095 本領と蹂躙と
「思ったより、手間取ったわね」
「そうですね。もう真っ暗ですし。バークラフトさんたちには、夜半になるかも、と伝えてありますから、大丈夫だとは思いますが。……レウ様? どうかされましたか?」
「……なんか、変じゃないか?」
仲間たちと一旦別れてからアイシャとツトロウスへの手紙をそれぞれ送り終えた僕らが砦に戻る道中。目的の砦に到着する直前、ようやく砦が見えてきた辺りで僕はその様子に違和感を覚えた。
違和感と言っても、砦が襲われたとかいう風ではない。
むしろ真逆、妙に賑やかなのだ。砦のあちこちで煌々と灯りが焚かれ、さらに耳を澄ませば、この距離にもかかわらず、わずかだが歓声のようなものまで聞こえる。これではまるで、祭りか宴でも催しているみたいじゃないか。
「……宴会、でしょうか?」
「ぽいわね。昨日あれだけ飲んでおいてまだ飲み足りないわけ?」
同じく耳を澄ませていたシェーナとリューネも、僕と同じような感想を抱いたらしい。
彼女たちは特段不審にも思っていないようで、リューネもただ呆れたように一言言ったのみだった。
……けれど、僕はどうにも楽観的になれない。嫌な予感がする。
「どうしたの、レウ。ああは言ったけど、【魔】を討って戻れば砦に残っている兵たちは宴くらい開きたがるでしょう? それを彼らが汲んであげたってだけじゃない?」
「いや、おかしい。こんな大々的に宴が開けるわけないんだ」
この砦は国土のかなり深い部分にある砦だ。今のウェルサームは確かにクリルファシートと戦争の最中ではあるが、前線とここでは訳が違う。こんなところで戦勝の宴などしていたら、その物珍しさに民は目をつけ、瞬く間に情報は拡散することになる。そうなれば、グラディー『コーウェン』からの連絡を待っているであろうラーネ=ハウリーは警戒して根城から動かなくなってしまう。それは困るし、それすらわからない仲間たちじゃない。
「なんだ。あいつらは、何を考えている? 何かの……メッセージ?」
「メッセージ? あの光や音楽が暗号にでもなっているの?」
「いや、違う。士官学校ではいくつかそういう暗号も習ったけど、一致しない。他に僕とあいつらで共有してる暗号はないから、たぶんきっと、宴それ自体がメッセージなんだ。予定外の行動それ自体から伝えようとしてることがある。例えば……何かしら、普段と、あるいは予定と違うことが起こった、とか」
「予定と違うこと……ラーネ=ハウリー伯爵がすでに砦にいる、とかでしょうか?」
「ん、無い話ではないね。けど……」
「確信の無い状況で迂闊には動けない、かしら? なら私が見て来てあげましょうか?」
「それは……。……それしかない、か。ごめん、お願い」
まったく情報がまっさらな中、リューネに突っ込ませる申し訳なさと不安はあったが、けれど夜の彼女は超一級の【魔】だ。砦がどんな情況であっても、たとえ【神】が現れたとしてもどうにかなるだろう。万一、【神】が何柱も現れでもしたら、さしものリューネも危険だろうが……そんなこと、まず起こるまい。この国で複数の【神】を使えるものなど何人いるというのか。
「謝ることなんてないわよ。私は貴方のお姉ちゃんなんだから。存分に甘えなさい」
僕の抱く心配もなんのその、強気にリューネはいい放ち、
「じゃあ行ってくるわ。……まず無いでしょうけど、この私ですら対処しきれないほどの何かがあった場合、そうね、『探知』の魔法を撃つわ。広範に。『探知』される感覚は捉えられるわね?」
「はい」
僕はいささか自信が無いところだったが、シェーナは迷いなく頷く。魔法の扱いに関しては、すでに彼女はそこいらの【英雄】を遥かに上回る域にある。まさしく【神】の力が伸びている証左だ。
