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096 威容と引き分けと

 セリファルス=ウノ=ウェルサームの突然の来訪。

 ヤリアやギルガースとはまた違う、けれど明らかな危機に、俺たちは必死にアークを逃がす方法を考えていた。俺たち、と言ってももちろんお互い相談などはできない。アークの話によれば、このセリファルス王子は恐ろしく頭が切れる。迂闊に尻尾を出せば、その時点で背後関係から何まで見透かすほどだと。

 緊張しながら黙って思案する俺たちに、セリファルス王子が口を開く。


「ああ、そう固くなることはない。私は【剣の魔】との戦いで兵を失ったことを咎めるつもりはない。【魔】との戦いで犠牲が出るのは忌むべき不幸だが、やむを得ないことでもある」

「それは……殿下のご高配、感謝の念に堪えません」


 バークラフトがそう言って頭を下げ、さらに続ける。


「では、畏れながら、殿下。本日、この砦にいらして下さったのはどのようなご用向きでしょうか?」

「用向きというほどのこともない。視察のようなものだ」

「でしたら、今日は我々国軍によって【魔】が討たれた目出度い日でございます。殿下がこちらの砦にいらしたのが偶然にもその目出度い日であったことも天の配剤でございましょう。つきましては、今から戦勝と殿下のご訪問を祝賀する宴を執り行いたく存じます。よろしければ、ご参加頂けますか?」

「ふむ、そうまで私に気を使うこともないが。しかし、そうだな。【魔】の討伐と【英雄】の誕生は目出度いことだ。バークラフト中尉。討伐に向かった者のみの功績ではない。兵をよく労ってやるといい」

「は、殿下の深い思いやりに、国軍一同、歓喜に堪えません。ダヴィド、準備を」

「了解。フリッツ、お前も来てくれ」


 ダヴィドがフリッツを連れて兵たちのもとへ向かう。羨ましい。俺も準備(そっち)が良かった。

 セリファルス王子の相手が緊張するから、ではない。このままこの場にいたら、ふとした拍子にセリファルス王子を殺してしまうかもしれないからだ。

 ……俺は忘れていない。あのヤリアの戦い。仲間が何人も死んだ、あの戦い。直接手を下したのはヴィットーリオ『ロゼ』やマリアン『センショウ』を初めとするクリルファシートの連中だが、そもそもあの戦いが起こった裏には陰謀があった。戦争を免れて安全地帯に逃げようというアークやあいつの支援者たるお姫様たちの思惑と、戦争を利用してアークを殺そうという誰かの思惑。その『誰か』こそ、このセリファルス=ウノ=ウェルサーム王子であろう、というのがアークの推測だった。

 すなわち、セリファルス王子はヤリアで死んだ仲間たちの仇とでも言うべき怨敵なのだ。

 思わず右手に剣を掴みかけ、しかしぎゅうと爪が手のひらに食い込むほど強く指を握り込んで堪える。あの、扇で口元を隠す女。セリファルス王子はアスティティア、と呼んでいたか。

 あれは、【神】だ。セリファルス王子の、【神】。

 アークにとってのシエラさん。シエラさんは自らを未熟な【神】だと言う。あの人は強力な魔法をいくつも操り、常人とは隔絶した戦闘力を持つ。それでも、未熟だと。であれば、目前のこの【神】はどれ程の力があるのか。少なくとも、ギルガースから継いだ魔法を未だ使いこなせていない俺では歯も立たないだろう。

 それに一応、アークの予想が外れている可能性もあるのだし。まだセリファルス王子を襲うことはできない。


「では、殿下。準備が整うまで応接間へご案内させていただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ。よろしく頼む」


 セリファルス王子を砦の内部へと連れていく最中も隙を伺ってはみるが、流石にここで王子の側を離れるほど【神】も迂闊じゃない。

 結局、そうこうしているうちに宴の準備も整い、急造の貴賓席に王子を据え、俺たちは小間使いのように王子の側に侍ることになる。この時点で無数の兵たちの目がある。いくら平民閥と言っても大義もなく王子殺しを見逃せるような奴ばかりじゃないだろう。

 侍る、なんて言ったが、王子は俺たちのおだても誉めそやしも表情をぴくりとも動かすことなく受け流し、食べ物にも一切口をつけようとしない。いや、それどころかよく見ればグラスの中身すら減っていない。別に何を盛ったわけでもないが、なかなか用心深い。

