見せて。」
リストを渡すと、ヴァンは、アグネスの名前の前後を特に念入りに見ている。
「アグネスだけじゃない。見覚えのある名前がいくつもあるよ。これと、これ・・・」
ヴァンの指が押さえた名前のところは、煤でうっすらと黒ずんだ。
「タークィン先輩のところの人たちかい?」
「そう。」
ため息が出た。
おそらくタークィン先輩の元を離れて、行く先のない娘たちが集中して狙われたのだろう。
奥さんを振り返った。
「私とヴァンは、アグネスの行った先に向かいます。アグネスが連絡先を残してくれたんで、そちらに。」
そう、アグネスの残してくれた住所は、口入屋ではなかった。調べてみる甲斐はある。
奥さんは、
「私も行きます!」
と、叫んだ。だが一緒に行動する理由はない。
「奥さん、娘たちがみんな一緒の場所にいるとは考えにくいですよ。アグネスのいるところにシャーリーさんがいるとは限りません。それよりも奥さんにはやって欲しいことがあるんです。
このリストを女将さんのところへ持っていってください。そして、このリストに載っている女の子たちがどうなったか調べてもらってください。
もしみんないなくなっていたら、もう、これは確実に口入屋の仕業です。口入屋を確保して、拷問するなりなんなりして、娘たちの行方を吐かせてください。シャーリーさんの行き先もわかるはずです!」
そう言われて奥さんも強く頷いた。
「娘さんたちが心配です。一刻も早く見つけなければ。」
あの優しいアグネスの名前を見て、私にもまた彼女を助け出すという決意が湧き起こった。