「じゃあ、頼んだ、リューネ」
「頼まれたわ。大船に乗ったつもりで待っていなさい」
リューネは僅かも気負うことなくそう言って、闇夜に溶けるように姿を消した。
◆◇◆◇◆
万一の時は危険を知らせる、と二人にはそう言ったものの、その実、私はそんなことになるとは微塵も考えていなかった。
かつて、レウを【魔】にした際に大量の魔力を注ぎ込んだ影響で三割ほど力を減じていた私も、この数ヵ月の療養でほぼほぼ力を回復させている。今であれば、ルミスヘレナ=アルウェルトとですら五分以上の戦いを演じる自信がある。
だから、恥ずかしいことに、私はまったく慢心していたのだ。あの子の配下にあるまじき失態、意識の欠如。
言い訳のしようもない。即ち、私が『隠形』のみで『隠蔽』をしていなかったことについて。
目標たる砦に近づくこと、百から二百メートルほどの位置。そこまで近づいた私の背筋が突如粟立つ。背中の中に冷たい氷を突っ込まれたような、震え上がるほどの悪寒。
【神】だ。
【神】の気配。もちろんシェーナのそれではない。砦の中に、【神】の気配が……一つ、だろうか。
『隠蔽』は……ああ、駄目だ。もう間に合わない。向こうにも気づかれた。【神】の魔力が立ち上がる。
小さく舌打ちをして、一瞬だけ考える。今すぐ気配を消して二人のところに戻るか、あるいはむしろ前に出て【神】を迎え撃つか。
結論はすぐに出た。すでに気配を捉えられている以上、ここで戻ればむしろレウとシェーナに危険が及ぶかもしれない。戦う分にはあの【神】の魔力の量は(【神】の中での)平均やや上といったところ。ルミスヘレナのような最上級神ではない。ならばたかが【神】の一柱、敗けはすまい。
念のため、と二人に危険を知らせるための『探知』の魔法を放ち、そして結果的にはそれが良かった。
「げ」
思わず声が漏れた。
連絡目的とは違う、『探知』の本来の効果。それは、魔力を大地に這うように薄く広げ、二次元的に地形や工作物、さらには生命体までをも探索する魔法。砦の中まで及んだその検索が、なんともう一つ、【神】の気配を捉えた。
おそらくは、私の『隠蔽』のような魔法をあちらも使っていたのだろう。
【神】は二柱いる。
「参ったわね……」
こちらに迫ってくる気配は最初に見つけた一つだけ。
もう一人の【神】は、動こうとしない。まるで何かを守っているかのよう。
……というか、二柱の【神】が集まってるなど尋常ではない。何かいるのだ、あの砦には。私はそれを確認し、レウに伝えなくちゃいけない。なおさら、退けなくなった。
先制の『爆裂』を編み、片方の、もうかなり近くに感じる【神】の気配へ向けて放つ。攻撃範囲の広い魔法ではあるが、狙いはアバウト。当たるとも思っていない、牽制の一発。
空中で炎を伴う爆風と衝撃が花のように開き、空間をすり鉢をかき混ぜるみたいに蹂躙する。
が、
「『その身を断て』!」
【神】の気配は消えない。
それどころか、あちらから反撃の魔法が放たれる。
物質や現象としての姿を持たない魔力塊が、身を躱した私のすぐそばを通り抜けていく。おそらくは、概念を操る魔法。
「初めまして、【魔】のお嬢さん?」
「ええ、初めまして、【女神】」
現れたその【神】は、黒の法衣で全身を覆った女だった。【神】特有の銀髪がきらきら輝く。シェーナのそれと似ている髪色だが、この【女神】の髪は少しだけ金が混ざり、極薄い金髪にも見える。
腰にはいた剣は飾りなのか抜こうともしない。手にした閉じられた扇はいわゆる鉄扇であるが、あれが得物なのだろうか?