 そんな風に王子を観察していたその時。


「セリファルス様」


 ほとんど口を利いていなかった【女神】アスティティアが口を開いた。


「なんだ?」

「【魔】の気配ですわ」

「な、なんだって!? ……あ、い、いえ、すみません!」


 思わず口に出た。慌てて頭を下げる。

 アークが捉えられた? まさか? いや、あいつであれば、この砦の異常に気づいて、すぐさま逃げるなり慎重に探るなりするはずだ。

 セリファルス王子は不躾にも声を上げた俺に、気にするな、と手を振って示し、


「【魔】? 【剣の魔】は討たれたのだろう?」

「ええ。そちらの少尉が【英雄】になっていますから、それは疑い無いでしょう」

「ならば、新たな【魔】が? ふむ、殺せるか、アスティティア?」

「ええ、殿下。お任せくださいまし」

「……そうか。行け」


 セリファルス王子に命じられたアスティティアは、一息でそびえ立つ砦の外壁をも飛び越えて行った。

 それから数十秒もたたないうちに、ドォン! と花火のような爆音が鳴った。

 今のは、あの【女神】の魔法だろうか? 少なくとも、アークにはあんな攻撃は使えないはずだ。


「ッ!? ……あの、殿下、私は……」

「ああ、君はここにいてくれ、マサキ少尉。私の護衛を頼もう。君はまだ成り立て(・・・・)だろう」

「は……」


 救援には行けない。思わず歯噛みする。

 しかし……【神】は消えた。今なら、セリファルス王子を殺せるか? 安全確保とか適当な理由をつけて、砦内部の人気のない場所に連れ込めば……、

 瞬間、響いた音は、さきの花火のようなそれがいくつも連なった轟音。大気を強く強く震わせるそれは、今まで生きてきてはじめて聞くような音。都市ガスの巨大なガスホルダーが大爆発でもすればこんな音になるのかもしれない。

 セリファルス王子が僅かに眉を潜める。


「ファルアテネ」


 王子が思索する時間は一秒もない。彼が虚空に呼び掛けると、空間が歪な軋みを見せる。いや、軋んだのは俺の視界の方だろうか?

 一瞬の後、王子のすぐそばには鎧甲冑に身を包んだ銀髪の美人が立っている。

 銀髪。すなわち……この女もまた、【神】。

 まさかの、二柱目の【神】だ。……そうだ。アークが言っていた。セリファルス王子が従える【神】は全部で三柱。いや、しかし、まさか本当にそのうち二柱も連れてきているなんて。


「どうだ?」


 王子の問いは過剰なほどに簡潔。けれど、【女神】は戸惑いもしない。


「……ややもすれば、問題かもしれません。最悪、アスティティアは死んだ可能性すらあります」


 【女神】ファルアテネが語った予測は、俺の想像を大きく上回るものだった。

 どういうことだ? さっきの爆発音は【神】の攻撃じゃないのか?

 けれど、やはり、セリファルス王子の表情には混乱も動揺も見えない。


「そうか。ファルアテネ、様子を見てこい」

「しかし、殿下! 私がこの場を離れては殿下の護衛が!」

「構わん。マサキ少尉もいるだろう?」

「ですが! ……いえ、承りました、我が主。行って参ります」


 ファルアテネはわずか抗弁したが、すぐに意見を翻し王子の命に従った。

 その数秒後、また一度の爆発音。今度の音はさらに激烈に響く。距離が近いのだろうか?

 大きすぎる音の残響が耳の奥から消えた頃、セリファルス王子が変わらぬ調子で呟いた。


「ふむ、奴か」


 彼の視線の先、砦を覆う外壁の上。

 追って見れば、そこには深い闇のような黒髪を夜風に靡かせる、ひどく美しい少女が一人、佇んでいた。


  ◆◇◆◇◆


 黒衣の【女神】へ放った百の『爆烈風』は着弾するや否や大量の『爆裂』となって次々に炸裂し、大規模な爆発音が夜の静寂を揺るがす。正直、うるさい。おそらく、地形も大きく変わってしまっていることだろう。我ながらすこしばかりやり過ぎたかもしれない。過剰な火力だった。


「半分で良かったかしら……? まあ、片付いたからよしとしましょう。それじゃあ砦の方を見に……あら?」


 砦の中で静観を決め込んでいたもう一人の【神】の気配が動いた。

 あの黒衣の【女神】が敗れたことで危機感を覚えたのかもしれない。

 連戦でも構わないともいえば構わないが、やはり砦に何があったのかを見ておく方が優先か。

 急ぎ砦の方へ飛ぶこと数秒、すぐさま会敵する。今度の【神】もまた女だ。輝くほどに磨きあげられた鎧甲冑に身を包み、巨大な十字架のような形の鈍器を背負っている。いや、十字架の中央に重ねられた円盤を見るに、あるいはあれは盾のつもりなのかもしれない。


