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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

全てが噛み合うならば

作者:燈耶
(かける)! 翔!」

 ガタガタと揺れ動き、揺す振られる体。薄れ行く意識。そんな中、俺はその声を聞いた気がする。

 ◇

 白い清潔なカーテンに囲まれた寝台。横になった俺がいる。殺風景な空間だ。病室だろうか。傍らに侍る見知らぬ二人の女性から心配そうに顔を覗き込まれている。二人とも看護師には見えない。沈黙が続く。顔は暗く翳り、特に年配の女性は顔を泣き腫らしているようだ。

「あなた達は?」

 俺は切り出した。記憶に無いのだ。初老の女性は俺の母らしい。隣の整った顔立ちの女性は(つむぎ)といって、俺の二歳離れた姉だそうだ。実感が湧かない。俺はどうしてこんな所にいるのだろう。

「もう心配ないからね、母さんが悪かったのよ。ごめんね翔」
「翔! 母さんをこんなに心配させて!」

 姉と名乗る人物は怒っているようだがよく判らない。状況も何も掴めないのに、いきなりそんな事を言われても。

 ◇

 退院した晩の夕飯は豪勢だった。母は俺の好物だというミートグラタンを食卓に並べてくれる。場には父と姉と名乗る人物の姿もあった。

「翔、あなたの好きなものを用意したわ。母さん、腕によりをかけて作ったの。ねぇ、父さん?」
「あ、ああ」

 見覚えの無い男の人。俺の父らしい。仕事で疲れているのか、俺の顔をさっと見ただけでぎこちない笑みを口元に浮かべるだけの人。姉は目が冷たかった。睨まれているのかもしれない。

「紬、今日も翔と仲良くね?」
「はーい」

 姉は俺の顔も見ない。やはり嫌われているのかも。

 ◇

「俺、十九なんだろ? 就職してるの? それとも大学かな? 休んで大丈夫?」

 陶器の割れる音からその日の朝は始まる。
 俺が母に声をかけると、母は手に持っていた皿を滑らせたのだ。

「ご、ごめんなさい翔、驚いたでしょ。直ぐに片付けるからね……」

 聞けば俺は高校卒業後就職先は無く、近くの弁当屋でアルバイトをしていたらしい。俺が過労で入院した事で今は退職扱いとなっていると言う。母は必死な顔で俺に内緒で話を進めた事を詫びている。

「別に良いよ。バイトぐらい。いや、勤め先ぐらい自分で見つけるから」
「翔……」

 俺の言葉に母は唇をかみ締め俯いた。

 ◇

 木陰のベンチに座る俺。小鳥がチチチと鳴いている。
 スマホを片手に求人情報誌を眺めつつ、目に留まった五社の会社へと電話を掛ける。幸いな事に三社が直ぐに面接の日取りを決めてくれた。幸先が良い。
 俺の記憶は戻らないけれど、なんだか心が澄み切っているようで清々しい。気づけば歌を口ずさんでいた。デスメタル。激しい曲。何もかもを忘れさせてくれるようなリズムを刻んでいる。
 頭の中で曲は流れる。俺は気づかぬ内に時を過ごしていた。

 ◇

 俺は母と話し合い、量販店の品出しのバイトから始めることにした。退院したばかりだし、まずは短時間の簡単な仕事から始める事が良いだろうとの判断だ。それから半月。最近体が重い。仕事が終わるととても疲れる。職場の人と話しても上手く話がかみ合わない。ま、その内に慣れるだろうと続けている。きっと入院生活が長くて体が鈍っていたのだろう。ついでに心も。

 ◇

 部屋に戻った俺はベッドに転がるように突っ伏す。相変わらず記憶の曖昧な日々が続く。

「翔、戻っていたの? 今日も大丈夫だった?」

 ノック。ドアを開けると姉だ。姉はあれから毎日同じ時間に俺に声を掛けてくれる。
 だけど。
 それにしても気になるのは姉の目。何かを責める様な、それでいて俺を避けているような……いや、きっと気のせい。俺の思い過ごしだろう。