「あら、【魔】でも挨拶を交わす程度には礼儀を弁えてらっしゃるのね。では単刀直入に聞きますけれど、何が目的でして?」
「目的? ふふ、私を【魔】だと知りながらそれを問うの? 人間の尽くを虐殺し【神】の尽くを惨殺する。それ以外に【魔】の目的が必要?」
もちろん、嘘だけれど。レウの望みが私の望み。彼の望まないことをするつもりは無い。そうでなくとも、虐殺を楽しむような精神性は持ち合わせていないし。
ともかく、私がそう答えると、【女神】は勝ち誇ったような微笑から、私を心底軽蔑するように憎悪へと表情を歪め、忌々しげに叫ぶ。
「クズの【魔】ごときが……! あまり調子に乗るんじゃないぞッ!」
「あは、ニンゲンを護り慈しむ、いかにも【神】らしい【神】ってわけ? いいじゃない、それでこそ殺しがいがあるというものだわ」
「ニンゲン? く、ははは! あんな下等生物がなんです?」
「……今、なんて? 貴女は人の守護者たる【神】じゃないの?」
「ハッ、バカらしい! ニンゲンの守護など。あんなものを気にかける多くの【神】の方が過っているのです。ニンゲンなど【魔】に殺され淘汰されればよい。私はただ、ニンゲン上がりの【魔】ごときが【神】を殺すなどという不敬極まる思い上がりにのみ怒りを抱いているのですわ!」
「……ふぅん。ニンゲンを省みない【神】、ねぇ……」
記憶が蘇る。
百年を越える私の生の中でも、最悪のそれが思い起こされる。
ひとかけらほどの理由も由来すらもなく、突如として私たちを襲ってきた【神】に剣で立ち向かった父がその身を引き裂かれたのを思い出す。私と弟を守ろうと立ち塞がった母がその胸に虚ろな穴を空けられたのを思い出す。逃げ惑う民が哄笑とともに焼き払われたのを思い出す。そうだ、あの【神】は、【払暁の神】ケイオーンは嗤って私の民を焼いたのだ。
ケイオーンと目の前の【神】がダブる。ギリ、と思わず歯を食い縛る。胸の奥から仄暗い殺意が沸々と沸いてくる。
(……駄目。落ち着きなさい、リューネ。今の貴女はレウの配下で、あの子達の義姉でしょう。私情を優先するのは今じゃない)
「……貴女、ウェルサームの【神】でしょう? ニンゲンを見下しているくせに、ニンゲンに仕えているの?」
「私がウェルサームの【神】? 冗談!私が使えるのは、ただ我が主のみ。国も、民も、その他一切合切が些事ですことよ」
「なにそれ。貴女の主とやらはニンゲンではないとでも?」
「あの方はニンゲンの身でありながら、その御心も御力も、とうにニンゲンなどの域は逸脱なされております」
侮蔑的にニンゲンや【魔】を罵っていた時とは打って変わって、貴いものを崇めるかのような陶然とした様子で【女神】は語る。
正直言って、不気味だった。この傲慢で残酷な【神】を、どれほどのカリスマで従えればこんな態度になるというのだ。
「おしゃべりはこの辺りに致しましょう。あの方が貴女を殺せと命じられたのですもの。私は一刻も早く命令を遂行しなければ」
「殺す? 貴女が、私を? 笑わせないで。そうね、せっかくだし、貴女の主とやらに会ってみようかしら。貴女の首でも手土産にしてね」
「……ほざくなよ、【魔】ごときが!」
「【神】ごときが、私に勝てるとでも?」
放った魔法は、同時。
私の『魔力の槍』と、【女神】の魔法が激突し、お互いの込めた魔力が爆ぜる。衝突地点を中心に、暴発した魔力が吹き荒れる。
「『その魔力を断て』!」
二の矢が早かったのはあちら。もちろん、譲ったのだ。
先程といい、この【女神】が放つ魔法は異常に複雑な構成をしている。間違いなくこれが【女神】の固有魔法だ。内容は読み切れないが、魔力を物質や現象に具象せずに放つ魔法はそう多くない。
即ち、一つには、私の『魔力の槍』のように発射時は魔力のまま、炸裂地点で再度魔法を発動して熱や衝撃といった形を与えるパターン。レウの『 支配する五感』もこちらか。
もう一つが、概念を込めた魔法だ。これはそもそも具象化のしようがない。この【女神】の魔法はおそらくこちらの類型。
「『収束せよ、槍へ』」
もう一度、『槍』を生み出し、【女神】の魔法へ投げつける。
今度も相殺し合うかと思えば、私の魔法が一方的に掻き消された。少しだけ驚くが、今ので構造が読めた。その魔法が無効化できるのは具象化されていない魔力そのものだけ。
つまり、
「『風刃』」
数十もの風の刃が私の周りに現れる。【風の英雄】ログラン『キョーガ』を殺して奪い取った魔法の一つ。
現れた刃は【女神】の魔法を呑み込み、蹴散らし、それに留まらず【女神】本体へと迫る。
「こんなちゃちな魔法で! 『その力を断て』!」
今度のそれは、有形のエネルギーを無効化する魔法。拡散し多方向から襲い来る『風刃』を一つ一つ正確に無効化していく。
たかが目眩ましに、ご苦労なことだ。
「『転移』」
本命は、短距離のワープ移動。夜の私であれば目印も必要ない。
『転移』先は、【女神】の背後へ。
「っ、『その身を……」
「遅い」
「ギ、があっ!?」
夜の私が敵に魔法を撃たせるような隙をあたえるはずもなく。
ズドン!
