夏休み
あれは高校三年の夏の頃。暇を持て余した私は、友人の松井、それから北村と共に、日帰りでどこかへ行こうという計画を建てました。
三人でどこへ行こうか悩んでいると、偶々近くを通り掛かった知人の川村に「私の地元へ来たら良い。丁度新緑の美しい季節だ。もてなそう」と言われたので、彼の言葉に甘えることにしました。
私と松井と北村は、バスで私の地元から川村の地元まで向かい、最寄りのバス停に降り立ちました。
そこで川村が迎えに来る約束でした。しかし駅に彼の姿は無く、私たちが立ち尽くしていると、彼から携帯へ連絡がありました。
「目の前の大道を真っ直ぐ行くと、途中で右手に登山道が現れる。登山道とは名ばかりの、簡単な道だ。そこから十分ほど行った小屋に私はいる。絶景が見られる地点なのだ」
私たちは歩き出しました。果たして登山道は現れ、私たちは山へ入りました。
「聞いていた話しと違うね」と、松井は私に声を掛けました。確かに、山は進めば進むほど深まるばかりで、体力の無い私はもう動けそうにないばかりになりました。松井は流石と言うべきか、息一つ切らさず私を気遣う余裕まであるようでした。
その時でした。目の前から空を切るような激しい音が聞こえたと思うと、前方から風の塊のようなものが飛んでくるのが見えました。あれを鎌鼬と呼ぶのでしょうか。風の塊は三日月型の鋭利な鎌のような形になり私へ向かって飛んできました。
恥ずかしながらあの一瞬、私は足がすくんで全く動けませんでした。しかし風の塊を認めた松井は、咄嗟に私を突き飛ばし、代わりに風の鎌を受けました。
私は松井に救われたのです。慌てて駆け寄ると、松井の右腕は肩より先が無くなって、そこから堰を切ったように血が吹き出していました。
「案ずるな」と彼は言ったのです。私が罪悪感を覚えぬようにという配慮でしょうが、流石は平松家中最強の武人と謳われた男です。彼は残された左手で傷口を押さえながらゆっくり立ち上がりました。
しかし、傷は深い。松井といえど再び地に膝をついてうずくまりました。その時、北村が風に弾き飛ばされ彼方へ飛んでいった松井の右腕を拾い、此方へ歩いてくるのが見えました。
一体どうするのだ、と私は尋ねた覚えがあります。北村はそれには答えず、松井の右腕の切断面を松井の肩の切断面に近づけました。
その時の私の驚きようといったら、ここに記しようがありません。北村が手を放すと、そこには元通り傷跡すらない松井の右腕が繋がっていました。
何がどうなっているのか、という私の問いに北村は答えず、ひたすら前方の木の向こうを睨んでおりました。
「そっちだったか」
川村はそう言いながら北村が睨んだ先から現れました。
「松井の人間離れしたその屈強さ。こっちがお前だと思ったんだがな」
川村は北村に語り掛けました。
「なぜ、穴沢を狙ったのか」
北村も川村へ問います。
「簡単な話しさ。松井はただ狙っても避けられて仕舞いだろう。穴沢の方を狙えば、奴は必ず庇うと踏んだのさ」
確かに、川村の言う通りの状況になっていました。 「それにしても、お前が松井ではなく北村のほうだとはな。誤算だよ」
「元の狙いは私か。何故私を殺そうとしたのか」
「それはな、北村。分かるだろう。お前を殺して食い、糧とする為よ」
「愚かな」と北村は呟きました。驚くべきことにあれだけの出血をした松井は未だに気を失わずに私と共に彼らの話しを聞いていました。しかし、私と同様彼らの話しは理解できぬようでした。
「私には分かっていたよ川村。お前だと。しかし、お前が私を分からぬ程弱っていたとは驚きだ」
「馬鹿な話しだ。人を食わねば生きていけぬ我々。真っ先に人食いをやめたお前より俺のほうが弱っているとはな。もう、同族を食うほかに力を取り戻す術は無い。分かるだろう、北村よ」
自嘲気味に語った川村は、北村を一心に見詰めて話しを続けました。
「人は分限を越えすぎた。人を食う我々の存在する意義はそうだろう。それをあのときお前は」
川村の目には涙が浮かんでいました。
「お前は、種族にも、神にも逆らって、人食いをやめた。」
「ああそうだ。お前は私に反発して、食う必要の無い分まで人を襲い始めた。それなのにどうして」
「どうしてもこうしても、ない!」
川村は左手を刃物のように変化させ北村に向かって突進しました。しかし、北村は身を翻して攻撃をかわし、一瞬川村のように腕を変化させ川村の胴を真っ二つに切りました。
「愚かだよ、お前は」
北村は静かに、上下の半身が別れた川村へ語りました。
「そろそろ説明をしてくれないか」
松井が北村へ言うと、北村は此方へ向き直りました。
「私たちは悠久の時を生きる。人に怪しまれぬよう姿を変えながら。川村に招かれたとき、こうなる予感はあった」
ならどうして私たちを連れてきたのか、私は叫びました。私の不甲斐なさで松井を傷付けてしまった罪悪感を拭うためでした。
「済まない。それは私の我儘だ。私は、記して欲しかった。私が、私たちが居たという記録を、残してほしかった。しかし、君たちに迷惑をかけてしまった。本当に済まない。私はもう行こう」
北村は泣きながら言いました。
「迷惑ならもう掛けられている。今更どうということはない」
松井はそう返しましたが、北村はかぶりを振って答えました。
「違うんだ。そうではない。もう私は、限界だ」
北村の体はみるみる光の粒になって砕けていきました。
「ありがとう。やはり人間は、素晴らしいね」
北村はそう言い残すも、そこにはもう彼の影はありませんでした。
私と松井はしばらく黙ってその場を見詰めていました。しかし、少し経った頃、松井が呻いて傷が出来た肩を抑えてうずくまりました。見ると、無くなった筈の傷が再び開きかけていました。
「詰めが甘い。相変わらずな」
振り替えると上半身だけになった川村が這ってこちらへ近付いていました。私は慌てて飛び退こうとしましたが、やはり足がすくんでうごけませんでした。
「そう警戒するな」
そういうと川村は松井の肩に手をかざしました。すると再び彼の肩から傷は無くなっていました。
「すまなかったな。俺ももう限界か」
川村の体も、北村のそれと同様に光の粒になって消えていきました。
その時、私と松井は初めて川村の真意を理解しました。彼もまた、人を愛し、それ故今日殺されるつもりであったのだと。
こうして私たちの旅行は終わりました。