「そ。元気なら良いのよ」

 意味深。でも記憶の無い俺には何のことやら。
 記憶の手がかり。
 俺はスマホに登録された連絡先、バイト先の店長と家族の連絡先のみが目立つアドレス帳を改めて眺める。俺に友達は? 小中高の友達全てと縁を切っていたのだろうか。

 俺は棚を、押入れをひっかき回す。卒業アルバム。中学、高校とあった。ただ高校の俺は一人だけ顔写真が丸で囲まれて別枠に。もしかして、この頃から俺は病気だった?
 明日はバイトが休み。記憶を戻す切っ掛けとなるかもしれない。俺は何か思い出すことが出来れば良いと、出身校である高校へと足を伸ばしてみようと思い立つ。

 ◇

昼食の香りの残るキッチンで、洗い物をしている母に声を掛ける。

「母さん、俺ちょっと出かけて来るよ」
「え!?」

 ガラスの砕ける音。
 母は握っていたコップを手から滑らせた。確か先日も……まぁ良い。

「そんなに驚く事かな?」
「う、ううん、別に……どこに行くの?」

 床に広がる破片と染み。

「通っていた高校に。記憶も今だ戻らないし、なんだか不安なんだ」
「止めなさい!」

 大声に部屋が揺れた。文字通り揺れた。
 驚いたことはこのことだ。

「いや、でも俺知りたいし。じゃ、出かけて来るよ」

 俺は玄関先まで進む。追いかけてくる母。シャツの裾をつかまれた。凄い力。俺には判らない。一体なぜ?

「行っちゃ駄目、行かないで!」
「そんな母さん、ちょっとそこまで出かけてくるだけだよ。じゃ、行って来る」
「翔!」

 俺は母を振り切って街に出る。知ってるはずの知らない街。何もかもが新鮮な驚きに満ちていた。

 ◇

 ナビアプリでやっと見つけた俺の出身校の場所。通い慣れていたはずなのに、まるで始めて通る道のり。立派な門構えに白亜の校舎が見える。生徒達の会話が弾んでいる。でも正直何の感慨も湧かない。野球部の快音、吹奏楽部の音色。全てを懐かしく思って良いはずなのに、何の思い出も出てこない。記憶の底から湧き上がるものは皆無だ。
 俺が校舎を不審者そのものの眼差しで見つめていたその時だった。

「金貸せよ」
「バイト料入ったんだろ?」
「小遣い貰ってるんだろ?」

 どこにでもある光景だ。どこにでもいる、強者が弱者を苛める構図。
 でも俺には何もする事ができない。苛めている彼らを止める事も、苛められている彼を救う事も。

 ──ん?

 頭に閃光が走った。
 ガチリ。不協和音。
 俺の頭の中で音がする。
 俺はそれを理解する。それは社会と言う機械から、俺という歯車が外れた音に違いない。

『鞄持てよ』『おい、背中にバカって書いてあるぞ?』『靴は見つかったか? ナァナァ?』『おっとごめん、手が滑った悪い。びしょ濡れだなぁ』『おい、どこに目をつけてんだよ!』『聞いてるのか? あぁ!?』『……』

 世界から色が失せた。目紛るしく暗転を繰り返す世界。
 走馬灯。フラッシュバック。
 声が聞こえる。姿が見える。俺を悪寒が襲う。そうだ、これが俺の日常。そうとも、これが俺の高校生活の全てだった。
 俺は悟る。
 一人弾かれた様に切り抜かれた高校の卒業写真。
 あれは弾かれていたのではない。文字通り、俺はこの高校にまともに通っていなかったのだ。
 積み重なる意地悪。ちょっとしたすれ違いから生まれた諍いに端を発した陰湿な嫌がらせ。日々エスカレートする悪意の押し付け。
 俺はそれに耐え切れず、学校を休んだ。
 始めは一日だけだった。
 だけどそれが二日、三日と続いた。嵐が過ぎるのを待った。
 嵐は過ぎた。しかし静寂だけが残った。俺の周りには友人と呼べる者、いや、知り合いと呼べる者すら一人も残らず、俺はボッチになった。
 そしてそのまま不登校。
 ──卒業式には行かなかった。