「貴様が【魔】かっ!」

「ええ、いかにも。そう言う貴女は?」

「答える義理がどこにある!」

「あらつれない」


 鎧の【女神】が魔力を励起させる。【女神】が施したのは、身体能力を強化する『剛力』と『高速』の二種の魔法。オーソドックスなやり口。


「おおおおおッ!」


 雄叫びとともに十字架のような鈍器を振りかぶる【女神】。

 私は迫るそれを片手で受け止め、威力をいなすようにしながら後方へと投げ捨てる。


「なっ!? 馬鹿力か、貴様!?」

「それは魔法より膂力に優れた【魔】なのかってこと? それなら答えはノーよ」


 言って、魔法を撃つ。

 『爆裂』。

 『爆裂』の魔法はそれなりに威力が高く、しかもその攻撃範囲の広さから比較的回避の難しい魔法でもある。つまり、手の読めない相手にとりあえず撃つにはちょうどいい魔法なのだ。

 私に放られ地面に着地した【女神】へと一直線に飛んだ魔法は狙い違わず炸裂し、その威力で大木をなぎ倒し大地を抉る。

 しかし。


「無傷? へぇ、やるじゃない」

「はっ、お褒めいただきまったく光栄だな」


 『爆裂』が巻き上げた粉塵が晴れたあとには、仁王立ちで無傷の【女神】がピンピンしている。

 私の賛辞にも鬱陶しげに皮肉を吐き捨てた【女神】は、じっと私を見つめる。


「並外れた膂力と卓越した魔法能力に、その年端もいかぬ黒髪黒目の少女の姿……! そうか、貴様が。くそ、よりにもよって……!」


 【女神】が再び魔力を高める。

 攻撃の用意だろうが、もうこれ以上まともに相手をしてやるつもりはない。


「貴様をこれ以上自由にはさせない! 私がここで貴様を討たねばならない!」

「いーやー。生憎だけど、いつまでも貴女の相手をしてあげられるほど私は暇じゃないの。『転移』」


 短距離『転移』。【女神】の宣戦布告もまるっきり無視して私はその場から消える。だって、私の目的はあくまで砦の異常を探ることなのだから。

 今の攻防の間もこっそりと距離を稼いでおいた。ここまで砦に近づけば十分距離も足りる。

 魔法を発動した一瞬の後に景色ががらりと変わる。

 砦の外壁の上。『転移』でそこに降り立った私は、中庭を見下ろす。ゆっくりと全貌を眺めると、すぐにマサキたち、レウの配下たる士官たちを見つけられた。

 ……そして、すぐ側に佇む一人の金髪の男に視線が引き寄せられる。抗いがたい強烈な引力。男の、どこかレウに似た風貌。けれど、あの子と違ってひどく空虚な眼をしている。直感する。あれがセリファルス=ウノ=ウェルサームだ。

 ……情けない告白を許してもらえるなら。

 私はセリファルスを見た瞬間、恐怖した。強大な【神】と相対した時と同じくらい……いや、それ以上に。血の気が引き、足が震える。たかがニンゲン一人、殺すくらい労もない。だが、そうじゃない。理屈じゃないのだ。一目見た瞬間、私では勝てないと、レウがあの男に勝つなどありえないと、思わずそう思ってしまった。今すぐレウとシェーナを連れてどこか遠くに逃げなくてはならない。脅迫的な思考が私を蝕みかける。それほどまでに私は恐怖したのだ。黒衣の【女神】を従えるほどのカリスマなんて、とんでもない。あの【女神】が従っていたのはこの途方もない圧力にだ。

