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「お父様はお亡くなりになりました。」
私のその声に、何が起きたかわからない様子で、ライラさんが、訝し気に呟く。
「え?」
「お父様は、自ら毒を煽り、死を選ばれました。」
言葉が染み込むように、時間を開ける。しかしライラさんは理解できないようだ。
「何を言っているの?そんなわけないじゃない!」
「まだ、王家には伝わっていないと思います。私がお父様が亡くなっているのを見つけたのは、先ほどのことですので。でも、もうすぐ連絡が来る事かと思います。お父様は自死なさいました。」
ライラさんの手から、手紙が音を立てて床に落ちた。
目には混乱が。唇は震えているけれど、これは絶望ではない。ぜんぜん足りない。
「なぜ?なぜ、お父様が?本当なの?」
「本当です。お父様は、ジェレマイア殿下にずっと毒の作製を強要されてきました。ライラ様を人質にとられて、殿下の言う事を聞かざるを得なかったのです。でも、これ以上は無理だと。毒を作るのをやめるのには、自分が死ぬしかないと決心されたようです。」
ライラさんの顔がみるみる青ざめた。
「何をいい加減なことを言っているのよ!ジェレマイア様がそんなこと命じる訳がないじゃない。バカじゃないの?それに私が人質になったってどういうことよ?そんなものになったことないわよ!嘘言わないで!」
ライラさんが、鉄格子を掴んで揺さぶる。
「信じないわ。お父様が死んだなんて信じるものですか!貴方の言う事なんて嘘ばかりじゃない!」
私は極めて冷静に、子供に言い聞かせるように説明を始める。
「では、最初からお話しますね。お父様は、お母様を流行病で亡くされ、流行病を治癒するための薬の開発に情熱を燃やしていらっしゃいましたよね。」
ライラさんが頷く。一言付け加えるのも忘れない。
「ひとり娘がどうなろうと気にしないぐらいね。」
言い返せる元気があるのか。
「寝食忘れるぐらい町の人々の治療に力を注いでいらっしゃいました。そのお父様がなぜ王宮専属の薬師になったと思われますか?」
「そりゃあお給料でしょう?私が貴族の通う、上級学校にいかなくちゃならなかったし、そのためのお金が欲しかったからでしょう?」
「お父様はライラ様が貴族しか通わない上級学校に行くことを反対してましたよね?行くな、とおっしゃってましたよね?なぜ、ライラ様は平民なのに、貴族しか通わない上級学校に行くことになったのか考えたことはないのですか?」
ライラさんが、ちょっとだけ肩をそびやかした。
「私の成績が優秀だから、今後平民でも優秀な子供達が学校に通う、その先駆けだとジェレマイア様がおっしゃってくださったわ。」
ジェレマイア殿下の絹のような銀髪と、輝くコインのような金色の瞳を思い出しているのだろう、ライラさんがうっとりしている。
今度は私が鼻で笑わしていただいた。
「ライラ様がそんなに成績優秀だとは初耳です。平々凡々、特に優れた生徒ではなかったし、上級学校に通い始めてからも、ずいぶん勉強に苦労していらっしゃったんでしょう?」
ライラさんの頬に血が登った。
「貴方ほどの成績の平民など掃いて捨てるほどいます。貴方が学校に誘われたのは、お父様が逆らったら、すぐに貴方を殺せるようにするためですよ。お父様は何度も、『逃げたら、ライラを殺すぞ』って、言われてきたんです!ライラ様が自分の手の内にあることを、毎日のように、お父様はジェレマイア様から聞かされてましたよ。
貴方は、お父様を王宮で働かせるための道具だったにすぎません。ライラ様には、学校でいつも誰かの目が光っていたでしょう?貴族のご子息が、いつも貴方の周りにいたこと、不思議だとは思いませんでしたか?貴方は見張られていたんです!」
私が熱くなるにつれ、ライラさんは、落ち着いてくる。全然だめだ。
「そんなことない!私が美しくて人気があったからでしょう!男の子たちは皆、私に優しかったのよ!」
私は何をバカな、とため息をつく。
「貴族の学校ですよ?貴方より数倍、数十倍も美しい、たおやかな、気品溢れる女性がたくさんいたではありませんか。しかも皆様貴族でいらっしゃる。」
ライラさんの反応が素早い。
「私だって綺麗よ!気取った貴族のお嬢様とは違った魅力があるって言われてるわ!」
ああぁ。ほんと自信たっぷりの女の子って、手に負えない。
「ちやほやされて、すっかり図に乗ったんですか・・・百歩譲って皆さんライラ様に惹かれていたとして、その方々は今どこに?面会にいらっしゃいましたか?牢から助け出そうとしてくださいました?」
ライラさんの顔が怒りで真っ赤になった。
「お父様だって面会に来てくれないじゃない!」
私は再度ため息をついた。
「お父様はなんども面会の申請をしていらっしゃいました。毎日のように裁判所に通い、面会させてくれと、各所にお願いしましたが、誰も許可をくださいませんでした。」
私でさえライラさんへの面会を拒否されたのだ。手助けなしには、今日こうやってここに来ることは叶わなかった。どうしたらこの子に自分の置かれている立場を理解させることができるんだろう?
私の方が絶望しそうだ。
「そもそも、どうしてこんなところに入れられたと思っているんですか?」
ライラさんの目が下を向く。
「 アナが、私にうるさく言ってくるから、『アナに意地悪されてる』って、ジェレマイア様に言いつけたの。そしたら、話が大きくなっちゃって・・・いじめでアナが糾弾されて・・・アナは別に何もしてないのに、私がアナを陥れるために色々でっち上げたって・・・でも、私、そんなことしてない!意地悪されたから、された、って言っただけ!アナが公爵令嬢だから、身分もわきまえず、公爵令嬢に失礼を働いたって・・・ちょっと文句いっただけよ!
公爵家が抗議してきたから、仕方なく牢屋に入れられてるけど、そのうちジェレマイア様が、出してくれるって言ってたもの!」
もう目は逸らさない。そう決心して、ライラさんの瞳を覗き込みながら説明を始めた。
「貴方のお父様はアナ様のお父上、ハーツデイル公爵にもお詫びをされました。どんなことをしても償いますから、娘だけは、と土下座されたのです。公爵も公爵令嬢も、ライラ様のやったことなど、大したことではないから気にしなくともよい、とおっしゃってくださいました。貴方がここにいるのは、公爵家のせいではありません!すべて、ジェレマイア様が画策されたことです。」
ライラさんも私を強く見返している。
「嘘よ!ジェレマイア様がどうしてそんなことしなくちゃならないのよ!」
わかって!お願いだからわかって!
「お父様に、疫病を流行らせる、人から人へ感染るような病を起こすための薬を作らせるためです!お母様が流行病で亡くなったのに、そんな薬を作ることなどできないと断ったら、次の日には貴方はこの牢へと入れられてしまいました。
それでも出来ないと言い続けるお父様に、ジェレマイア様は、貴方をライカー島へ移すと脅されたのです。
『今なら貴族の牢でのんびりしているだろうが、平民の犯罪者の送られるライカーに行けば、ライラがどうなるか、わかってるだろうな』と。
貴方のためとはいえ、人々の命を犠牲にすることはできないと、自分さえいなければ貴方の人質としての価値は無くなるだろうと、お父様は、自らの命を絶ったのです!」
そうなればよいのだが。用無しと、放り出してくれれば、本当に良いのだが。
見つめ合う私たちの耳に、背後から、弾むような足音が聞こえてきた。