 ◇

 俺は歩く。足が重い。バイトの時、足が重かった。だけどそれは筋力の衰えだけじゃない。精神が死んでいたのだ。俺はそれを知らずに無理をして、毎日何も知らずに毎日バイトに通っていた。今思えば奇跡だ。だって、引きこもりの俺がバイトをするようになっていたのだから。

 だがそれも今日で終わり。
 俺は病気なんかじゃない。俺は要らない人間。俺はこの世に必要のない人間なのだろう。
 余所余所しい父の目。冷たい姉の瞳。俺の一挙手一投足に一々うろたえていた母の言動。
 全てが繋がった。
 俺は不要な人間。
 家族すら俺の存在を恥じていたのだ。
 俺は入院していたのではない。おそらく自殺未遂。
 死のうとして失敗した。ただそれだけの事。
 だから父は言葉を無くした。姉は俺を哀れんだ。母は俺を記憶を戻すまいと引き止めた!
 もう良い! 死んでやる。今度こそ確実に。

 ◇

 夜風が冷たい。
 橋の上から俺は月を眺めている。時折スマホが鳴る。相手は母。姉。父。
 俺は無視した。……出る気もおきない。最期の相手には相応しくないから。
 俺は役立たず。人間の屑。社会のゴミ。
 そして家族からも必要とされてない人間。
 だから自分から消えてやる。完全にこの世から消える。
 大河。橋の上から見える大きな川だ。落ちればまず助かるまい。
 闇の影に溶け、静かに去る。
 それがお似合いだ。
 水はさぞ冷たかろう。溺れ死ぬか、心臓麻痺か。いずれにせよ生き延びることは無いと思える。

 思えばいつも姉と比べられていた。頭脳明晰、運動神経抜群な姉。優秀な成績で有名大学に通って……俺はいつも肩身が狭かった。父の視線は失望の色を帯び、母は俺を責め。姉は俺を蔑む。
 何を迷う事がある。自然と涙が零れた。だけど。
 俺は意を決し、橋の欄干に脚をかける。
 冷たい風が勢いを増す。
 車のヘッドライトは俺の行為など気にもせず走り去って行く。
 誰も引き止めない。誰も振り返らない。
 やはり俺は動く生ゴミ。打ち捨てられる壊れた部品。

 ならばお望み通り──。
 乗り越えようと俺が脚に力を込めようとして、

「翔!」

 聞く。
 声を追って、靴が路面を叩くか沸いた音が迫る。
 鋭い爪が俺の脚を掴む。痛みに一瞬呼吸が詰まる。
 見れば、紬姉が荒く肩で息をしていた。
 力任せに欄干から引き摺り降ろされた俺はしたたかに腰を打つ。

「あなた、何をしてるの!」即座に胸倉を掴まれ、
「自分が何をしているのか判っているの! スマホがこの場所を示して動かないから!」

 罵声を浴びた。
 紬姉の目を見る。
 何を言っているのだろう。紬姉は俺を嫌っているはず。しかし、姉の目尻に光るモノ。

「私が、お母さんが、お父さんが!」

 紬姉が俺の胸に飛び込み、俺は姉から十数年ぶりに抱き締められる。

「どれだけ心配させると気が済むの!」
「あんな記憶いるもんか。俺は要らない人間、必要ない人間なんだ。紬姉、そうだろ!?」

 引き剥がし叫ぶ。

「翔、あなた記憶が戻ったのね……」紬姉は息を呑み、
「記憶なんて無くったって翔は家族よ! 記憶があっても家族! 皆あなたを見ていた! 翔は一人じゃないのよ!?」と俺を揺さ振る。

 俺は、

「一人じゃ、ない?」と呟いていた。
「もうバカな真似はしないで! そうよ、生きて! 父さんも母さんも翔を待ってる!」

 涙交じりの声が耳を打つ。勝気の紬姉が泣く。
 気づけば俺は紬姉の手を取っていた。俺は真っ直ぐに姉の目を見る。
 姉の目尻からは涙が消え失せ、やがて優しく目が合う。俺と紬姉。
 そしてその先にいる、家族。

 ガチリ。
 俺の頭の中で音がする。家族と言う名の歯車が噛み合った音を聞いたような気がした。
 そして今、世界の歯車は再び回り始める。

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