 私が呆然としていたのは、おそらく数秒のこと。皮肉にも、私の正気を引き戻したのはそのセリファルスの【神】であろう鎧の【女神】の声だった。


「殿下! セリファルス殿下!」


 隙だらけだったであろう私に一撃加えることもなく後方からその横をすり抜けた【女神】がセリファルスの横に降り立つ。


「申し訳ありません! ご無事ですか!?」

「ああ、大事ない。あれが件の【魔】か?」

「は。あの黒髪の少女の姿。確証はありませんが……【夜の魔】リューネ『ヨミ』かと」

「ほう。大物だな。勝てるか?」

「……勝て、とお命じください」

「私は勝てるかと聞いた。答えろ、ファルアテネ」

「……殿下をお守りするだけでしたら、可能かと」

「そうか。ならそれでいい」


 命じられた鎧の【女神】──ファルアテネ、で良いのだろうか──が魔法を発動すると、セリファルスの周囲を護りの魔法が覆った。

 しかし、ファルアテネ自身はその護りの内に入らない。


「ふぅん。私を【夜の魔】と知りながらやりあうつもりなの?」

「なればこそだ。お前ほどの【魔】を野放しにしてはおけない」


 使命感に燃える瞳。こちらは先の黒衣の【女神】と違って【神】らしい【神】のようだ。だからといって手加減をするつもりもないが。


「『空間断裂』」


 初手に選んだのは一撃必殺とでも言うべき大魔法。これは対象が存在する空間ごと敵を引きちぎる魔法。およそ物体の硬さも頑強さも関係ない。『爆裂』をも無傷で凌ぐあの【女神】に生半可な魔法では足りないと判断したがゆえの一手。ついでに言うと、攻撃範囲がさほど広くないのもこの場合は利点だ。レウの仲間を巻き込むわけにはいかない。

 標的は、ファルアテネとセリファルス。いずれも、レウのためにもここで殺さなくてはならない相手だ。

 しかし、


「『護れ』」


 魔力とも物質とも言い難い不可思議な盾がファルアテネの前に立ちはだかる。それはセリファルスを覆っているのと同じもののようで、驚くべきことに『空間断裂』さえも防ぎきった。


「概念防御……! また厄介なものを!」


 ファルアテネが展開したそれは、純粋な『防御』の概念。強度の無視なんていうズルは許してくれない。

 困ったことに、あれを破るのはいささか以上に面倒だ。とにかく大量に大威力の攻撃をすればいいのだろうが、そこまでして防御を破っても今のように一瞬で再発動されるのが関の山だろう。夜が明けるまでに仕留めきる自信はない。私はルミスヘレナのように莫大な火力で押せるタイプではないのだ。

 どうしようかと思案していると、


「『その身を断て』ッ!」

「あら」


 背後から奇襲された。ひらりと躱し、振り返る。

 覚えのある魔法の通り、見下ろした砦のすぐ外、二十メートルほどの位置に立っていたのは黒衣の【女神】。いや、身に纏っていた黒衣は【女神】の体ごとズタズタに引き裂かれ、細切れになった布が僅かに引っ付いているだけの彼女をそう呼ぶのは相応しくないかもしれないが。

 もちろん、【女神】自身も無事であるはずもない。全身をやけどに爛れさせ、さらには風に裂かれたのだろう、身体中の到るところから血を流し、肘の辺りに深々と切り込みをいれられた片腕に至ってはぶらりと垂れ下がっていて今にも千切れそうだ。また外からは見えないが、内臓にも相当のダメージがあるに違いない。それは、引き攣ったような荒い息を吐きながら時折咳き込んで吐血していることからもわかる。


「意外。生きていたのね。びっくりだわ」

「クソッタレの【魔】がァッ……!」

「アスティティア! 無事……とは言い難いか。お前は下がっていろ!」


 開かれたままの砦の門越しに瀕死の【女神】の姿を認めたファルアテネは、仲間を案じながら忠告を投げかける。

 が、アスティティアと呼ばれたその【女神】はそれを大人しく聞き入れるほど、素直で穏当な人格をしてはいない。


「お黙りなさい、ファルアテネ……! そのクソ【魔】を殺せと殿下が命じられたのは(あたくし)ですことよ……!」

「死に損ないのわりによく喋るわね。『爆烈風』」


 アスティティアに魔法を撃ち込む。あれが立っているのは砦の外側だ。多少広範に威力が及ぶ魔法を撃っても支障はないだろう。


「く……『護れ』!」


 流石にそれをみすみす通すほど敵も甘くはない。ファルアテネがすかさず護りの魔法を仲間に施す。直後、解き放たれた『爆裂』が護りごとアスティティアを呑み込んだ。

 飽きるほど聞いた爆音がもう一度鳴り響く。その響きが虚しく聞こえたのは、私が『爆裂』ではファルアテネの護りを破れないのはもう知っているからだろうか。

 『爆烈風』は大地を粉々に破砕し粉塵を大量に巻き上げる。その粉塵は敵味方の区別もなく、全員の視界を一様に覆い尽くした。

 ……この辺りが潮時か。私の手持ちの札ではファルアテネの防御を崩す決定打にはなり得ない。死にかけのアスティティアくらいは殺していきたかったが、それも難しいだろう。

 私は魔力の一部を(デコイ)に切り離すと、自分に『隠形』と『隠蔽』をかけ、『転移』でその場からとっとと逃げ出すのだった。

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