砲弾が城壁を砕くかのごとき衝撃音。【女神】の頭蓋に私の回し蹴りが叩き込まれた音だ。
【女神】は吹っ飛び、地面に激突する。
並の【英雄】程度であればこれで十分殺せるのだが、相手は仮にも【女神】。直前で攻撃魔法をキャンセルして防御に魔力を回したその反応のよさはちょっとしたものだ。その程度でどうなるものでもない、とも言えるが。
小さく嗤って、魔法を編む。
あの【神】を殺すのは優先事項ではないが、死んでしまうのならそれはそれで仕方ない。
構成したのは、『爆裂』の変形。即興のオリジナル魔法。魔力を破裂させ火炎と爆風と衝撃で三次元的に攻撃する『爆裂』に、『風』の魔法を複合する。『風』で爆風を強化するのはもちろんのこと、『風刃』の中に『爆裂』を発動する魔力を閉じ込め、『風刃』の炸裂と同時に『爆裂』が発動する構成とする。
この新たな魔法──仮に『爆烈風』とでもしようか──ならば、あの【女神】の魔力無効化を『風刃』が防ぎ、物理力無効化を放てば『爆裂』する。二種の無効化魔法を対策する形。
あの【女神】以外に使う機会があるかは疑問だけれど、まあ構わない。
「貴女のためだけに作った魔法よ? どうぞ、遠慮せず受け取って頂戴」
一方的に言い捨て、『爆烈風』を放つ。
私に蹴り飛ばされ、地に伏せっていた【女神】は咄嗟に起き上がり、
「『その力を断て』ッ!」
物理力無効化の魔法。『風刃』が消えたことで『爆裂』が発動する。その一瞬のタイムラグ。
「『その魔力を断て』!」
間髪入れぬ二連射。今度は、魔力無効化の魔法。『爆裂』を発動するはずだった魔力は無効化され、虚しく宙に溶けた。
私の新造の魔法の構成を素早く読み取り、その対策をもあの短時間で組み立てる。やはり、こと魔法に関して【神】は【英雄】などとは比べるべくもない。
「……その程度の魔法が、【神】に通じるとでも?」
「そう? そのわりにはいっぱいいっぱいのように見えるけれど」
「フン、ならば、もう一度試してみたらいかがです?」
「そうね。そうしてみようかしら」
言葉通り、もう一度『爆烈風』を編み始める。
それを見た【女神】は嘲弄を隠そうともせずに嗤う。
「ハッ、そんなすでに一度破った魔法……」
確かに、一度対処した魔法だ。来ることがわかっているなら、なおさら容易く防げる、と思えることだろう。
私はにっこりと微笑んで、一言付け加える。
「今度は、百倍で」
「な、ど……!?」
莫大な魔力を注ぎ込む。その数、きっかり百発。それだけの『爆烈風』が私を中心に展開する。淡い光を放つ魔力が風の刃に閉じ込められて、漏れる光は歪むように拡散する。それはまるで、夜空に浮かぶ無数の星々のよう。
呆然と空に浮かぶ私を見上げている【女神】をよそに、私はゆっくりと手を振り上げる。それは、突撃を命じる将軍のように。死刑を執行する法務官のように。
そして、躊躇いなく腕を降り下ろした。
応じて【女神】が放った無効化魔法は、五つか六つほどの『爆烈風』を打ち消したようだったが、残る九十余りを打ち消すには遅く、【女神】はなすすべもなく魔法の津波に飲み込まれていった。




