10 アナ・ハーツディル公爵令嬢 (1)
ガタン!
揺れを直接体に伝える馬車のおかげで、すっかり気分が悪くなってしまった。馬車にはクッション一つなく、箱のようになった座席には安っぽい織物がかかっているだけ。けれど、この布は、寒さに負けて、私が頭からかぶるように巻きつけている。おかげで少しは震えが収まったような気がする。
馬車には天井に明かり取り以外の窓があるだけなので、外を眺めて吐き気を癒すこともできないでいる。
ガタン!ガタン!
道が荒くなったのだろうか、揺れが一層ひどくなった。日頃乗り慣れているハーツディル家の馬車がいかに贅沢か、身を以て知らされてしまった。
海に面した崖の上にある修道院に向かう道は、細く、傾斜面を削り取ったように荒い。それでもようやく王都を離れ、修道院に行けるのは、私にとって恵みであり、思わず安堵のため息が出てしまった。
カタン。
ちょっと違った音がしたな、と思ったら、足元の座席の横の板が外れていた。思わず足をあげると、
「よっこいしょ。」
という声という声とともに、人が座席から転がり出てきた。
私は両足を上げたまま、凍りついてしまった。
「棺桶の次は、座席かぁ。やれやれ。」
と言いながら、茶色い頭がぴょこっと出てくる。女の子よね?声からすると。
見上げた顔がにっこりこっちに笑いかけてくる。
「・・・ライラ?ライラ!ライラ!!」
私は被っていた敷物を振り払うと、そのまましゃがみこむようにライラに抱きついた。
ライラが、少し体を離すと、唇に人差し指を当てて、
「しぃっ!」
と、囁いた。
でも、でも、だって。
「生きているの?大丈夫なの?ライカー島に送られたって聞いたけど、囚人達にひどい目にあわされて、その挙句、ヤキモチ焼いた牢名主に殺されたって・・・。」
小声で話しかけると、ライラが目を細めて、
「誰よ、そんなこと言ったの?」
と、聞いてきた。そういっても、答えはすぐにわかったらしい。
「ジェレマイア?」
私は、こくんと頷く。
「私のせいだって。私が貴方を牢に送ったからだって。平民で、ろくすっぽ礼儀も知らない女の子なんだから、口頭で注意ぐらいですませておけばよいのに、牢に送ったりするからだって。
ライラの父親はそれを悲観して自害したし、ライラ自体は、平民を貴族牢にいれとけない、と、牢番がライカー島に送ってしまったって・・・毎日毎日責め立てられたの。
申し訳なくって、気の毒で、どうしていいかわからなくって・・・」
ライラの顔が怒りで歪んだ。
「あの野郎、死んだ私まで利用したのか!」
何が起きてるかわからないけれど、ライラが死んでなかったことに全身の力が抜けるような安堵を覚えた。
「ハーツディル家の方で、牢番に確かめようとしたんだけど、なんだか牢番が病気になったとかで、会えなかったの。」
ライラがニヤッとする。
「ドロレスが頭にきて、牢番に、触ったところがカビる薬を塗った金貨を渡したからね。あ、大丈夫。人から人へと感染しないし、30分もすれば、効力がなくなる菌だから、他の人には感染らないよ。」
ライラが何を言ってるのか、よくわからない。ドロレスって?
ライラの顔がまた真剣になった。座席の下から、クッションをいくつも取り出すと、
「アナ、これを頭に被って。顎の下で紐を結んでね。で、これを肩に引っ掛けて外れないように、前で留めて。」
クッションと見えたものには大きな窪みがあって、頭に乗せられるようになっている。もう一つはちょっと大きめで肩から背中にぐるっと回せるようになっている。
不思議そうに見ていると、ライラが同じものを取り出して、実際にやってみてくれた。
「急いで!もうすぐだから。」
何がもうすぐ何だろう?とはいえ、ライラの質問を許さない勢いにつられて、同じように被り物を身につける。
「終わったら、右側に寄って座ってね。しっかり壁に手を突いて、衝撃に備えて!」
何の衝撃と思っていたら、ライラが同じように壁に両手を突きながら、私の方を見て、勇気づけるようににっこり笑った。
いつだって、この子の笑顔に勝てた試しがなかった。私の方を見て笑う時は、目が細くなって、いささか皮肉混じりの笑いを浮かべていたけれど、ジェレマイア様に微笑みかけるときは、本当に全身が笑っているように見えたものだ。
彼の人にどうやったらあんなに楽しそうに笑いかけられるのだろう、と、いつも不思議に思ったものだった。
あんな風に純粋に笑えたら、ジェレマイア様が私を疎うことはなかったのだろうか?恐れと不安を抱いた私の中途半端な媚びがいけなかったのだろうか?
そんなことを考えていたら、大きな音とともに馬車が傾いた。
ガッタン!
馬車が大きく右に揺れ、ゆっくり倒れていく。
「うわぁ!」
思わず声が出てしまった。